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シーシュポスの苦難

『WILDRNESS AND RISK~荒ぶる自然と人間をめぐる10のエピソード~』
ジョン・クラカワー著:井上大剛訳 山と渓谷社

 青年がアラスカの荒野へひとり分け入り死ぬまでを追った、ベストセラー『荒野へ』のクラカワーが1990年代に雑誌に書き溜めた記事を編纂したエッセイ集。本書はタイトル通り10のエッセイを収録。
 

マーク・フ―、最後の波

 ハワイのワイメアベイにもひけをとらないサンフランシスコのマーベリックスの大波。その波に挑むビッグウェーブサーファーたち。なぜ、マーク・フーは命を落としたのか、その事故を追いながら現代サーフ業界をめぐるスポンサーやフォトインセンティブ(映える波乗り写真がお金を生む)の問題は、よりサーファーを高いリスクに追い込む。それって、いまのユーチューバーのノリにも近い気がしなくもない。

火山の下で生きる

 アメリカ北西部、カスケード山脈の最高峰レーニア山。日本ではシアトル発祥のカフェラテ、マウントレーニアでもおなじみ。あのカップのロゴの山、と思えばなかなか親しみを感じる。実はその山は活火山でもあり、今後大規模な土石流の可能性もある山だという。地質学者たちの奮闘。防災の観点からも興味深い。

エベレストにおける死と怒り

 エベレスト登山における現地シェルパが晒されている過酷な現状を伝える。以前に日本でもヘリを使って下山した登山家が非難されたが、冒険のリスクはお金で回避できるものなのか、そもそも冒険とはなんなのか、考える。

火星への降下

 ニューメキシコ州にある地下300メートルの地下世界レチュギア洞窟探検。その洞窟をNASAの科学者たちと訪れる。地下世界と宇宙、とりわけ火星環境と近いのだそうだ。深海が宇宙なら、地下世界も宇宙か。

転落のあと

 あるクライミング中に起きた転落事故をめぐってツアーガイド会社とクライミング製品会社の責任とその訴訟について。現パタゴニアの創始者、イヴォン・シュイナードも訴訟の渦中に身を投じられる。クライミングギアの不良問題は、やがてクライミング業界の問題へと大きく問題が波及していく。フィールドにおいてどこまで自己責任が問われるのか考えたい。

北極圏の扉

 アラスカの北部にある「北極圏の扉国立公園」。自然保護とツアーとの兼ね合い。どう自然を管理していくのか。その悠久なる遠い原野に思いを馳せたい。

愛が彼らを殺した

 アメリカの荒野療法ビジネスを追った社会ドキュメント。広大な辺境の砂漠にドラッグ中毒などの問題ある若者を連れていき、自然のなかで更生させる。その粗っぽさになかで、死人が絶えない。ボーイスカウトなどの文化など、意外にも野外学校はイギリス発祥だそうだ。日本でもかつて若者に過酷なマリンスポーツをさせて矯正させるものや、人里離れた場所に自給自足のコミューンを作り洗脳教育を施していた組織などがあった。自然は人を生かすのか、殺すのか。

穢れのない、光に満ちた場所

 ヘミングウェイの有名な短編を模したのか。現代建築に反旗を翻す型破りな建築家、クリストファー・アレグザンダーについて。彼は何世紀も前から石工や大工の知恵や技術を継承し、パタン・ランゲージによる建築を提唱する。日本では埼玉にある盈進学園東野高校の校舎で有名。都市計画としての建築。建築とは、人間の生活空間を創り、その先には環境問題があることを知る。

フレッド・ベッキーいまだ荒ぶる

異色の老登山家フレッド・ベッキー。すべてが型破り。そもそも常識にとらわれていては危険極まりない未踏峰登山など出来ないであろう。そういえばどうして山に登るのか、と問われて、そこに山があるから、と答えた登山家がいた。
登山家は、まるで型破りな芸術家のようだ。

苦しみを抱きしめて

本の最終を締めくくるエッセイ。クラカワー流の文明論。自然の話は突き詰めていくと文明論になるのは名著『荒野へ』でもしかり。2010年の講演をもとにしたエッセイだそうだが、現在のコロナ禍の予言と警告に満ちた内容。引用されるアルベール・カミュの『シーシュポスの神話』。巨石を山の頂近くまで上げるたびに転がり落ちる、その永遠で終りのない苦役。しかしシーシュポスは岩を押し上げる苦役の闘いを満足ととらえた。アルピニストはシーシュポスの神話か。
 断崖絶壁で苦闘し、苦しみになかに目的を探し意味のない行動のなかに意味を見出す、のだという。なにか宗教的な高みさえ感じる。かつてドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のなかで、ゾシマ長老が「苦しみを愛せ」と説いたがそのようなものか。アウトドアフィールドに身を置くことは、シーシュポスの苦難でもあるのかもしれない。


 


 

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