恐怖の正体 その2

私の稽古はそれまでの自分の技を否定し続ける稽古。こう書くと、なんとネガティブな稽古だと思うかもしれない。しかし、違う。逆だ。これまでの自分の動きでは何ともならない状況を打破し続けるのだから、ポジティブとも言える。
ただ、技を持つほぼ全ての人が流儀を持ち、そのレベルを磨いている。その技自体を捨てろ、と言われてもなかなかできないだろう。楽しく技を捨てるって、流儀に属していたらちょっと、出来ない

私にも技はあった。甲野先生に出会った時には相当な数の技を持っていたし、技の一つ一つに細かな説明を受け、それを覚え、「上手に」なるための練習をしていた。
しかし、これがいけない(笑)。

上手になろうとすれば感情は育たない
手順として動きはよくなっても、イザという時、勝負を決めるのは感情だ。
私は臆病だ。これまで何度もそれを言葉にしてきた。相変わらずそれは変わらない(笑)。しかし、今回、その臆病な性格を心の底からありがたい、と思った。もし、この臆病な性格がなければ、今回の発見、「恐怖の正体」には絶対に気づけなかったはずだからだ。

敵を目の前にすれば怖い
長く同じ世界で稽古をしているとこれを忘れてしまう。試験、大会のために練習してしまえば気持ちは日常、恐怖は現れない。また、集団として日々、練習をしていればどうしたって練習メニューが大切になる。その時、一人、全身で恐怖を表現してしまえば、まわりは困るだろう。なかなか恐怖を実感しながら武術、武道の練習が出来なくなっている
しかし、敵を目の前にした時、一番大きな問題は相手に対して、敵と思ってしまうほどの恐怖を持っている、という事なのだ。

目の前の相手に恐怖が生まれなければ敵として認識する事はなくなるのではないか。そう考えている。
恐怖の克服をどうすればいいのか。それをずっと、考えてきた。

相手よりも強い武器を持てば怖くなくなる、そう思うかもしれない。ゲームであればそれでいい。しかし、生身で向き合った時、その武器を奪われたら、その武器が壊れたら、その武器が通用しなくなくなったら、その武器の使用を第三者から咎められたら・・・、色んな可能性が感じられる。それを考えてみたなら、簡単には恐怖は消えない。
いかにして、このまま、今持っている恐怖をとる事は出来ないだろうか、それが私の稽古の根幹。

そして見つけたのが、
頭を落とした姿勢
だ。

恐怖の元、正体は胴体にあったのだ。
胴体の中でも腹だ。ただ、腹と胸は隣同士、胸がよく使えるようになっても、恐怖を感じた腹が邪魔してくる。邪魔をされれば僅かであっても、反応しなくてはいけない。完全に切らなければ安心して動く事は出来ない。

だからこそ、「頭を落とす姿勢」が必要になる。
頭を胴体から切り離すのだ。この時、重要なポイントになるのが「」。首をうまく使い、頭を落とす。それが出来れば、腹は敏感な反応をしなくなる。恐怖を感じていた場面に出会っても、それを「気にせず」、「いつも通り」で過ごす事が出来るようになる。

首を使うのがポイント。
「首」が大切、とはよく言われる事だ。しかし、大切にする事で結果的に首を主役にしてしまう。これではダメなのだ。
首となにか、それを改めて考える必要がある。
何人かの人に「頭を落とす姿勢」を伝えて試してもらってきたが、首の働きを大切にしている人ほど、出来ないから面白い。しかし、それは当然。首が大切なのだが、それは首を手放すから首に頼らないから大切だからだ。

また次回、「頭を落とす姿勢」を試す際の首の使い方、考え方を細かく書きます。

【稽古予定】参加受付中
5/22(土)神奈川川崎稽古
5/29(土)甲野善紀浜松稽古

5/8(土) 浜松
5/9(日) 名古屋緑区
5/12(水) 名古屋緑区
5/21(金) 名古屋熱田
5/26(水) 名古屋緑区
5/27(木) 瀬戸ヒーリング
5/28 (金) 名古屋東山

詳細はウェブサイトで。
カラダラボ ウェブサイト

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