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生きる歓び

20211220

年末の師走の空気にやられたのか。

来年の目標だとか、「これやんなきゃなあ」に意識が随分と割かれていることに気づく。

身体と向きあう時間がおざなりになっていた。

2年前、自分で自分の憲法をつくった。

当時流行っていた『7つの習慣』、いわゆる自己啓発本を真剣に読んだのは初めての経験だった。率直に感銘をうけた。ふつうに、実践しようと思った。

自分のお葬式に参列してくれる人たちに対して、どう在りたいか。それを軸に自分の日々を見直して、つくっていくのはいかが?と書いてあった。

仕事辞めたてで、はてさてこれからどないしましょな僕にはありがたい創造の時間だった。

しばらくの間、なんだろねえと保留したまま、ふと言葉がやってきた。

「生きる歓びに満ちた愛と勇気の人」。「生きる歓び」「愛」「勇気」。

要はアンパンマンの歌だった。

言葉が先にやってきたのか、アンパンマンの歌が先によぎったのかは覚えていない。

ただ、「生きる歓び」って言葉が湧き出て、それにくっつくようにして「愛」と「勇気」って言葉がやってきたことは確かだった。

会社を辞めたキッカケの一つは「ああ僕はこの29年間、生きるってことをためらって、生きることを楽しもうとすることを放棄してたわ」と、不意に感じたことだった。

そんなこともあって、「生きる歓び」って文字のならびがしっくりきた。

自分の、生の歓びを第一に大切にする。その上で、その歓びを「愛」と「勇気」をもってまわりにおすそ分けする。

「生きる歓びに満ちた愛と勇気の人」ってのは、そういうことのはずだと、自分で暫定的な定義をした。

今も変わらず、自分の憲法としてあるのだけれど、自身のチェックを怠るとすぐにダメになる。

「愛」と「勇気」ばかりが先行して「生きる歓び」を置き去りにしてるなんてことがしょっちゅうある。

昔も今も、他人の眼ばかり気になってしまう奴だから、気を抜くとあっという間に、外側へのベクトルが意識の大部分を占めてしまう。

だからこそ、やりすぎなくらい意識的に、自分の体心頭、その全体性(=身体)と向きあおうとしている。瞑想や書、料理なんかの、僕の日々のワークはそのためにある。

朝スッと目が覚める。このところふとんから出られず、久々に快適な目覚めで、動きはじめる。

軽くストレッチをする。それだけのことが、気持ちよくて、なんとも言えない至福に満ちてる。

目を閉じて呼吸をする。その一息に、これまで感じたことのないような満ち満ちたナニカがある。

スピリチュアルなこととは違う、身体に対する信頼感が手触りとしてあるような、そんな感覚。

そこら中に「歓び」は落ちてる。これだから生きることは辞められない。と今は思える。

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