武術を稽古していたら癒されてしまった話

私は物心つく前から武道の世界にいます。父が道場を開き、指導をしていたからです。
強く跡取りに、という事は言われませんでしたが、それを疑わない程度にはうまく育てられてしまいました(笑)。

私の学んだ武道は心の世界も大切にするものでした。
宇宙の根源も考え、人としてどう生きて、どう社会を作っていくかという大きな教えを持っていました。
教えもあり、技もある。そして理想が大きい。
一修行者であれば、それらは建前として捉え、楽しい技の練習に打ち込めばいいのですが、頭の固い私は、理想を追ってしまったのです。

自分がいくら弱くても何とかなる。
それは人間には無限の可能性が秘められているからだ。そんな教えがあっても、それを自覚する事って難しいです。
当然、私も迷います。ただ、目の前には練習すべき技があり、技と向き合っていれば、迷う暇なく過ごせます。
ただ、それも、自分が指導の役割も得てしまうと、迷いはさらに大きくなります。

迷いに迷った22歳の時、甲野善紀先生に出会いました。
先生に見せてもらった世界は「身体感覚」という世界。それまではどうしても、受け継がれている「手順」を学ぶ事が主であり、その技を生かす時にそれぞれがそれぞれが持つ感性でやるしかない、と思っていました。
感性とは才能であり、努力ではどうしようもない、と思っていたのですが、身体感覚そのものを探り、拡げ、伸ばす道がある、と知ったのです。

そして、それを探る方法こそが「一人稽古」でした。
手順を追っていた時にはどうしても、手順通りに、という事を気にして、身体感覚そのものへと注意が足りません。
一人稽古という道は、外にある手順という道から外れるという事でもありました。
これを言葉だけで聞けば、自分に出来るだろうか、と不安にもなりますが、私は甲野先生から直にその動きを受け、身体感覚の持つ力を体験しました。
この体験があまりに衝撃で、頭真っ白になりましたが、だからこそ、手順を捨て、身体感覚を探る道へと入れたと思います。運がよかったです。

武術の技を通して身体感覚を探りましたが、手順も形も、基本も捨てて探れば、もうそれはおおよそ武術らしく見えなくなっていきます。
ただ立つだけで何とかなる。ただ歩くだけで何とかななる。ただ手を振り回せば何とかなる、と動きが変わってきました。
もし、学んだ技を大切にしたいなら、こんな動きにはならなかったはずです。
しかし、私は全ての手順を捨てました。もっと救われるように、と考え、求めてみたら、おおよそ武術らしい技がなくなってしまいました(笑)。

ただ立つだけ、歩くだけ。これは「日常生活」そのものです。
そして、それを常に意識していく事で、心にも変化が生まれてきました。
なんか、いつも楽しく、愉快でいられるようになってきたのです。
もちろん、嫌な事ってあります。
その嫌な事は目の前の小さな事から、世の中の事、政治や経済の事など、大きなものまで現れます。
歳を重ねて、老いていく事も知りました。怪我もするし、病気もします。
不安もあるし、わかるんですが、心の中にはいつも灯りがともっているのを感じます。絶望を感じよう、と思っても見つかりません。

これ、やはり、「武術」を通して探ってきたからだろう、と思います。
武術はいつも、「絶望」を想定し、稽古をします。
スポーツはコンディションを整えて舞台に上がりますが、私が探る武術は常に、想定外、絶望の瞬間を考えるのです。
その絶望は最初、肉体的争いがテーマでしたが、徐々に日常の中に見える心の揺れが相手になります。
心が揺れて落ち込みそうになった時、身体に頼ってみれば、そこに「動き」が見つかります。小さな動きが一つ見つかれば、それを育てていけば、何とかなってしまうようです。

気づけば今、「ヒーリング」としての稽古もするようになりました。
しかし、そのヒーリングも、きっと、常識的な見方からすると、「変」に見えるかと思います。
人智を超える未知のエネルギーはありません(笑)。
身体を通して見える力は、ずっと自分の中にあったもの。生まれた時から持っていた力です。
外からくる力は手に入れた時、特別感があるでしょう。自分は選ばれたのだ、と嬉しい気持ちになれます。
しかし、この時には選ばれるだろうか、という不安も出ます。また、手に入れた力がなくなるかも、という気持ちだって出るでしょう。
身体を通してみる力は決して「手放せない」ものです。
自分が持っていた事を知ったなら、もう、それと共に生きるしかありません。どんな力を使うか、使わないか、その選択が大切になります。

身体の持つ働き、動きを知ったならいつの間にか愉快になってしまう。
この気持ち、「癒されている」と表現していいものだと思っています。
病気や怪我をして、そこから急速に治りたい、と思う気持ちはあるでしょう。
そんな奇蹟も世界のどこかにはあるかもしれませんが、そんな頻繁には出てきません。だって、「奇蹟」なんですから(笑)。
怪我もして、病気もして、老いて、やっぱり死ぬ。このどの時だって、身体感覚を通して生きれば、「癒されてしまう」のです。

身体感覚という世界を知って随分と経ちました。
まさかこんな生き方になるとは、夢にも思いませんでした。
そして、この先の自分の変化も想像がつきません。
肉体は老いるでしょうが、その度に感覚は広がるのだろう、とわかります。楽しくないはずがありません。

明日からまた関東方面へと出かけます。
私の稽古は一回稽古制なので、いつも、一期一会です。
ノートやエックスで散々好き勝手に言葉を出させていただいています。
ぜひ、たくさんの疑いを持って、どういう事??といっぱい聞いて、試してください。
よろしくお願いします。

関東稽古のお知らせ

「つくば稽古」
日時:2024/6/2(日)13:00-20:00
参加費:10000円(当日払い)
会場:つくばカピオ リフレッシュルーム
住所:茨城県つくば市竹園1-10-1 

「東京ロングヒーリング」
日時:2024/6/4(火)10:00-17:00
参加費:24,000円(当日払い) 最大人数6名
現在はキャンセル待ちとなります。
会場:大岡山西住区センター
住所:目黒区平町一丁目15番12号

「東京夜稽古」
日時:2024/6/4(火)18:00-21:00
会場:大岡山西住区センター
住所:目黒区平町一丁目15番12号
参加費:参加費10000円(当日払い)
同日10-17時にある「東京ロングヒーリング」に参加の方は5000円

共に詳細、申し込みはウェブサイトから。
http://www.karadalab.com/

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