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毒親に捧げた四半世紀⑤前編

小学校高学年編

中学年の頃には九州大会で優勝出来る程度の成績を収められたものの、母は多少褒めてはくれたがその最後には必ず既に次の目標タイムを設定しなさいと促される。

ベストタイムを更新出来ればアイス1つ、出来なければ「あれだけ時間があってなぜ早くならないのか」と酷く怒られ謝らせられる、試合から試合までの期間は1ヶ月程度あるかどうかなのにそう毎回更新出来る訳もなくこの頃から競泳が嫌いになってた。

勉強にしろ、スイミングにしろ、なんにせよ気に食わないことがあれば怒鳴られ謝罪を求められる。
母の求める謝罪とは

①なぜ、この結果に至ったのか
②私の非は何なのか
③それらを踏まえて満足のいく謝罪の言葉
④今後はこういう改善をした行動を取ります宣言

これがワンセットで、尚且つ母の思い描いた文言に一致しない限り怒号は止まらない。
恐怖で萎縮した私の思考は働かず言葉が出てこない、それを見た母はさらに激昂し遂には手が出る足が出る。
怒られる度に恐怖度は高まるもので、重ねれば重ねるほど「恐い、怖い、こわい」という思考しか出来ず。
そして叩かれ蹴られから逃れようと動くと「動くな」と制され、直立不動の姿勢をとらされた後に殴られ蹴られが回を増すごとに悪化して行った。


そもそも怒られるようなことをしなければいいという思考は常にあった。
してるつもりもなく、なんなら必死に母の機嫌や顔色を伺いながら毎日行動してたのだけど姑の粗探しかの如く思いもよらぬ所から怒る理由を見つけてこられる、地獄だった。


そんな生活が続いた夏頃、ピアノの先生から「市民劇団に入ってみない?」との誘いを受けた。
ピアノを始めたのは小学2年生、それまでの私は絶望的なまでの音痴だったのだけど先生がピアノだけじゃなく歌の練習も少しずつしてくれたお陰で4年生時の市内音楽祭でソロパートを貰えるくらい歌えるようになっていた。


その先生は歌唱指導や演出指導を受け持つ形で劇団に参加してる人で、単純に団員確保がしたいという理由の他に「引っ込み思案で社交性にかける私の自信獲得」を目的とした誘いだった。
市民劇団が主に行う舞台はミュージカルだったので歌もダンスも芝居もやる、試しに夏休みの終わりにちょうど舞台があるから見に来てとチケットを貰った。


結果的に、めちゃくちゃ楽しくて面白くてドツボにハマった私は入団を決意した。
劇団の稽古日は毎週木曜、たまたま木曜日はスイミングが休みで空いた時間に稽古が入って来るだけなのと、ピアノの先生からの勧めだったせいもあり、これに関して母は特に反対もせず許可してくれたしなんなら妹も同時に入団する事になった。

なのでここからのスケジュールは
月  スイミング
火  ピアノ  スイミング
水  スイミング
木  市民劇団
金  スイミング
土  スイミング
日  休み

自由度が下がるかと思いきや、劇団の稽古は私にとって癒しの時間であり無くてはならない心の支えになった。
音痴が治り歌うことも楽しければダンスも面白く、芝居をし役に入り込めば現実の私を忘れられる、そして何より同年代の子供達と楽しい時間を過ごせるという体験は当時遊ぶ暇の無い私にとって唯一の娯楽となったから。


でも、そんな生活が始まって2ヶ月ほど経った12月の始め。
私は一時保護所に3週間保護された。

少しずつ悪化していた母からの虐待行為、怒られ叩かれ蹴られだけでなく時を選ばず外に追い出され放置や、食事抜きの刑、ベランダのヘリに乗せられグイグイと押して落とされそうになったり、階段から突き落とされたり、極めつけは喉元に包丁を突き立てながら「早く謝れ」という脅し。


それらが続いたある朝、起床して2階の子ども部屋から階段を降りて来た私の目の前に広がっていたのは自分のランドセルの中身がぶちまけられた光景。
何が起こってるのか状況を理解出来ず寝起きの頭で、母がなぜ怒ってなぜぶちまけたのかを必死に考えたものの母は一言も口を聞こうとしない。
結局何がどうなってそうなったのか何も分からないまま登校時間になり学校に向かった。


そして放課後、ただただ怖くなり足がすくみ家に帰る事が出来ず、学校に残ってしまった私を見付けた担任の先生に連れられ職員室に。


するとそこに母からの着信が職員室の電話に入った。
電話から私の座らされた椅子は部屋の端から端ほど離れているというのにスピーカーにしてる訳でも無い受話器から「一刻も早く家に返せ」という母の怒鳴り声が聞こえてくる。


そこで私の心は限界が来たのか号泣してしまい、その様子を見兼ねた校長先生が児童相談所に通報を入れた。
それから30分程度で相談員の先生が駆け付け、市内の相談所に移動。
そこで普段の生活や母との関係性、それまでの恐怖体験を洗いざらい全て話した。
そして、それを終えると「一時保護所に行くよ」と告げられ相談員の先生と2人で2時間ほどタクシーに揺られて長崎市内の一時保護所に到着した。




6年生の部分一文字も書いてないのに2000字超えちゃったな🙄

長過ぎるから今日はここまで。
一時保護に関しては詳しく書いた方が良さそうだしね、うん。


それではまた次回会いましょう👋


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