AC
20220314
先日アダルト・チルドレンの自助グループに行った。
僕自身明確にSO AC(アダルト・チルドレン)な自覚はあって、かといって、そのことに振りまわされているかと言われればよくわからない。
カウンセリングみたいなモノを受けたこともなく、ACについての本を少し読んだくらい。内省と書くことを繰り返してはいる。
ただなんとなく、自分のことをACだと自覚し、そしてそんな人たちが集まって、何をするのかに興味があって、グループに行った。
個人的にはおもしろい体験だった。
それと同時にめずらしいモノではなかった。
妻と、家の中で日々おこなうやりとりと、同種のモノだった。
みずからのエピソードを物語る。聴く。
そんなことを日常的に、一番身近にいる人とできることってのは、たいそう貴重なことなんだなと目を開かされた。
回の具体的な内容は守秘義務のため書くことはできないけれど、気づくってことがしきりにキーワードとしてあがっていた。
そんな流れに身を委ねながら、瞑想オススメしたいなあという気持ちがむくむくする。
瞑想=“気づくこと”のワークです、と言えてしまうくらいに、瞑想と気づきは切っても切り離せない。
目の前で繰り広げられている現実が、自分の身体(心体頭)の癖がつくりあげてしまってるモノでしかないことに気づくこと。
癖に気づいて、癖を解きほぐして、個性で生きること。
瞑想にできることはそんなことのはずで、ACに対するアプローチとしてもできることがありそうと思えたことは、瞑想を伝える者としてもACの当事者としてもうれしい発見だった。
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