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世界平和

20210913

夕方は娘の保育園のお迎えに行く。

娘は園庭で小一時間ほど園庭で遊ぶ。僕は僕で、ボールを持参して、子どもと蹴るなり、ひとりで蹴るなりする。子どもたちがやる気になってくると、鬼ごっこやらの走り回る遊びに誘ってもらって、全力疾走する。

おおかたはお母さんたちがお迎えにきてる中、しょっちゅう父親がきていて、しかもマジなテンションで動き回っているもんだから、奇異な視線を感じることもめずらしくない。

がしかし、身体動かすのは楽しいし、子どもたちは手加減なしでやってくるもんだから、なりふり構ってる暇はない。

先日、いつメンの子とボールを蹴っていた(いつメンなんて人生で初めて使ったし、30歳の男が5歳の女の子をいつメンなんて呼ぶのもどうかと思うが)。

ボールが、その子のお母さんの元に飛んでいって、すかさず拾いに行く。

「いつも遊んでもらってありがとうね。立つ気もなくてゴメンねえ」と声。

いえいえ〜と言いながら、いやいや立たなくていいんですよマジで、と思う。

お迎えの時間に遊ぶのは、僕が、娘が、楽しんでるからってのが大前提ではある。ただそれと同時に、母親の皆さんに休んでもらいたいからってのが、僕の中ではあったりする。

妻と娘と僕との関係性をかえりみるに、どうしたって妻の負担が大きくなる。娘は妻に甘える頻度が高くなる。

だからできるだけ、妻が妻でいられる時間というか、少なくともお母さんでいなくていい時間をすごせるようにと、自分なりの工夫をしている。

保育園のお迎えに行くってのは、その一つだ。僕が娘のお迎えに行って遊んでる間に、妻は家で好きなことができたり、お灸したりして、一息つけるのかなと思う。

それに近いことが、一緒に遊ぶ子どものママたちにもできたらいいなあと思っている。僕と娘が他の子どもたちと遊ぶことで、その子のお母さんたちも、わずかばかりでも一息つけたりするかもしれない。

内心は、早く帰って晩ごはんつくらないとなんだけど!、とイライラしてたりするのかもしれない。まあ晩ごはんなんて適当でいいんじゃないと思ってしまうし、いくらでも選択肢はある。

身体が健やかであればどうとでもなる。そのための余裕の、ささやかなキッカケになっていたらうれしい。

自己犠牲とかではない。

あくまで僕が楽しめることをしているだけだし、娘が通う保育園のママたち/親たちが幸せなら、娘のお友達も幸せにすごしやすいはずで、巡り巡って娘も幸せなはず。

当然、妻の幸せ度が高ければ、娘も幸せにすごしやすい。結果、僕も幸せにいられるはずという、自分勝手な勘定がある。

そんな妄想じみた効果がおよぶ範囲なんて限られてはいる。

それでも僕にとっては、保育園のお迎えの時間は、ささやかだけど大切な、世界平和活動としてある。

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