はぐ
20210614
先日お会いした方が「私なんて何もできなくて」とおっしゃってて、僕からみたら十分にというか、できることを丁寧に行動されてるようにみえて、
「いやいやそんなことないですよ、動いてやってる人が一番ですよ!」みたいなお返事をした。
そのことを思い返して、申し訳ないことを言ってしまったと後悔してる。
やるやつが一番、っていう言葉には、“やってないやつがいる”みたいな意味合いが含まれちゃってる。
それは結果的に、やらないやつにならないようにっていう、無言のプレッシャーを押し付けてしまう。
はたから、やってないように見えてしまうのは、見られる側がどうこうの話じゃない。
見る側がただその瞬間に満たされてなくて、目の前の相手をどうこうジャッジしたいだけのこと。
それぞれはそれぞれなりのベストがある。ベストを尽くして日々生きてる。
そんな各々のベスト、在り方に対するリスペクトに欠ける発言をしてしまったと反省した。
ついつい、誰もがその時々のベストを尽くしてるってことを忘れてしまう。調子に乗っちゃうからなのか、自分で自分を救うことをおざなりにしてしまってるしっぺ返しなのか。
各自のベストの均衡によって、身体が、認識が、今に存在できる。
もしかしたら、当人にとっては、誰かと比べて見劣りしてしまうようなモノゴトがあるかもしれない。だとしても、卑下したってはじまらない。認めることからしかはじまらない(そもそも劣ってなどいないのだけど)。
自己肯定とかではない。僕はその手の本を読んだことがないから、自己肯定感って言葉がどういう風に使われているか知らないのだけど、たぶん、違う。
まず、認める。
肯定でも否定でもなく、受け止める。
良いも悪いもなく、ただ今のこの身体というか環境というかはこんなもんだなと、受け容れる。
それを無理矢理、大きくも小さくも、する必要はない。
ありのままで大丈夫、とか言いたいわけでもない。いや大丈夫なのだけど。
まあ、そのままでは大丈夫じゃないから、困ってるのだから、どこかへ向かったりした方がいいのかもしれない。
でもその動き出しの前にはきっと、今の我が身は良くも悪くも所詮こんなもんとハグしてあげて、送りだすことになる。
そうやって、我が身を包み込んだ先に、やさしくて険しい道が待ってるんだと思う。
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