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「サーチライト」における「孤独」と「再生」の物語

前回の記事を書いてからはや2週間。遅くなりましたが、宣言した「サーチライト」の歌詞解釈をまとめようと思います。

この2週間何をしてたかって、
ただただ香港公演キャンセルに凹んでた。(触れないでください)

■承前

さて前回の記事では、「サーチライト」の歌詞における「携帯のライト」とは何なのか?ということに言及し、ライブでライトを振り合う意義について語りました。

今回語りたいのは演出的なことではなく、歌詞のことです。
「サーチライト」はさらっと歌詞を読むと幸せになれて良かったな~で終わるんですが、細かく見ていくとどういう意味だ?と思うところがあり、自分の解釈をまとめたいなと思ったわけです。曲を聴きながら、歌詞と見比べながら読んでいただけると嬉しいです。

語る前にひとつ補足ですが、これはあくまで自分が「サーチライト」を捉える上での解釈です。わたしの中ではこれが正解ですが、解釈は人の数だけあって当たり前。「なんか違うな」と思ったらそれはあなたの解釈ということで、まあつまり、お手柔らかにお願いします。

■「ぼく」を取り巻く状況

語る上で、歌詞の中の主人公格を「ぼく」とします。これは分かりやすさのためで、特に意味はないです。

文章を読むときは、まず対比構造を抑える。入試現代文の基本ですね。
この歌詞では一行目に「真っ暗な夜の海」、最終行に「新しい世界の朝陽」と書いてあるので、だいぶ分かりやすい構造をしています。
歌詞の中の単語をざっくりグループ分けしてみました。

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水平線を境界に、「夜の海」「新しい世界」の2つの世界が存在しています。それぞれどんな場所なのか、具体的に見ていきましょう。

■圧倒的な孤独の中にいる「ぼく」

1番のAメロ部分で、「ぼく」は「真っ暗な夜の海」にいます。そこは灯台の輪郭が霞むほどの暗闇で、周りには誰もいない。圧倒的な孤独の世界です。

この「何もない闇の中」で、「ぼく」は「悲しみ」の「傷」を負い、「痛み」を感じ、「後悔」を抱えている。マイナス要素盛り盛りです。

しかしこの絶望的ともいえる闇の中でなお、「ぼく」は希望を失いません。それどころか昔聴いた少年の詩に胸を弾ませ、「携帯のライト」が照らす「水平線」の向こうを夢想します。

何故「ぼく」は希望を失わないのか。

それは、この闇の中に未来がなくても、水平線の向こうに「まだ見ぬ新しい世界」「繋がっていく仲間」が待っていると信じているから。「0の可能性」が「1」に変わることを疑っていないから。

そうやって「ぼく」は、「小さな勇気と笑顔」で水平線を越えていきます。

■水平線の向こう側=新しい世界とは

夜の海を1人眺めていた1番とは対照的に、2番Aメロはあたたかな印象。「ぼく」が水平線を越えて、「新しい世界」に到達したことが伺えます。

どうやらこの「新しい世界」で、「ぼく」は誰かと「出会い」、その結果「悲しみ」の「傷を越え」ることができたようです。

「懐かしい声」の「喝采」が湧き、「始まりの鐘」が鳴る中で「ぼく」は「この世に生を受けて愛に触れる幸せ」と「頬を伝う雫も心に寄り添うこと」を確かめ合います。
確かめ「合う」ということは、相手がいるはず。それはきっと上で触れた、「新しい世界」で出会った”誰か”のことでしょう。

"誰か"の正体に言及する前に、歌詞の意味をもう少し噛み砕きたいところです。「懐かしい声」がして「喝采」が起こる――懐かしい、つまり最近は聞いていない声ということ。離れて住んでいる親や、昔の友人の声でしょうか。彼らに喝采を受ける中、「始まりの鐘」が鳴る――

これ、結婚式の情景なのでは?

ウェディングベルが鳴り響く中、親や旧知の友から祝福を受けている。そう考えるとしっくりきます。「頬を伝う雫」は嬉し涙でしょうか。心を切り裂くような悲しみの涙ではなく、誰かの心に寄り添うような、幸せだからこそ流れる涙なのだと思います。

とすると、"誰か"の正体は「ぼく」の結婚相手ということになります。
こう捉えて曲を聴くと、サビの「サーチライト」にかかる手拍子が、ちょっと拍手みたいに聞こえてくるから不思議です。

■3つの「リバースデイ」

世界観を理解したところで、さらに噛み砕いていきましょう。
「サーチライト」の歌詞には、3回「リバースデイ」という単語が含まれています。が、なんとそのすべての表記が異なるのです。

1. 最初のコーラス:「Reverse-Day」
2. 2回目のコーラス:「Re-Birthday」
3. 大サビ:「リバースデイ」

聴いているときは全部「Re-Birthday」だと思い込んでいたので、気付いたときには驚きました……。よくよく聴いてみると、「Re-Birthday」の「th」の発音がやたら強調されています。

表記が違う、発音が違う。それは、3つともに違う意味があることを示しています。それぞれどんな意味なのか、1つずつ考えていきましょう。

1. Reverse-Day
困ったことに、「Reverse-Day」でググると「Rebirth-dayとは」という記事が一番上に表示されます。お前の出番はまだ先だ。
仕方ないので、辞書を引いてみました。

reverse【形】
①<位置・方向などが>逆の、反対の、背面からの
②<関係などが>逆の、反対の、あべこべの
(小学館 プログレッシブ英和中辞典)

直訳すると「逆の日」「反対の日」。なんのことだ。

ここで思い出したいのが、対比構造にある2つの世界。「夜の海」から「新しい世界」にたどり着いたことを述べましたが、この世界の反転こそがreverseなのでは?
「Reverse-day」とはすなわち、世界が反転した日――水平線の向こうにたどり着いた日なのではないでしょうか。

2. Re-Birthday
これは分かりやすい。「再誕の日」ですね。歌詞の中でどういう意味を持つのか考えるため、こちらも辞書を引いてみます。

さい-たん【再誕】
一度死んだ者が、形を変えて再びこの世に生まれること。また、そのもの。生まれかわり。再生。(デジタル大辞泉)

え、「ぼく」死んだ?

(実は最初、新しい世界=死後の世界で、つらい現世を脱することができて良かったね!みたいな謎解釈が生まれました。そんなはずはない。

冗談は置いておいて、「形を変えて」というのがキーになるかと思います。「Reverse-Day」を受けての「Re-Birthday」と考えると、「ぼく」は「夜の海」から「新しい世界」へと反転している――別の世界で生まれ変わったと言えます。

世界が反転した結果、「新しい世界」に再誕したということですね。

3. リバースデイ
ここまで英語だったのにいきなりカタカナです。なぜカタカナなのか? それは、「リバースデイ」が「Reverse-Day」でも「Re-Birthday」でもないから。

歌詞の中で「リバースデイ」は「旅立ちの日」とされています。つまり、「Reverse-Day」「Re-Birthday」どちらかの表現では「ぼく」は旅立てない――そう、どちらかだけでは。

上で「Reverse-Day(反転)」を受けての「Re-Birthday(再誕)」と述べたように、ここでは両方の意味を受けています。逆説的になってしまいましたが、「リバースデイ」は「Reverse-Day」でもあり「Re-Birthday」でもあるということです。

孤独だった「ぼく」の世界が反転し、仲間と繋がって「新しい世界」に再誕し、結婚式という人生の新たな旅立ちの日を迎える――そんな「ぼく」の再生の物語が、3つの「リバースデイ」を通して描かれています。

■「サーチライト」とは何だったのか

そんな変遷を遂げた「ぼく」が、ずっと標にしていたのが「サーチライト」です。

前回の記事で「携帯のライト」が言葉の通りのただのライトではない、言うなれば「心の光」であると論じましたが、「いや心の光ってなんだよ」と突っ込んだ方も少なからずいるのではないでしょうか。

結論から言うと、この「心の光」は歌詞における「生きる覚悟」です。(なんで前回そう言わなかったって、考察がそこまで進んでなかったからですごめんなさい)

Cメロ部分をそのまま引用します。

ひたすら遠く目指し ひたすら走るだけじゃ
本当の自分は遠ざかる
足元で凛と咲く 小さな花見つめて
誓ったのは 生きる覚悟だった

おそらく「ぼく」は、自分が本当にやりたいこと・なりたい姿も分からないまま、漠然とした理想を追いかけていたのではないでしょうか。その結果「本当の自分」を見失い、「夜の闇」に閉ざされてしまう。

絶望的な状態で下を向いた「ぼく」の足元には「小さな花」。これは上で触れた結婚相手の隠喩かと思うのですが、「ぼく」はその花に「生きる覚悟」を誓います。

この覚悟、この誓いこそが、「ぼく」の心に光を灯し、「サーチライト」として先行きを照らしたのです。

■終わりに

考えれば考えるほど意味の分からない箇所が生まれてきて、ずっとサーチライトのことばかり考えている日々でした。ここまで1曲に向き合うこともそうそうないので、来る千秋楽では万感の思いで「携帯のライト」を振ることでしょう。

歌詞解釈を長文でまとめたのは初めてなので、読みにくいところもあったかと思います。最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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