呼吸は簡単! その3

「呼吸は簡単!」シリーズの3回目。

前2回はまぁまぁ、受け入れられる事だと思っている。
息を吸い、胸から腹へと落とす感覚はそれほど難しくない。腹式呼吸が普及してくれているおかげ。

ただ、一つの理論が有効すぎると、次の理論へと行かない場合がある。
呼吸の持つ力、働きは内臓まで。そんな観念があるように思う。
もちろん、歌は腹からも歌えるから、その全てが内臓止まり、というわけではないが、さぼっていても動いてくれる機械が出現し、呼吸を動きを生み出すエネルギー源にしなくては、という必然性が無くなったように思う。

今日の話は「腰椎から骨盤、胴体」までの話。
動力を持つ機械が現れる前、仕事はそれぞれの身体を活かす事で行われていた。この脚で歩き、この腕で鍬を振り、重い物を持った。あらゆる仕事は身体が資本だったはず。

もちろん、今もそうだ。しかし、必要とする身体のレベルが変わった。仕事は指先の操作によってなされる。必要とするのは、脳みそ。自分が考えたいように脳を使えば良くなってきている。
重い力、気配のない力を身体に求めなくても、機械がそれをやってくれるようになった。

今日話をする「腰椎の呼吸」を使っても、自動車の力には敵わない。重い物だって持てない。
しかし、だからと言って知らずに生きていくのはもったいない。

もちろん、若い子たちの多くは健康にも、老いにもまだまだ興味も必要性も感じていないだろう。身体の声を聞く事がどれだけ大切か、頭ではわかっているつもりでも、身体の丈夫さがそれを消してしまう。
また、歳を重ね、中年、老年になってきて、健康や生きる事の意味を求めたい、と思っていても、常識が邪魔をする。特別ではない私が、そんな哲学的にも思えるような真理、神秘を得られるはずがない、と思っていしまうかもしれない。

しかし、違う。
今回「呼吸」について話をしているが、実は「簡単」という方が大切だったりする。
新しい呼吸観を得ても、それで終わりではない。それを身体感覚の入口としてくれたなら、その後、次々と新しい興味が身体に湧いてくるはずだからだ。

情報社会に住む私たちは興味を得た時、知識を探しに行く事をしてしまう。求めればいくらでも得られる情報だが、実は自分の中に探してみた方がいい場合がある。しかし、自分の中に見つかる情報に価値がある、と思うのは簡単ではない。
長年の「正解」を与えられた教育法が、それぞれが思いつくアイデアの価値を認めさせてくれない。しかし、それぞれが思いつくアイデアをつなげていった方が、結果的に身体感覚的広がりは増えていく。

話が長くなったので、「腰椎の呼吸」に戻す。
呼吸が口から胸、腹まで落ちた。
腹が膨らみ、にわか丹田と思えるようになっているかもしれない。下半身に大きさを持てば重心も下がり、動きは変わるが、これで満足してはいけなかった。
内臓的腹の外側を守るように呼吸が満たされると、「安心感」がとてつもない。

言葉で伝えても、実感、経験がなければうまくいかないかもしれない。それでも、こんな事もあるらしい、と知っておくだけでもいいし、経験したければいつでも、試せるようにしている。

腹に力が入り、重心が落ちると腕の動きは良くなる。強く、速く腕を動かしても重心の崩れが少なくなるからだ。
しかし、それでも、内臓的腹と腕を結ぶ間が抜けている。骨盤から胴体が空っぽでは身体を活かしきれない。
胴体、体幹を鍛える、という話になれば「インナーマッスル」を想像する人もいると思うが、奥深くにある筋肉を意識するのは簡単じゃないはず。筋肉の名前と位置を覚え、それぞれを連動させるように意識をしなくてはならない。これが、どれだけ大変な事か・・・。そんな事に何年もかける余裕はないはず。

しかし、呼吸なら簡単。
なぜなら、呼吸はただ一つの流れがつながっていくだけだから。
口鼻から入り、胸を膨らませ、腹に落とせた。ここに流れがもう見つかっている。腹に入った呼吸の力はそのままでは行き場を失い、溜まるだけ。この力を動かせれば「次」のスペースが見つかってくる。

腹の次、それが腰椎。
腰椎は背中に感じられるもの。腰椎を意識して「後ろへ」と、折る。イメージは「チューチュー」や「ポッキンアイス」と呼ばれる懐かしいアイスな感じ。ポキッと折る感じが似ている。
後ろへと折ると腹に溜まった力が「骨盤」へと落ちるのがわかる。これで内臓的腹から、骨格の世界へと舞台が変わる。

骨盤に溜まるとさらに重心は安定する。動きが多い内臓よりも固い容器のようになっている骨盤だからかもしれない。理由はいくつか考えられるが、それはどうでもいい。感覚的に「確か」になっている事を自覚してほしい。

骨盤に溜まった呼吸は胴長のタンクになっている胴体を満たしていく。なんというか、内臓の周りにしっかりとしたバリアが張られるように守られていく。
実際に胸のあたりには「肋骨」があり、内臓を守っているが、腹には骨はない。そのままでは外からの刺激に対して内臓は無防備。ちょっとした動きに、内臓は過敏に動き、感情を揺らしてしまう。
私は臆病な性格だが、その臆病の原因がここにあったのだ。

しかし、骨盤に漏れ出した呼吸が胴体を満たすと、内臓は外から守られる。内側からの張りを得て、ちょっとした刺激は気にならない。
筋トレをし、身体が筋肉に覆われると性格が変わる、とはよく聞くが、一朝一夕に筋肉はつかない。また、一度つけた筋肉を維持するのには大変な労力がいる。

呼吸ならそれがいらない。いつも通り息をして、ちょっとだけ「腰椎」の動きを気にするだけで骨盤に漏れ、自噴する泉のように自然に胴体全体に満ちていく。
感情を揺らす内臓が守られるから気持ちは強くなる。
この準備をしてから、これまでの生活で得てきた技や仕事、力を使えばどれだけの成果アップが見込めるだろう。

現代は忙しく働かなくてはならない。新しい仕事、技を覚えるだけで時間はなくなる。わざわざなんの保証もない、身体の事、呼吸の事なんて気にできないかもしれない。
しかし、もし、新しい技、仕事にちょっと限界を感じたならほんの少しでもいいから、ぜひ「身体」の事に目を向けて欲しい。ちいさな気づきが身体に見つかると、自分への見方、人間への見方が変わってくる。それは今の日本、世界が見捨てているもの。積み重なっていくと、ある時、あふれ出し、喜びに変わる。

遠回りに思えるのは仕方がない。実際、そうだと思う。しかし、頭が直線的に答えを見つけてしまうから、失敗が増えるのだ。身体が与えてくれる経験には失敗がない。全ての経験が積み重なって自己重要感、肯定感を増やしてくれる。
歳を重ねて老いていくと日常生活だって重く辛くなる事が増える。なかなか喜びと共に生きるのは難しいとされる。しかし違う。「簡単」なのだ。息をするだけでも生まれてくる喜びがある、と実際に経験できてしまう。

私にとって、今回の「呼吸」への気づきは本当に大きい。
ただ、動きとしてそれを紹介すると、これまでとは違う感覚、タイミングで相手を崩し、動けるんですよ、と終わってしまう場合がある。
もちろん、それは大きな成果なのだが、こうして長々と言葉を重ねているように、生きる事と直結した気づきだ。

何千文字を使っても、よし伝わった!とはならないと思う。ただ、それでも、ちょっとでも、「自分の」身体の事、呼吸の事に興味を持ってくれたら、と思って書いている。
本当に「簡単」なのだ。これまで当たり前にしてきている呼吸にもっと、身体を巡るルートがあるだけの話。
今こうして話をしているのは「呼吸が身体を巡る地図」。すでに存在しているもの。開拓する努力も根性も要らない。身体はそうなっている、だから簡単なのだ。

呼吸が胴体を満たしてくれたので次回は腕と脚へとそれをつなげる。
これも簡単。特に「肘」がそれを助けてくれる。肘の意識を変えれば、自然と胴体に溜まった呼吸は腕脚へと流れ関節を守る力に変わる。

長々とすみません。詳しくは稽古で聞いてください。たとえ、その日、どんな話題をしていても、遠慮なく、聞いてください(笑)。

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