身勝手ゆえ分業
20200608
生業、生きる業とはよくいったもので、生きていてやらずにはおれないことこそが、仕事になる、ってことなのかな。
人に会いたくないなあとか、うわこれやだあって思うことも、やらずにおれない(燃えるようなYES)ってことからの判断基準で、イヤイヤにやるとかではなくどうとでもやれる、というか。
そう思うと、生きる業としての生業は、一人であることから始まらざるをえないのかも。やらざるをえない部分に、他人って要素ははいりづらい。
やらざるをえないことは、勝手に一人で始めてしまうものであって。
自分以外が関わる場面が出てくることは不思議じゃないけど、別に関わらなくなっても勝手にやる。
生業ってのは、どこまでも、身勝手でありたい。
その身勝手さは、各々の持つ“技”が支えていて、それらが必要に応じて集まり、また解散することが、
群れで生きること(=分業)なのかもと思った。
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