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教育ログ15人目(私立・現役→早稲田法)

0.今回の教育答え合わせさん

→沖縄の中高一貫高校から早稲田大学法学部に合格されたメイさん。今改めてご自身の教育を振り返った結果はこちら!

「大学には無事現役で合格できたのですが、意識的に『ここを補強しよう』などと考えて受験勉強をしていたわけではなく、得意なこと(英語、国語)で得点を稼ぎ、記憶力と根性だけでその他をフォローした「ガムシャラ受験」でした。幼少期に公文で培った土台のおかげで、何とか合格までこぎつけたのかなと思います」と語るドラちゃんさんの教育答え合わせに迫ります!

※本企画は、難関大学合格者が幼少期からどのような教育を受けて、そして改めて振り返った上で、それが学業成績に「どう作用したか」という観点から思い出し・分析する、という趣旨となっております。
企画者及び回答者に、学歴社会の肯定もしくは高学歴を推奨する意図はございません。


1.回答者略歴


Q:お名前を教えて下さい。
→メイ

Q:ざっくりの業界・ご職業を教えて下さい。
→映像制作の仕事をしています。

Q:年代を教えて下さい。
→40代

Q:ご自身の幼少期のキャラクターについて教えて下さい。
→真面目。おとなしく、聞き分けの良い方だったと思います。
 
Q:ご自身の性格について、以下の観点でお答えください。

Q:最終学歴を教えて下さい。
→早稲田大学法学部
 
Q:そこまでのルートを教えて下さい。
→公立小学校→(中学受験)→私立中学・高校(中高一貫)

Q:大学合格時点での学習能力の自己採点をお願いします。

※各5点満点の6要素で15点以上となるよう配分をお願いしています。

Q:ご自身の各学習能力に関してどう考えていますか?
→2歳からやっていた公文で身につけた英数国の基礎学力や集中力と、記憶力だけで乗り切っていたので、受験生としてはあまり計画性もなかったし、論理的思考はどちらかというと苦手でした。

テスト期間くらいの比較的短期の計画を立てて、それを完遂するのは得意でしたが、年単位での受験計画を定めることは最後まで出来ませんでした。

「公文出身者は思考停止している子が多い」と言われますが、まさにそんな感じで良くも悪くも「素直」なタイプだったので、出されたものをそのまま丸呑みして、記憶して、使いこなす、というやり方をしていました。

公文で鍛えた英数国は学校でも常に成績上位でしたが、理系科目(化学、生物)は平均レベル、日本史や世界史は東大二次のような思考力も問われる文章題になると、からきしダメでした。

教えられたことについてあまり疑問を抱かず何でも受け入れていたので、難しい単元でも引っ掛かりは少なかったですが、考える力を養うような勉強の仕方を身につけるために、進学塾にも通っておく必要があったなと思います。

ただ、大学受験まで、英数国の勉強にあまり時間を割く必要がなく、非常に安心感を持って臨めたので、公文はやってて良かったです。

Q:公文は一部で酷い言われようですね。
→Twitterで高校受験をオススメしてる塾の先生アカウント的な人が言ってました。

その人いわく、文章題を見てすぐに「これは何算?」と聞いてきて、自分の頭で考えようとしない子がいたそうです。
「そんなの一部だろ」とは思いましたが、計算問題を見ると、深く意図まで考えず反射的に解いてしまう癖はあるので、一理あるかもなと。
 
Q:教育の得点配分を教えて下さい。

Q:得点配分の意図を教えて下さい。
→幼少期の親の関わり方は非常に大事だなと思ったので、一番配点を高くしました。

「幼いうちからどれだけ詰め込むか」「何をやらせるか」ということよりも「やりたがったことに対してどう向き合ってくれたか」という点を評価ポイントにしました。

あまりストレスなく生きてこられたのは、親から過度なプレッシャーを掛けられなかったこと、やりたいことはやらせてもらえたこと、これに尽きるなと。

綿密な計画もなく、ガムシャラ受験した私が、それでも何とか早稲田に入れたのは、幼い頃から公文で学習習慣をつけてもらえたことと、進学校だった中高の環境のおかげでしかありません。

今の受験システムはまた変わってきているのでしょうが、適切なレベル(上位30%以内に入れる)の高校に通い、自分のやる気さえあれば簡単にステップアップできるように、学校の補習や塾などの環境を整えることが、大学受験を乗り切る秘訣なのかなと思います。

Q:「適切なレベル…」というのは?
→自分がトップだと調子に乗ってサボっちゃいそうだし、周りの優秀さに少し焦りつつも、決して下位にはならない、くらいの立ち位置がモチベーション維持にはちょうどいいのかなと思いました。

トップ常連の子からも「英語といえばメイちゃんだよね〜」みたいに言われていたので、自信を失わずにいられたのが大きかったかも。


2.保護者の教育スタンス(配点40点)

Q:ご家族の最終学歴について教えて下さい。
→父:大分工業大学(現:日本文理大学) 工学部建築学科
母:沖縄国際大学 短期大学部(学科不明) ※現在は短期大学部は廃止
妹:武蔵野音楽大学 音楽学部

Q:保護者の教育方針はどのようなものでしたか?
→母親は教育熱心でしたが、父親は基本ノータッチでした。
 
2歳上の従兄弟が早くから公文をやっていて、かなり頭が良かったので、その影響もあったのか、家中に漢字カードを貼ったり(冷蔵庫に『冷蔵庫』、タンスに『洋服』と書いたカードを貼るなど)、絵本の読み聞かせ、童謡やクラシック音楽を流すなどしていました。

押し付けがましく感じたことはなかったですが、沖縄というのんびりした土地柄も踏まえると、相当熱心な方だったと思います。
 
Q:その教育方針はご自身の学業にどう影響したと思いますか?
→2歳から公文を始め「毎日決められた枚数やるのが当たり前」という感じで慣らされてしまっていたので、特に苦痛に感じることはありませんでした。

おかげで「勉強大嫌い!」とはならずに済み、今となってはありがたいです。

Q:ご両親は学業に関してどんな接し方でしたか?
→父は何も言いませんでしたが、母は怒るよりも褒めることを意識して接していたと思います。

褒められるとすぐ調子に乗るタイプだったので、どんどん勉強(というか公文)が好きになった気がします。

基本的に、ダラダラしてもその日のノルマはきちんと果たして帳尻を合わせていたせいか、あまり「勉強しろ」と怒られた記憶はありません。「短期の計画達成だけは得意」というのは、ここが軸になっていると思います。

大学受験の際は、「琉球大学に行ってほしいな〜。じゃなかったらどこか国立」みたいな感じで言われていましたが、いざ早稲田大学に合格したら、なんとかお金を工面して通わせてくれました。志望学部については、私の意志を尊重してくれていたので、特に何も言われませんでした。

Q:今振り返って学業につながった、家庭内の文化や習慣があれば教えて下さい。
→妹が勉強嫌いで、毎日のように公文をやるやらないで、母とバトルしていました。私は怒られたくなかったので、自分だけさっさと終わらせて、毎回褒められていました。めちゃくちゃ性格悪いですが、「妹よりもちゃんとしてるでしょ!」と勉強で示すことが原動力の1つになっていたかもしれません(笑)

また、公文の国語教材で出てきた本をいつの間にか買ってくれていたので、本を読む習慣も自然と身につきました。「教材でちょっとだけ読むと続きが気になる」という習性を、母が上手く利用していたのだと思います。それ以外にも、欲しい本はケチらず何でも買ってくれました。小1で「ぼくらの七日間戦争」を読んでいた小生意気な子供でした。

Q:ちなみに妹さんも2歳から公文をされていたのでしょうか?妹さんと公文・勉強への意識の差異が生まれた要因はどう考えていらっしゃいますか?
→妹も同じくらいからやっていたと思いますが、元々歌ったり踊ったりするのが好きな活発なタイプで、机に座って鉛筆を持つのが苦手だったようです。

それを「お姉ちゃんみたいにやりな〜」と言われて、反発したのかなと思います。妹は小5くらいからフルートを習い始めて、本格的に音楽の道を志したので、そこでハッキリ道が分かれました。

母は、妹に勉強を強いるのは諦め、音楽高校、音楽大学に進ませるべく、サポートの仕方を切り替えていました。姉妹に一律に「勉強をやりなさい」というスタンスを取らなかったのは、我が親ながらすごいと思います。

Q:ご両親の教育スタンスについての小計を教えて下さい。

→公文3教科以外にも、ピアノ、そろばん、書道など「やりたい」と言うものは基本的に習わせてくれたので、とても恵まれていました。

裕福といえるほど太い家ではありませんでしたが、必要なものにはしっかりお金をかけてくれていたので、裏では節約が大変だったと思います。

「英語が好き」と言えば、アメリカ帰りの公文の先生に英語の個人レッスンを頼んだり、「中学受験をしたい」と言えば、公文でバイトをしている琉球大学の学生をスカウトして家庭教師にしたり、とにかく子供のためになりふり構わず、真剣に向き合ってくれていました。

勉強に関して、自己肯定感を削るようなこと(「またこんな点数取って!」「あんたは頭が悪い」のような罵詈雑言系)は一切言われなかったので、かなり意識して接していたのだろうと思います。
 
父が勉強に関して言及することは、ほぼありませんでしたが、毎朝始業前に遠くの学校まで車で送ってくれていました。また、父自身が勉強好きで、朝早く起きて資格試験の勉強をしていたこともあり、その姿には少なからず影響を受けた気がします。


3.~小学校時代※小学受験含む(配点20点)

Q:小学受験はしましたか?
→してません。
 
通える範囲に私立の小学校がなかったので、考えてもいなかったと思います。

Q:小学校の頃の学業成績について教えて下さい。(全6レベル)

→公文で既にかなりの進度まで進んでいたので、学校の勉強は簡単で、テストはほぼ100点でした。「夏休みの友」は、もらったその日に全部終わらせていました。

Q:小学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→学校の宿題以外は、とにかくひたすら公文をやっていました。小1で英語を始めたらとても楽しくて、どんどん教材を進めていました。親の声掛けがあって…というよりは、自発的に1日何十枚もやっていた感じです。

Q:小学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→普段の授業については、もうあまり記憶がありませんが、算数の時間は進度別にクラスを分けて学年全体で競争したり、国語の時間には辞書の早引き競争などもあり、今思えば色々考えて授業をしてくれていたのかな、と感じます。

校舎建て替えでオープンスペースの教室にしたり、テレビ電話で東京の学校と会話するなど、当時としては先進的な取り組みもしていたので、公立にしては熱心な学校だったかもしれません。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

→基本、学校の宿題の他は公文のみ。英数国それぞれやっていました。
小6からは中学受験に備えて、参考書をやったり、家庭教師に来てもらったりしていました。

Q:小学校まで習い事は何をやっていましたか?

Q:学習貢献度の高い習い事について、始めたきっかけを教えて下さい。
→そろばん:友達の影響で、計算が早くなるかと思って始めました。

    英会話:母がスカウトしたアメリカ帰りの公文の先生の個人レッスンです。自発的に「やりたい」と言ったわけではなく、母が先生に頼んでスタートしました。「英語が好きだから、せっかくなら喋れるようになってほしい」と思ったのかもしれません。

Q:習い事についての振り返りをお願いします。
→そろばん:結局すべて暗算(公文方式)でやってしまっていたので、あまり意味がないなと思ってやめました。
先にそろばんを始めていたら、また違ったのかもしれません。

英会話:ネイティブの発音を徹底的に叩き込んでもらい、高3までずっと教えてもらっていました。
アウトプットはそこまで高まらず、いまだに喋るのには苦手意識がありますが、発音を直されたことで、リスニング力は相当アップしたと思います。また、Thanksgiving dayなどアメリカの風習にも触れられたので、いい経験をさせてもらいました。

Q:実はそろばん子供に習わせようかなと密かに思っていましたが…そうですか。
→本気でやってなかったのもあると思います。
公文のおかげで暗算が速く、そろばんで計算するよりも先に答えを出せてしまっていたので、そろばん教育がイマイチ身につかなかった感じです。

Q:今振り返ってやればよかったと思う習い事は?
→特にありません。

Q:小学校までの読書について教えて下さい。
→小学校の6年間は、ほぼ毎日帰りに図書館で本を借りて帰るような生活で、年間200冊以上読んでいました。

推理小説が好きで、江戸川乱歩シリーズや、公文の国語教材で出てきた本を色々と読んでいたので、漢字の書き取りや読解も含め、国語の勉強で困ることはほとんどありませんでした。

国語の宿題帳(内容は個人の自由)に、当時公文でやっていた「智恵子抄」の詩を書き写したりする感じの子供だったので、先生からすると、かなり鬱陶しかったと思います。

Q:年間200冊!!凄まじいですね!!
→一回読み始めちゃうと続きが気になって、次々読んでた感じです。

夏休みとか暇な時期は、1日10冊近く読むこともありました。完全なる活字中毒です。だから今もTwitter(X)ばっかり見てるんだと思います。

中学・高校は「これ、公文でやったわ〜」と思いながら国語便覧を読むのが好きでしたね。自分で言うのもアレですが、素直な子ほど公文に向いていると思います。羽生善治さんも、きっとそうでしょう。知らんけど。

Q:当時熱中していたことは何ですか?それは学業にどう影響しましたか?→KinKi Kidsにハマっていました。

後の職業選択には影響していますが、当時の学業には特に影響なかったです(笑)

Q:小学校時に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→同い年のいとこ(前述のいとこの妹)が「お兄ちゃんと同じ私立中学を受験する」と言ったので「私も〜」と軽い気持ちで受験を決めたのですが、ガッツリ進学塾に通っていたいとこが落ち、私だけ受かってしまったので、めちゃくちゃ気まずかったです。同じ小学校に通っていたので、余計に。

Q:小学生時代の教育環境の小計を教えて下さい。

→本をたくさん読んでいたのは、良かったと思います。中学に入って以降はほとんど本を読まなかったので、この時代の貯金で今も生きている感じです。

学校の授業は、宿題をこなす程度で、とにかく公文だけを頑張っていました。正確な教材番号までは覚えていませんが、小6までに数学→中学教材終了、国語→高校教材(古文・漢文)、英語→高校教材、までやっていて、英検5〜3級まで取りました。

振り返ってみて、思ったよりも親が色々やってくれていたというか、次の段階へのステップを踏ませるための、手の差し伸べ方が上手かったんだろうな、と感じました。

減点要因は、公文では図形関連を一切やらないので、学習塾や中受対策でもう少しやっておけばよかったな、というところです。中学に入ってかなり苦労しました。

4.中学時代※中学受験含む(配点15点)

Q:私立の中学受験は考えましたか?
→中学受験をして、私立の中高一貫校に行きました。

Q:中学行時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

→中学2年までに中学の授業を全部終わらせる独自のカリキュラムだったので、進度がめちゃくちゃ早く、数学が「代数」と「幾何」に分かれていました。中学に入って最初のテストで代数は94点で学年1位でしたが、幾何は29点だったのが自分でも衝撃でした。

学習塾で何年も鍛えてきた同級生たちと、公文&家庭教師数ヶ月の自分との差を感じて、かなりショックを受けました。

科目によりばらつきはありましたが、1学年120人程度で、いちばん良いときで総合で4位、悪いときで40番台という感じで、その間をウロウロしていました。

国語、英語に関しては全く問題ありませんでしたが、中3で数Ⅰ、数Aに入り、証明など、公文ではやっていない部分だったのでかなり苦戦しました。(教材にはあると思いますが、私はそこまで到達していなかった、という意味です)

英語は常にトップ10以内、国語はトップ〜20番以内、社会はあまり覚えていませんが、30〜40番台くらいだったと思います。

Q:中学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?

→ど楽勝だった小学校時代と違って、勉強も難しいし、周りの友達も優秀なので、中1の1学期は慣れるだけで精一杯。宿題も大変で、とにかく必死でした。

Q:中学校の教育環境についてはどう考えていますか?

→夏休みや冬休みの補習もあるし、何かわからないことがあれば、親切に教えてくれる先生も多かったので、学校も勉強も楽しかったです。

周りの子たちも、合唱コンクールや体育祭などの学校行事にも前向きに取り組む子が多かったので、「●●するのはダサい」みたいな謎の価値観がなく、とにかく楽しい学校生活でした。
高校受験がないので、ピリピリした雰囲気がなく、とても過ごしやすかったです。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

学校の宿題や、予習などで大体これくらいかなと思います。
父が朝早く学校まで送ってくれていたので、始業まで1時間程度予習することが多かったです。
テスト前は徹夜に近いくらい勉強することもありました。

Q:中学校時の習い事について何をやっていましたか?

→辞めるタイミングが分からず、書道とピアノは続けていました。

この頃には、公文までは手が回らなくなっていたので、英数国の普通の教材は辞め、SRSという英語の速読に特化した教材だけを中3までやっていました。SRSは現在は無くなってしまったようですが。
英会話は小学校時代から引き続き継続していました。

Q:中学時代に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→特にありません。

Q:中学校時代の教育を振り返ってどう評価しますか?

→「可もなく不可もなく」という感じで、伸びてる感じもないし、かといって落ちこぼれているわけでもなかったかなと。

中高一貫だったせいもあるのか、正直、思い出せるのは楽しい行事のことばかりで、勉強に関してはあまり深く思い悩むことなく、のほほんと過ごしていた気がします。

ただ、英語に関してはSRSと英会話を継続していたので、底上げできていたかなと思います。


5.高校時代※高校受験含む(配点25点)

Q:私立の高校受験は考えましたか?
→中高一貫校だったので、受験はありませんでした。

Q:高校時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

→親と「学年1位になったらPHS(時代がバレますね)を買う」という賭けをしたので、めちゃくちゃ頑張って、2位になったことがありましたが、基本的には120人中30番台までの成績をウロウロしていました。

ただし、勉強の仕方はかなり偏っており、暗記科目は教科書を見ながら、読めないような汚い字で自由帳にひたすら書き殴る方式で覚えていました。なので、早稲田の日本史で出題されていたような一問一答は得意でしたが、「この時代の背景を踏まえて社会問題について述べよ」みたいな問題は0点でした(東大模試でマジで0点取りました)

英語は文法が苦手だったので、読解力をとにかく伸ばし、文法は捨てる作戦を取っていました。今でも文法は大の苦手です。
模試の成績はあまり覚えていませんが、早稲田大学はA〜C判定だったと思います。さすがにAが出たのは、1〜2回だったと思いますが。

Q:各科目の成績のバラツキはどの程度でしたか?
→順位はあまり覚えてないのですが、点数で言うと、英語は80後半〜90点台、国語は80点台〜90前半、数学70〜80点台、歴史系(日本史・世界史)70後半〜80点台、理科系(化学・生物)60点台〜80点台(単元によりかなりバラツキあり)という感じですかね。

ちなみにですが、センター試験のとき、英語だけは良くて180点でした。他は忘れてしまいましたが、総合でちょうど8割640/800だったので、足切りされないから受けちゃお!記念受験!くらいのめちゃめちゃ軽〜い気持ちで東大を受けました(笑)

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

学校の方針で、高2までで高校学習範囲を終わらせて、高3の1年間は受験に向けての演習をひたすら行っていたので、学校の授業だけで反復練習の時間はかなり取れていたと思います。

なので、受験期の8〜10時間というのは、授業も含めてです。

周りの子たちの志望校のランクが高かったので、それにつられて自分の意識も自然と高くなりました。

授業で赤本の演習をしたり、夏期・冬期の有料講習など、学校のサポート体制がかなり充実していたので、結局最後までいわゆる「学習塾・予備校」に通うことはなく、受験を迎えました。

Q:勉強のモチベーションの源泉は何でしょうか?進学校での周りからの刺激?沖縄から東京に出たいという気持ちですか?
→文系だと早稲田に進学する先輩が多く、うちの高校から早稲田に行くのが「エリートコース」みたいな雰囲気があり、漠然と「早稲田に行きたいな〜」という憧れを持っていました。

沖縄県内だと、最高が国立の琉球大学(当時は偏差値55くらい?)なので、もうちょいレベルが高いところを目指してみたい、実力を試したい、という意識です。

親の意向も汲んで、学校の先生に「琉大と早稲田を受ける」と言ったことがあるのですが、「もっとレベル高い県外狙えるでしょ」と言われたので、途中からは完全に早稲田に入る気になってました。

また、当時は「就職は沖縄でするもの」という意識が強かったので、「東京に出るなら大学の4年間しかない!」と思い、華やかなキャンパスライフへの憧れもありました。
 
志望校については「東京」「学費が安い」を基準に選んでいました。

東京外国語大学も本命だったのですが、文法が苦手だったこと、英語科は倍率が高いことを踏まえ、4年間ずっと語学の研究だけするのは無理かもと思って選択肢から外しました。数学は比較的苦手だったので、一橋は選択肢に入らず。

結局、早稲田が第一志望だったので、「東大受けたけど落ちた」の方がカッコいいしええやん!みたいなノリで東大を受けました。正直、受かる気はゼロでした。

慶応は卒業式と試験日がかぶっていたのと、学費が早稲田より高かったので、最初から選択肢に入れませんでした。
ガムシャラなくせに、信じられないほど強気な受験だったと思います。息子が同じことやるって言ったら確実に止めます。

Q:習い事は何をされていましたか?


→英会話、書道は卒業するまで継続していました。
Z会は、周りの友達がやっていたので親にお願いして始めましたが、通信だと完全にサボり癖が出てしまい、全然活用できませんでした。親に謝りたいです。

Q:習い事はどう学力に活きましたか?
→英会話:リスニング力アップ、日々の息抜きになっていました。

書道:完全なる息抜きです。無心になれるので好んで通っていました。

Z会:活きてません。

Q:高校以降の教育を振り返ってどう評価しますか?

→学校の教育環境などはとても整っていたし、家族もたくさんサポートしてくれましたが、得意な英語を伸ばすのに夢中になり、苦手科目の底上げをサボっていたなというのが減点ポイントです。

目の前の暗記などに時間を取られ、「これが何につながっているのか」「勉強するというのはどういうことなのか」「どうすれば目的を達成できるのか」まで深く考えることなく、ガムシャラに演習を繰り返す形になってしまったのが良くなかったと思います。
 
実際に受験したのは、東京大学(前期・後期)、早稲田大学(法学部、教育学部英語英文学科)の4つで、早稲田大学は両学部ともに合格し、結果的には良かったのですが、もう少し勉強のやり方を見直していたら、違った未来があったのかなと思います。

5.答え合わせを終えて

→書いているうちに「親はいろんなことしてくれてたんだな」と改めて感謝の気持ちが強くなりました。

母はもう亡くなってしまったので、当時のことは聞けないのですが、現在年長の息子の教育方針とか相談させてもらいたかったな〜と思いました。
 
<公文について>
公文をベースに生きてきたので、完全に賛成派なのですが、すべての人にとってベストな学習方法ではないと思っています。

「先取り学習をして出来るだけ力を伸ばしたい」というご家庭には向いていますが、「親がしっかりサポートできる」「子供が素直・真面目」という条件が揃っていないと、苦しむ場合もあるかもしれません。特に「素直」はめっちゃ大事です。絶対に。

最近知ったのですが、「公文はむしろ勉強が遅れている子が基礎固めのために通うもの(ちょっと恥ずかしい)」という認識の方も多くいらっしゃるようで、自分の体感とあまりに違って驚きました。

公文は「やっていれば自然と賢くなる」というわけではないので、各々の目的に合わせて適切に使いこなす必要があると思います。ただ、進んでいようと遅れていようと、個人のペースに合わせられるという点は、他に代えがたい優れたポイントなので、私は当面の間は息子にやらせるつもりです。
 
<学歴について>
私の仕事は、あまり学歴が関係ない職種なのですが、中高の友人や、大学の友人は、医者・弁護士・国家公務員など錚々たる職業についており、そういう人たちと「ただ同窓生である」というだけで、仲良くしてもらえるのは素晴らしいメリットだと思っています。

学歴だけが人生ではありませんが、良い学歴は更に人生を豊かにしてくれると思うので、「入れるんだったらいい学校入っといた方がいいぞ〜!」と息子にも伝えていきたいです。

6.編集後記

どうも、#1のカラシカシです。僕の主だった感想は以下の通りです。

①公文について
メイさんの公文の分析が正確というか適正評価なのかなと思いました。

当たり前ですが「公文さえやってればオールオッケー!」といった万能なものではなく(批判勢の多くは過大な期待が根本にありそう)、やはり一定の効果はあり、それを最大化するには極力早くにやり始めるということかなと思いました。オペレーター、教室次第なところも多分にありそうですが…。

②勉強時の視点
目の前の暗記などに時間を取られ、俯瞰的に勉強を捉えられなかったとのことですが、このバランス感覚は難しいところですね。
僕もとにかく目の前の暗記から逃げてしまっていたので(たいして俯瞰的に捉えれてもいませんでしたが…)
アリの目タカの目で勉強を捉えられる資質ってのはどうやって学んでいくんでしょうね??

あとはやっぱりお母様の戦略と戦術の上手さ、愛情と柔軟性ですね。これだけ教育熱心な中で、妹さんの路線変更はなかなか受け入れられない!!!




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