怪我の功名 その3 必然の流れ

偶然はない

脚を傷めたのはおそらくストレッチ。そんな話をしました。
しかし、実は、もっと前から、この怪我の原因となる種が出来ていたのかもしれません。偶然に見える出来事も身体をモノサシにしてみると、そこにつながりが見えてきます。

前庭神経炎

昨年、前庭神経炎という病気をしました。耳の奥の神経がちょっと傷んでグルグルと数日目が回る、というものです。
後遺症残るものではない、という話でしたが、そのめまいによって、それまでの「ふんばり」による力が全く役に立たない、という経験を得て、私の頭はがらりと変わる事になりました。

これまでも努力禁止、と度々言葉にしてきましたが、身体レベルで、頑張っちゃいけない、と感じたのです。
そして、そこから具体的な動きが次々に生まれ、昨年は「弱くなる」を求めて稽古をしてきました。

腰痛

弱くなることを望んで稽古に励み、身体の力が抜けてきたのでしょう。昨年秋ごろにはこれまで経験した事のない腰痛に見舞われました。
おそらく、力が抜け始めてはいたものの、私の重い体重をこれまで力んで支えてくれていた腰がなくなり、その負担というか、バランスの悪さが腰痛へとつながったように思います。

2か月ほど腰痛に悩まされながらも、そこで「チャクラの1番」の使い方を見つけ、これもやはり、怪我の功名(笑)。
ただ、身体の不調は続いて、調子のよい時の方が少ないくらいになっていました。

頭痛

今年に入り、左右のバランスのずれは頭に出てきて、頭痛も度々経験する事になりました。
この頭痛は難敵でした。いや、有難いのは確かなのですが、腕脚もなく、動きが表だって出てきません。ただ、頭の中に響く電気的な痛み。それと共に過ごす時間が増えれば、自然とそこにも慣れが生まれ、もしかしたら、と想像する力を実感する手助けとなってきます。

めまいによってバランスを崩し、体幹の支えがなくなり、頭にまでバランスのずれが現れてきました。
そして、さらに、腕や脚にもその影響が出てきたように思えます。

左肘の痛み

そういえば、脚を傷める一月ほど前ぐらいから、左肘が痛く、力が入らなくなっていたのを思い出します。ただ、腕の事ですから、力仕事が不都合なぐらいで、まぁ、そのうち、と気にしなかったのです。


脚の痛み

とにかく、これまで蔑ろにしてきた「バランス」という問題を今、身体そのものを使い、学ばせてもらっているのだ、と確信をしています。
ただ立っているだけ、ただ歩くだけ、ただしゃがみ、ただ立ち上がり、ただ階段をあがるだけでも、脚は痛く、そのままではできません。

当然、ここに「工夫」がいるのですが、外で聞くどんなアドバイスもこの脚には無力でした。
この痛い脚は、この痛い脚に一番合った方法でないとだめなのです。誰も助けてくれません。

痛みがあれば毎日が工夫だらけに

今朝、階段を上がる時の方法を一つ考えました。
そのまま上がれば、右脚、膝下に強烈な痛みが出て、支えられず、上がれません。この時、左脚と比べてみると、痛くない左脚は膝から下へと力はいかず、むしろ、腰から上、頭の方へと力は流れます。

なぜ、右脚は膝下へと意識が行くのだろう?
そんな事を考えて、一段上がって、止まり、考え、また試し、考える、そんな事をしたのです。

この時気づいたのは足が先へと行き過ぎるのかな、という事。
平地を歩く時にはそれでもいいのですが、階段となると、うまくいかないのです。膝下に意識、力を活かせないようにする姿勢はないだろうか、と考え出てきた踏み出し方は、意識を仙骨の裏にとどめながら脚を出す、という事。

右脚を遠慮がちに、出すのです。
すると、これが膝下へと力が行きにくく、上がれるのです。

左と右は違うもの。
それをわかっていたつもりでも、やはり、日常生活の中の動きではそれを自覚できず、左も右も同じように脚を出していたようです。

仙骨の裏に意識を置いて、右脚を出す。これはある意味、半身的な姿勢。神主さんのように常に同じ側の足で上がる、というのではなく、両足交互にも関わらず、体幹的には左右に違いを作り、上がる。これ、半身そのものかもしれません。

治す事に一生懸命になるよりも、毎日を工夫して楽しく過ごす

もし、めまいをした時、それを病気だ、と排除して治療をして、元に戻った、と喜び、弱さを求める事をせず、これまでどおり、しっかりと強い姿勢を求めていたなら、きっと、怪我の功名力には気づけなかったはずです。

力を求めて入れ続けていけば、ちゃんと身体にはそれを受け止める力があります。めまいによって一瞬、弱くなったとしても、また、支えを作っていけば元の通りになります。
力を入れる方にもメリットはあり、また、こんなにもしっかりできるのか、と喜びもあるし、稽古自体は楽しさが続いていたはずです。

ただ、やはり、「いつか来る弱さ」に向き合う時間が必要です。少年、青年期なら強さを求めてもいいでしょう。
しかし、壮年、中年、老人と進んでいるのを考えたなら、弱さを研究する時間を増やした方がいいはずです。

身体の声を聴く、そんな稽古を続けてきました。
そして、半ば強制力のような働きがこうして、病気となり、怪我となってくれているように思えます。

観察をするためには弱音を吐かない前向きさが必要です。必然、として受け入れてみれば、自然と研究意欲がわいてきます。病気や怪我、それを嫌い、文句を言って治るものではありません。うまいところで諦める、それが大切なのですが、そのためには多少のメリットも感じたい。その小さなメリットを稽古は教えてくれます。

ぜひ、日常生活に一人稽古を入れてみてください。

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