怪我の功名 その7 座右の銘は座らないこと

座右の銘が決定

座骨が意識され「歩く」という事が根本的に変わりました。
そして同時に「立つ」というのも変わりました。

これまで「立つ」はどうしても、足、膝、大腿骨、骨盤がしっかりとあってこそ、でした。
しかし、仙骨を消し、骨盤を割って、座骨だけを意識してみると、股関節や膝、そして足首、踵、つま先、関節の負担がぐっと軽くなったのです。

とにかく「立つ」事がこれほどまでに気持ちがいいのか、と驚き、そして、座っていながらも、これは「立っている時と同じ」だと感じるようになったのです。

座ってしまえば動けない。しかし、座骨を意識すれば、座っていても、これは立っているのと同じ。うん、もう「座るのをやめよう」と思い付き、これを座右の銘にしたのです(笑)

まさに怪我の功名!

このnoteは「怪我の功名」がテーマ。
まさにこの立ち方、歩き方に気づけたのは、脚を痛めた事で、脚の感度、関節、筋肉の感度が上がったからに間違いありません。

この座骨に気づいた時も、痛いのは痛いんです。
でも、その痛さは特に崩れが出る時に生まれます。
つま先、足首、膝は良く動きますが、良く動いてしまうと、それを支える土台に負担がかかります。
これまではそれを骨盤がやってくれていたわけです。

しかし、その負担は少しずつ積み重なり、やがて、腰痛などで外へと出る事になるでしょう。
負担を無しにしようとすれば、道具に頼る文化を育てたくなるものです。果たして、他に方法はないのでしょうか。

その答えの一つであろうものが「座骨」です。
立っているのが楽、歩くのが楽、それは関節に負担をかけないから当然の事。
立つ、歩くという日常生活というか、人生、生きる上で一番大事な姿勢が変わるのです。こんな使い方があったのか、と驚くばかりです。

西洋的学びはやばい

私たちはどうしても、西洋的に学びます。
そこに骨盤があればそれを疑いません。
仙骨を消して、と言っても、実際には「ある」わけですから、どうしたって頭はあるじゃん、と思ってしまう。

そして、「ある」を土台にして一生懸命学べばまた、仙骨、骨盤、それぞれの関節について勉強してしまいます。

違うんです。
仙骨を消す事で骨盤が骨盤でなくなる。左右の脚がつながらず、腕のように自由になる。
この時、座骨が地面からの反発を受けて返せばそれで歩いて行ける。そうなると、足や膝、股関節は要らなくなります。

意識もしないで忘れたままでいられるのです。
いかに忘れたままでいるか、というのが大切になるのですが、これが専門家程難しい(笑)。
股関節、膝、足首、足裏、足指、それぞれの構造、使い方を「正しく」学んでしまって人はついつい、それを自動的にやろうとします。考えなくても、それをしてしまう。そんな西洋的動きが身についてしまっている。

健康は続かない、本来は運

その学問的正しさからくる動きは確かに力を発揮します。
しかし、それは「健康」であれば、という条件がつくのを忘れてはなりません。
スポーツであれば、誰が最後まで健康でいられるか勝負ですからいいのですが、一生をかけるとすると、どうしたって怪我をする事だってあるじゃないですか。

怪我をしたら治したらいい、と思うかもしれません。
しかし、それだって、若さが残っているうちなら出来る事。段々と「元には戻らない」というのもわかるはず。
これがわからないのはあまりに世の中が便利だから。指先一つで行えることが増えすぎたからです。

怪我もして、病気もして、具合が悪い日だって出てきます。
そして、段々調子のよい日の方が少なくなる(笑)。

座骨による立ち方、歩き方は具合の良い悪いを問いません。
今、一番負担のない歩き方を探したらこうなった、というものです。
痛みがあるからこそ、調子が悪いからこそ、この歩き方が必要になるんです。
これを知ったうえで長い脚を伸び伸びと使うのはいいんです。負担を受け止め、大きな結果を得る。それも生き方。
しかし、これしかない、となると、健康でいられない人からどんどんと脱落していく事に。そりゃあ、楽しい人が減っていくわけです。

骨の奥にあるもの

座骨、座骨!と興奮を思い出しながら書きました。
しかし、実はさらに座骨の奥まであったのです!
もう、怪我の功名はどこまで力を貸してくれるのか(笑)。
また、それは次回に。

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