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世界観と水羊羹

これからの『水羊羹』の話をしよう。

突然なんなのだという感じだが、さきほど食べた水羊羹がほんとうにうまかったのだ。なんていうことはない、どこにでもある水羊羹だ。1個100円。どうせアフリカに行くならば、ドラッグストアで日本らしい食べものを買っていこうと考えて、2つ買っていった。

いつか誰かに聞いた、「アフリカの人はあんこの食感を好まない」という迷信を確認したいという企みが当初は存在していたのだが、案の定めんどうになって自分で食べてしまった。

コーヒーのお供に甘いものをと思い、なにげない気持ちだったのだが、これがほんとうにうまかった。コーヒーの適度な苦みに合う感覚。口に入れた瞬間に、甘すぎない優しい甘さ。ああ、これが羊羹だと。

アフリカ生活で、あんこのようなマイルドな甘さから遠ざかっていたからだろうか。それとも懐かしい味から日本への哀愁を感じたのか (たったの2か月なのにおおげさだというのはご愛敬だ)

ぜひ、アフリカ、いやアフリカといわず海外に行く日本人は水羊羹の1つや2つを持っていってほしい。僕の感動を共有できるやもしれない。

断っておくが、決して水羊羹はそんなに好物じゃない。どら焼きとかのほうがよっぽど好きだ。好きか嫌いかといわれると、好きに分類されるくらいのものだ。それでもこれは感動的な味わいだった、たぶん富士山の山頂で食うカップラーメンがうまいみたいなもんだろう。

これは自分にとって、”はじめての体験”で、そして”新しい感覚”だった。アフリカで食う羊羹がうまいなんてことは、どれだけ人から聞かされてもわからないし、自分で感じるしか味わうことはできない。

新しい感覚と出会うということは、自分の知っている世界が増えるということだと考えている。そしてそれは同時に自分の知らない自分に出会うということでもあると思う。

例を1つあげる。映画館に新作の映画を見に行き、とても感動的だった時のことを考えよう。その映画を見て、「かっこいい」「かなしい」「泣ける」と感じたとしよう。映画の中の世界観、動かされた自分の心や感情は、その映画と出会う前の自分にはなかったものだ。たとえ似たような感情や心の動きを知っていたとしても、それは似て非なるもので、まったく同じなんてことはあり得ない。映画を見た後の自分と見る前の自分は決定的に違うのだ。

感動にはいろんな種類があるけれど、新しい自分にであうという感動は格別なものだ。それを”若さ”と呼んだりもするんじゃないかな。ちょっと脱線したけれど、そうこの水羊羹との出会いでまた新しい世界に、新しい自分に出会うことができた。

新しい世界っていうと大げさだと思われるかもしれないけれど、宇宙だって、アフリカだって、それを感じるのはきっと景色を見たり、人と話をしたりすることも含めて、そこでどんな体験をするかだと思う。その体験に基づいて世界を構築するのだ。

少し自分の思想になるが、どんな人も同じ世界を見ているようで、全く違う世界を見ていると考えている。まったく同じ境遇で生きてきた人なんていないし、その人がどんな体験をしてきたのか、それによってどんな価値観が構築されたのか、その価値観という色眼鏡を通してこの世界を見ているのだから、この羊羹への感動もきっと、僕にとっては新しい世界へとつながっているのだ。

僕の人生を変えた名映画の1つに『LIFE!』という映画がある。この映画の雑誌LIFE!のスローガンがたまらなくかっこいい。

"TO SEE THE WORLD,
THINGS DANGEROUS TO COME TO,
TO SEE BEHIND WALLS,
TO DRAW CLOSER,
TO FIND EACH OTHER AND TO FEEL.
THAT IS THE PURPOSE OF LIFE."                                                                                                                                                                                                "世界を見よう
危険でも立ち向かおう
壁の裏側をのぞこう
もっと近づこう
お互いを知ろうそして感じよう
それが人生の目的だから"

これをさらに僕なりの価値観を通してのぞき込むと、こう考えられる。世界を見ること、そしてたくさんの新しい自分に出会うこと、その感動こそが人生の目的だ、と。

いつでも自分に驚かされていたいのだ。

もちろん、なりたい自分に向って努力することは大事だし、とても素敵なことだ。ただなりたい自分って完全を目指すアプローチだ。それだけでは僕は物足りなくなってしまう。

いつでも自分に驚かされていたい。そのためには今自分が何を見るのか、何を感じるのか、”今"にフォーカスして、"今"を最大限味わい尽くさないと。

この不完全な自分であり続け、予測不可能に変化し続けるクールさが、もしかしたら足りないと感じていたアフリカの一端なのかもしれない。一つの仮説としてしまっておく。

あと2か月の間に、どんな新しい世界に出会えるのか、楽しみだったりする。まあ、しょっちゅう日本が恋しくなったりもするのだけど(笑)

読んでいただきありがとうございました。

大阪大学の理系学生(休学中) アフリカが足りないという言葉に魅せられ、ルワンダに4か月間のインターンシップに来ています。主にこっちでの生活で感じることを徒然なるままに綴っていきます。