心と身体について。心と身体は仲よく出来るのだ。

久しぶりの更新で、次回は「虚の世界」について、とお知らせをしていましたが、書いている途中に、気づく事があり、どうしても、それを書いておかなくては・・・、と寄り道をする事にしました。

それは心と身体についてです。
このテーマ、まさに私の人生そのものと言えるものです。そこに気づきがあり、向き合い方が分かったのですから、その興奮も察してもらえるかもしれません。

とにかく、甲野先生に出会う前までは才能なく、自分自身に悲観をして生きていました。
その才能がない事も表に出して悔しがる事すらできず、ある意味、心を殺して生きていたように思います。

それが甲野先生に出会い、「身体」という世界を知りました。
心の世界で楽しくなれず、また、感じたものを手掛かりにやってやるぞ、とやる気も出せずに腐っていたのです。
しかし、甲野先生が見せてくれた「身体」の世界はそんな私を全く気にせず、ただ、「そこに在るもの」として余裕を見せてくれました。

自分の中にもものすごいものがあるんだ、それを甲野先生は見せてくれたのです。
もちろん、すぐに結果が出るわけではありません。いや、世間的にみる結果であれば、今もないです(笑)。
しかし、考えもしなかった結果や成果が一人稽古を信条に生きるようになり得られるようになりました。

30年近くの時間を一人稽古に費やしてみれば、老いる事や病む事にだって意味を見出せるようになります。嫌ではなくなります。
老いや病を自覚する度に、動きが変わるのです。
百メートルを走るような記録は変わりません。むしろ、努力をしない私はそんな力はどんどんと衰えます。
しかし、今、こうして椅子に座っていたり、手を伸ばしてコーヒーを飲んだり、毎日の生活、日常生活の中にたくさんの動きを見つけられるようになり、自然と心は楽しくなりました。

今、武術だけではなく、ヒーリングの稽古もしていますが、まさに一人稽古を通して日常を暮らすのは、そのまま自分への癒しになるな、と改めて確信をしました。
誰かからお墨付きをもらうからではなく、自分の中にちゃんと愉快さ、楽しさがある、とわかるのです。
いつのまにか、心騒ぎ、動く生き方を手に入れていたわけですが、それは「心身一如」の働きがあるからです。

心身一如はよく知られた働きですし、それを信じている人や確信している人も多いでしょう。私もそうです。
ただ、今この喜びを持って感じるのは、その心身一如の働きを特定の方向からしか見ていなかったな、と思うのです。
今、まさに、ついさっき気づいたのは「心」と「身体」が常にここにあり、それらが決して崩れず、壊れず、同じようにいてくれる、そんな感覚でした。
ちょっと洒落て言えば、心と身体がずっと、永遠のダンスを踊っている、という状態です。

心に希望を持てず、腐らせていました。
この言いようもない絶望感があったからこそ、身体へと指揮権を与える事ができました。身体の凄さを感じ始めてからは、もう、身体に全てを渡してしまおう、そんなつもりで生きてきたのです。
常に世の中を「身体メガネ」でみるようなもの。心の側に立つ人からは、実に奇妙に見える事でしょう。
ただ、この世界にはまだ、「苦」もあり、身体がそれに縛られる事が多いです。特に、この30年はなんとなく平和な時代から、ちょっと緊張感があり、未来を楽しく見れない時代になり、心だけを頼りにするのには難しくなりました。

そんな「苦」を糧にして生きるのが武術です。
気がつけば、私の心は身体によって、なかなかに愉快さを維持できるようになってきています。
こんな経験を重ねていくと、やっぱり身体は凄いなぁ、と思うようになります。ただ、それでも、心の世界は魅力的であり、なんとかそれも主役にして生きてみたい、と思うようになります。

そんな思いが稽古に現れるのでしょう。
私の中にはおおよそ、身体の使い方とは思えない術理があります。
個人的には間違いなく身体、と言えるし、言ってきていますが、なかなか信じてもらえません(笑)。
そんな術理が生まれて来るのは、心の世界を実感したい、という欲があるからだと思います。

私の頭は単純で、どうしても、黒か白かを求めます。いや、そうじゃなくては迷ってしまい、動けなくなるからです。
身体に従えば何とかなる。これは確信です。この先だって、心に迷いを作らず、どんどんと身体に任せれば大丈夫、という確信はあります。しかし、やはり、不安もでるのです。臆病はなかなか取れません(笑)。

年が明け、見えてきたのは「虚の世界」。
これなんかはまさに、身体から見た心の世界です。
身体に何かを感じた瞬間、「そうじゃないもの」を追うのです。すると見つかるのが、虚の世界でした。
実感がないけれども、在る。そんな世界を「虚」という概念を通してわかりました。しかし、それでもまだ、これは身体から見た世界だったようです。

一月程度であっても、毎日、ずっと、虚の世界を探し過ごしてみれば、だんだんと、虚の世界の有無に疑問を持たなくなります。虚の世界にすら、飽きるのです(笑)。
そして再び実の世界に戻ってみると、見えてくるのは虚の世界にあったものです。
歩行という日常生活の中からは絶対に捨てる事の出来ない動きの中に考えもしないものが見つかりました。
足裏にかかる圧力を意識する事なく、両脚を基準に歩く術理が見つかったのです。

脚に見つかれば、腕にも見つかります。
この時、基準になるのは両方の出会い方。両脚が「常に」、尻膝足で作られる「平面」を合わせるように歩くのです。
そして、これは腕でも同じ。肩肘手、3点を決めれば平面が出来ます。左右、それぞれの腕に平面を作り、それが常に平行でいるようにして使います。
これが実に「安心」を与えてくれるのです。

この時の安心は命の危機へのものではありません。
命は内臓がいる体幹にあるものなんでしょう。腕や脚にあるのは、迷いなく動ける、という安心です。
それぞれの腕や脚に力があれば強引にでも動けますが、これだけ機械があふれる時代です。力任せでは生きられません。当然、力以外の何かが必要になります。
身体感覚はその手掛かりをくれるものですが、私の頭は「何か」に囚われてしまい、全体が見えませんでした。しかし、そんな小さな見方であっても、驚くべき成果をくれていたのです。本当に身体は凄い。

見つかったのは「平面」です。
平面を自覚し続けるのは視野というちょっと広い意識の使い方が必要になります。
平面を自覚し、それによって出会う。そして、それがあるならば、とてつもない安心が得られる。それが脚と腕に教えてもらえたことでした。

そして、いよいよ、これが「心と身体」に繋がります。
心は形がないもの、そして、身体は複雑で多様な形があるものです。
次元が違うのです。どうしたって、コミュニケーションは難しいです。だからこそ、結果的に一つになるのだ、という「心身一如」に頼っていました。

しかし、今、現実の世界において、腕と脚に、二つのものの「出会い方」を教わりました。
頭の中に「心と身体」が生まれます。二つの事を考える、という事です。
この時、普通に考えれば、その心と身体はつながりません。それぞれがそれぞれの形を持っているからです。言葉の上では二つあっても、それらが一つになる事はありません。
心は形がない、という形があり、身体はどこをみても、形です。
しかし、「虚」のアイデアと共に考えれば、身体と心を一緒に同じものとして考える事が出来ました。

心を考えた瞬間、その虚を考えます。身体を考えた瞬間、その虚を考えました。
二つの虚は同じ虚という性質のものであり、動かす事が出来ます。
そして、この時、腕と脚に見つかった滑らかな動きが連想されました。
二枚のコインをこすり合わせて3枚に見える、ような動きです。平面を頼りにする、というのは案外簡単なイメージで済みます。

それぞれ虚になった心と身体。それぞれが頭の中で二つの三角になり、重なり合って、滑らかに動き始めました。
この瞬間、私の中の心と身体は「同じ」ものとなりました。
どちらかを使うのではなく、いつも一緒にいていい、そんな気分になったのです。

さて、これがどんな風になるのかはわかりません(笑)。
ただ、気分がよく、愉快になった、という事です。
長年、追い続けてきた心身の世界が一歩進んだのです。しかし、その一歩は私の世界観をガラリと変えるとても大きな一歩になりそうです。
とにかく、これは書いて残しておかなくてはならない、と思いつくまま、筆を走らせてみました。
これから、稽古で、実際に現実の世界でどう生かされるのか、試していきたいと思います。

おわり。

【不定期関東稽古のお知らせ】

「つくば稽古」
日時:2024/3/3(日)13:00-20:00
参加費:10000円(当日払い)
会場:つくばカピオ リフレッシュルーム
住所:茨城県つくば市竹園1-10-1 

「東京ロングヒーリング」
日時:2024/3/5(火)10:00-17:00
参加費:24,000円(当日払い) 最大人数6名
会場:大岡山西住区センター
住所:目黒区平町一丁目15番12号

「東京夜稽古」
日時:2024/3/5(火)18:00-21:00
会場:大岡山西住区センター
住所:目黒区平町一丁目15番12号
参加費:参加費10000円(当日払い)
同日10-17時にある「東京ロングヒーリング」に参加の方は5000円

共に詳細、申し込みはウェブサイトから。
http://www.karadalab.com/

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