魂を実感するために その8 身体をバラバラに

身体で「魔法」を感じながら動いてみる。7月から8月にかけて、そんな稽古を楽しんでいました。
現実とは何か、イメージとは何か、相手と衝突した時、感じる世界は現実なのか、イメージなのか、だんだんわからなくなっていきます(笑)。

人は夢は見る事が出来ます。
強く夢を見られればどんな夢も叶う、そんな事も言われたりします。
では、どうすれば夢を失わず、見続ける事が出来るのか。そこはあまり、問われません。どれだけたくさんの失敗者がいても、わずかな成功者がいれば、その理論はどんどんと世に広がります。
では、その成功者がうまく言った理由は何なのか、実はそこに身体が関係している、私はそう思っています。

イメージを作れ、夢を現実にする時には必ずと言っていいほど言われる事です。最初に夢を作り、その後、どんな困難に出会おうとも、夢を失わないで過ごす。
大切なのは、毎朝のアファーメーションかもしれません。口癖、行動パターンを作る事かもしれません。大抵は困難な事。だからこそ、成し遂げられた時、喜びが出ます。
しかしこれ、とっても不親切ではないか、と思うのです。

金や名声、物欲を満たすようなものであれば口癖やアファメーションでもいいかもしれません。
命を奪われる事のない仕事ならこれでいいかもしれません。ゆっくり時間をかけて、無意識を変えればいいです。

しかし、武術は命のやり取り、しかも、次の瞬間には殴られ、極められ、首をはねられているかもしれないのです。
今回はうまくいかなくてもいい、それが許されない場所、それが武術の場面です。こんな状況で「夢」をどう持ち続けるのか。

親指の核と、手の平の殻で「イメージ」を作りました。このイメージは現実にも負けない力を持ちます。どうしても、肉体でうまくいかない時、このイメージが希望を与えてくれます。
水を作り、風を起こし、火を生み出し、土を使う。私にもそれぐらいのイメージはありました。

特に、土は粘土のよう。粘土の奥には「一粒一粒」があります。
また、火や風、水は相手に向かっていくもの。そして、組み合わせて行く時、そこに「勢い」を見る事もできます。

あぁ!今、大きな事を忘れていました!
人生を変える発見であっても、過ぎた事はすぐに忘れてしまう。それが私の才能かもしれません(笑)。
火、水、風、土以外にも、「雷」も重要なイメージでした。それこそ、最初は雷、「電気」をビリビリと感じたような気もします。今となっては定かではありませんが・・・。

雷の感覚、電気の感覚、それを手掛かりにすると、全身に電気が走っているのを感じられます。その電気が相手とつながり、動きが伝わります。
電気は圧力を必要としません。つながってさえいれば、伝わるもの。そういう「イメージ」はみんな、持っていると思います。

その電気、当初は表面を走るだけでした。指先から稲妻が!となれば面白いですが、そのイメージは生まれませんでした。
ただ、水や風、勢いをもつイメージを持てるようになって、身体が動き始めたからだと思いますが、徐々に、「飛び道具」を求めるようになったのです。

身体はひと塊、声は外へと飛ぶかもしれませんが、それは普通、面白くありません(笑)。
もっと、具体的な武器として有効になる飛び道具を作れないかなぁ、と思ったのです。

最初に考えたのは「レールガン」。名前程度の知識しかありませんでしたが、火薬がなくても、電気の力で弾丸を飛ばせる、と記憶していました。そして、電気ならビリビリと腕を伝う力は感じられる、これを手掛かりになんとかならないかを考えました。

ただ、幼稚な知識でチャレンジをしても無理です(笑)。
気持ちを切り替え、次へ。その時ふと、「弓」がひらめきました。レールガンに比べたら仕組みは簡単。引いて離すだけです。
この時、全身でそれをイメージしたなら、実際に弓をひくように、背筋を伸ばし、両手で表現をします。しかし、これではただの妄想、何もないのに飛び出していくイメージは出てきません。

飛び出していくもの、それを追い、身体を探ります。
この時、「指先」に意識が集中しました。指先、第一関節から先の骨を「矢」と見立て、第二、第三関節の指を弓のようにして引き絞り、放ちました。
すると、指先という、実に小さな矢が実際に飛び出したのです!

もちろん、これはイメージ。肉体はそのまま、指も外れません。
しかし、そこには確かに飛び道具を手にした感触がありました。

そして、この「小さい」イメージが身体に「バラバラ感」を与えてくれている事に気づきました。
これまでも魔法的に考えていく時、見えないものだけに、イメージする際には極小感はなくもなかったのですが、どうしても、胴体が持つ大きさ、重さ、そして、それを支える足に力が入り、バラバラにはなれません。

しかし、飛び道具になって飛び出してみれば、そこには「小さな私」がいます。小さな私が相手にぶつかり、攻撃をする。そして、その小さな私が集まり、大きな私を作っている。そんな連想が出てきました。

そして、バラバラをもとに考えを拡げれば、私たちの身体はバラバラそのものです。もちろん、細胞の話。60兆ともいわれる小さな細胞が集まり、私たちの身体を作ります。バラバラであるはずのものが、結びつき、塊を作ります。それをイメージ上でバラバラにする。それが出来ればなぁ、とまた、遊びます。

流れを見たり、ゴーレムを作ったり、それらもすでに形を得ているものです。流れや塊、バラバラではありません。イメージの段階ですでに、形を作ってしまっています。
それをバラバラに戻す。その視点を得た事、これが大切でした。

視点を得てみればあとは試すだけです。
大抵の場合、自分の中でそうかぁ・・・と納得してしまう考え方、術理を得ると、そのまますぐに、技として有効になってしまいます(笑)。
練習とか無しに、動きに反映され、技が変わるのです。

そして生まれたのが「バラバラパンチ」。
なんのひねりもなく、ただ、触れた瞬間、相手をバラバラにするパンチです(笑)。
意識するのは、こぶしが触れた瞬間、相手の身体がバラバラに砕け散っていくようなつもりで突いていきます。
これまで幾種類もの突きを考え、試してきましたが、重いわけでもなく、速いわけでもなく、気配がないわけでもない、ただ、相手へ手を伸ばしているだけの突き。それなのに、相手はなぜだか、崩れ、転びます。

これ、凄いのはこちらではなく、相手ではなかろうか、そう思うようになりました。
こちらが思う事を相手はちゃんと察知し、そのようにふるまっているからです。
もちろん、そこに「バラバラパンチ」という名前があり、それも暗示に一役買っているかと思いますが、それでも、理屈が分かれば、それを何とか防ごうと工夫が出来ます。しかし、あまりに考えの違う動きは想像が足りず、結果的に、こちらの思う事、想像する事、イメージする事を受け入れてしまうのではないでしょうか。

自分がちゃんとやる以上に、相手の感度が大切なのだと思うようになりましたが、これは私の中では苦手な部分。なぜなら、相手には自由に考えていて欲しいからです。しかし、現実に私のイメージと相手のイメージが「繋がる」事がある、とわかってしまいました。

自分と相手とのイメージがつながる。この境界線のなさがさらに、非常識な考えと私を連れていく事になります。

残りは後2回分。光の話と魂の話。
こんないい加減に書くような事ではないと思いますが、あくまでもこれは次の日曜に行われる「つくば稽古」で手がかりを持ってほしいからです。
実際に技を受け、言葉と経験がつながった時、それぞれの中で、答えを出してくれたら、と思います。
そして、自分の中に生まれてくる好奇心や興味を大切にして、一人でも多くの人が身体感覚を手掛かりとした一人稽古の世界へと足を踏み出してくれたらなぁ、と思っています。

【稽古予定】参加受付中
10/30(土)甲野先生の名古屋稽古会
10/31(日)つくば稽古会
11/27(土)川崎稽古会、新会場!

10/27(水) 名古屋
10/27(水) 大垣←再開!
11/13(土) 浜松(会場に注意してください。)

詳細はウェブサイトで。
カラダラボ ウェブサイト

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