毒親に捧げた四半世紀②
保育園編
写真は私本人のもの、当時5歳かな。
いつぞやの家出中に誰も居ない隙を見計らって実家に忍び込んだ時に撮って来たもの😇
父の転勤が決まった先は同じ県内だったが母方の実家(以下、祖母家 父方は祖父家)と同じ市内。
どういう流れでそこに建てたのかは聞いた事がないから分からないけど、私からする「実家」という名の戸建てを建てての引越しだった。
まぁこの建設にあたっての人脈が、まず私の人生をおかしくさせた発端でもある。
が、とりあえずは話を続けようね✋
かなりあとになってから知ったのだけど、0歳の時に数ヶ月程預けられていた保育園に転入することになった。
転入手続きの日は おたふく風邪 にかかってしまい親だけが園に入って行き、私は車で身体がしんどい中留守番していた記憶がある。
実家が完成するまでの間は車で5分程の祖母家に寝泊まりしてたらしい。
餅まきとやらに参加した記憶は何となく覚えてて、骨組みだけの家の2階から投げられた小銭やお菓子を拾ったっけ。
実家が完成してからしばらくは官舎に住んでた頃の様な生活だった。
目が覚めれば父は出勤済、保育園に行って、帰って来たら新しいスイミングスクールに通う。
時々何故かお昼寝の時間に母が迎えに来て、スイミングに連れて行かれた事があるけど未だに謎。
この頃から本格的に極めさせようとしてたのかな🫠
皆でご飯を食べて寝かしつけてもらって…また朝が来て。
ただ、子供ながらに違和感を覚えた。
父の部屋と称された個室があったのだけど、大人2人が並んだら少し狭い程度のソファ…小さなローテーブル…それだけで部屋がいっぱいになってしまうようなスペースしか無かった。
たぶん、あの家に父の居場所は存在しなかったのだと思う。ローンは全て父持ちなのに。
だって自分達姉妹に与えられた子供部屋はその3倍は広かったんだよ、いくら幼くても分かる。
父は家に居ないことが増えた。
「当直が〜非番が〜出張が〜……」
本当だったのか、嘘だったのか、事実は分からないけど多分嘘の方が多かったんじゃないかな。
そりゃそうだ、自分の為の癒しの要素が無い家なんか誰が帰りたいと思うものか。
休日でもほとんど父は居ない。
そんな事が続いた頃、何故か休日によく家に来る "オジサン" が現れた。
(ここから先少し個人情報含む?のと少々ヘビーな内容になっていくので読みたい方だけお進み下さい。)
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?