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選挙

20201212

「選ぶ/選ばれるの関係から、つくることは救ってくれる」と何日か前に書いた。

そこから、ホップステップジャンプして、選挙について考えたくなった。

選挙の中の、投票って行為。それは選ぶ/選ばれるの関係のど真ん中なんだなあと思う。

投票はするのが当然な、しないことは悪だってくらいな認識が少なからずある。

でも、投票を放棄することが、選ぶ/選ばれるって只中から逃れることにつながると思うと、大切なことにも思えてくる。

お気に入りの家具を探す。
そのときに自分の好みにピッタリのものなんてまあない。

そして迷う。自分で集められる情報の中で、最大限納得するものとして妥協して、やっと選べる。

投票のもつレペゼン性、代表させるっていう行為には押し殺してしまうものが必ずある。

そしてそれは家具を選ぼうが、政治家を選ぼうが、何も変わらない。息苦しさをともなう。

僕はいつから、迷いや納得のいかないまま、何かを選択することに美徳を覚えたのだろうか。

わからなかったり納得がいかなかったら、立ち止またっていいのに、妥協してでも急足で決定を下すことの方が優れてるってどうして思っているのか。

選ばないっていう決断は、選ぶ/選ばないって関係の息苦しさから自由になれる。

投票しないことは、選挙の政治性、選挙/政治活動における正しさの押し付けあいに対抗することにだってなりうる。

別に投票を棄権することを推奨するつもりはない。

ただ、妥協して代表を選ぶって行為が、自分の中の何かを押し殺し続けてしまっていることに、自覚的でありたいと願ってる。

家具を選ぶ迷いから、そんなことを垣間見た。

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