来ない「いつか」のため

花嫁修行だとか、いい人になりきるとか、貯金とか、勉強とか、勿体無いから捨てられない、とか。

日々、来ないであろう「いつか」のためになにかをたくさん準備していることが多いと感じる。
子供の頃、漠然と将来は安定した職業に就くんだろうな、なんて思っていた。そしていずれか結婚をして子供を産む、とも。

アラサーになってから思うのは、そんなみんなが描くような将来は当たり前にやって来てはくれないということ。
(わたしは人任せな部分があるため、「やって来てはくれない」という書き方をした)
そして、明日のために今の時間を費やすことが多いとも感じた。
それは決して悪いわけではない。
将来を明確にビジョンできている人間にとってはして当たり前のことだろう。
だが、わたしみたいに「え、生きるの無理、辛い」となっているような人間が将来を考えるのはとても違和感があるのだ。

結婚できるなんて思っていないのに花嫁修行をするのはおかしいし、
知らない第三者からの好感度をもらうために身近な人の好感度をあげるのもおかしいし、
将来年金もらえないだろうから今のうちに貯金しようとするのもおかしいし、
良い就職というのが何か分かってもいないのにひとまず勉強しておこうとするのもおかしいし、
着ない服なのに勿体無いから捨てないのもおかしい。

極論、死にたがりの人間が明日の心配をするのはおかしいのだ。
だって今ぷつりと糸が切れたら“その道”を選べるのだから。

そう気づけたわたしはなんだか無敵に思えて、
わたしは来ない“いつか”のために何かをするのではなく、
“今” 何が食べたいのか、何をしたいのか、
それを優先するようになった。
いずれか役に立つよ、なんて周りは言うが、その時が来たらわたしはその時がんばればいい。
どうせ今知識を増やしたとて忘れてしまうのだから。

わたしはこの生き方が自分に適している。

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