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縛られない群れ

20200607

「カレーは群れてなくて、いいわ〜」 今日昼ごはんのカレー弁当を食べながら、そうつぶやいている自分がいた。

群れてる人、その集まりと、僕は関われないのかもしれない、とそんな自分を今日垣間見た気がした。

群れでいることと群れていることとの間に、大きなニュアンスの違いを僕は感じていて、その違いを目の当たりにした気になった。

人間は一人単独で生きられる動物ではない側面が強い。編成として、群れで生きた方がうまくいくんだと思う。分業。

一方で、群れるっていうのは、主義主張をあわせて、徒党を組むイメージ。個人へのリスペクトではなくて、主義主張へのリスペクト。

この後者が、僕には全くなじめない。
妻と今日のできごとを話しながら、引越の条件として、まわりにどんな人がいるかってどれくらい重要かを話していた。

結論、あすかと僕にとっては、子育て時の緊急事態以外、まわりに誰がいるかってことたいして重要でないことを知った。

むしろ、はるか山の奥でひきこもり生活くらいでちょうどいいかも、とか話した。生業の時だけ、交流をもつくらいな。

我が家の引越し事情はさておき、人間関係について考えるいい機会だった。

合わせるのでもなく、合わせてもらうのでもない、人間関係って、どれくらいあるのだろうか。

僕は、そういうレベルの友だちってあすかくらいしか実際いないから、よくわからない。

というか、合わせなくて合わせてもらう必要のない友だち、体とか筆とか紙とかサッカーボールとか料理・スパイス料理にまつわるものとか、そんなのしか思いつかない...。 まあ友だちうんぬんは置いておくにしても、主義主張が強烈にまとわりついて離れない人と、うまくやるのは骨が折れるなあと思った。

縛られることなく、脱力して、全力を出す。“空”。 そんな日々のために、自分が今できることをやる。瞑想、そして、瞑想教えること、もっとガチろうと思った。

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