つくば稽古に向けて 「見えない身体も凄い」

いつもお付き合いくださり、ありがとうございます。
いつのまにか、オリジナルな術理が増えました。しかし、流儀として大きくしたい、というわけではありません。ただ、身体感覚の世界が「ある」という事を伝えたいだけだけです。

「身体は凄い」、そう思うようになり、自己肯定感を取り戻しました。いや、それ以上に、「自己」という枠が大きく、深く、広がりました

今日のお話は「見えない身体」。見えない世界のお話です。
この辺りの身体感覚をお伝えすると、

「それは気ですか?」

と聞かれます。
もしかしたらそうかもしれません。そもそもが「気の定義」がされていませんから。しかし、その定義がないからこそ、安易に気の世界に頼ってはいけないと思うのです。

人間は「不思議」に惹かれます。
自分が不思議なものを持っている、と思うとそれをありがたがります。しかし、見えないもの、触れれないもの、他の人には聞こえないものだけが不思議ではありません

ここに「ある」というのも十分、不思議なものなのです。
私はずっと、「身体感覚」を手掛かりに稽古をしてきました。最初はやはり、筋肉でした。その後、骨や皮膚を探るようになり、内臓も気にしだしました。
相手との間に生まれる衝突の感度が私の稽古の武器です。

身の毛もよだつ」みたいな言葉があるのです。見えなくも、身体は反応する、それが当たり前です。
当たり前なのに、不思議にしたい、これは頭が主役で居たいという癖かもしれません。見えない力として人に伝えれば、素直な人はそれに取り込まれます。
ですから、私は「当たり前」の事として見えない世界を伝えています。見えないけれども、身体では感じられる、それを伝えています。

触覚を手掛かりに

この一年でソーシャルディスタンスが進みました。皆、「接触」を恐れるようになりました。
ただ、警戒するにしても、触覚の凄さを分かったうえで行わないと、接触そのものにアレルギーが出ます。反射的に緊張すれば、もう、死んだも同じです。思考停止。

あっ、そうですね、思考停止、と言えば、「気」という言葉で稽古をしだすと、思考停止になります。そもそも見えないしわからないから、伝えられた「気」という概念をそのまま探ろうとします。
一人稽古であればまだいいのですが、これを師や先輩、後輩と共に稽古をすると、その概念が壊されそうになった時、拒否反応を起こしいい稽古が出来なくなります。
その場の気にのまれないものが現れた時、それを排除しようとする人が出てきます。研究すればいいのに、思考停止ですからできません

話がそれました。
この先、もっともっと、接触を恐れる世界になるでしょう。そして、それは「触覚」の凄さを経験できずにいる事になります。私のような自己肯定感の低い人間は、ずっと、弱いままになります。
ただでさえ、「ネットの世界」が広がり、視覚、聴覚優位な世界だったのに・・・。触覚もバーチャルに取り込まれるとしたら、変身、成長のチャンスはゼロになります。

一番初めの見えない世界

私にとって、一番最初の見えない世界は「身体の外側」にありました。
私の身体を包む皮膚、その外に、「感触」があったのです。
こう書くと、不思議、と思うかもしれませんが、身体的には「当たり前」で居られます。
一度気づいた感触は消えません。基準となる身体がしっかりしているからです。「皮膚のすぐ外側」、それをただ、見ればだんだんと扱いが上手になります。

卵先生

この時思いついたのは「卵」。
普段、当たり前に見て、頂いている「卵」です。
卵には「白身」と「黄身」があります。これ、不思議ですか?あたりまえですか?

私の一番外側は皮膚、そう思っていたのに、さらに外があった。そう思うようになり、意識の中で内側と外側が別れました
そしてその時、構造として、「白身」と「黄身」として身体を観ていたのです。

卵を知っているからこそ、内と外という構造が頭に浮かびます。あんなにはっきりとした構造ってなかなか見つかりません。
生き物としての始まりというのも素敵です。

まさに先生(笑)、卵先生です。

身体と肉体

白身の存在に気づいたころからでしょうか、身体と肉体という言葉を強く意識するようになりました。
目に見え、誰にでも認識される皮膚までの身体は肉体です。
しかし、その外にも、「確かな存在」として「白身」があります。しかし、なかなかそれは伝わりません。意識をして、外に目をやらねば、ついつい、頭の中にある世界で答えを出してしまうのでしょう。

黄身は肉体、白身は身体。
白身がある、というところから始めれば白身も当たり前のものです。
白身の一つは「職業」。
今の時代、皆、職業を持ちます。無職は無職という職業です。隠居や病人というのも職業みたいなもの。もう誰も、ただ、そこにいるだけではいられません。

動きの原動力

武術ですからひたすら「行動」を考えます
敵が現れ、心が死ぬ、その時にどう動くかを問われます。

まず、心が死ぬのです。絶望の中で何かないか、と探ります。「気」の技を求めて失敗するのは、落ち着いた心で気を練るから。安心できる場所であれば発揮される気の力も、絶望の世界では萎縮した身体に負け、絶望という気でいっぱいになります。だから私は求めません。

どれだけ絶望しても、身体は消えません。骨があり、肉があり、皮膚があります。そして、この時、職業だって変わりません。
警察官であれば、犯罪の現場に居合わせたなら、それを止めようとするでしょう。当たり前だと思いますよね。
しかし、その日、彼が非番で休みで私服を着ていたとしたらどうでしょう。きっとそれでも、彼の心には何とかしなきゃ、と変化を得るはず。そして、行動へと移すはずです。

消防士なら火事の中でも動きます。
看護師、医師であれば命を救うでしょう。
商人であれば何を見てもビジネスにつなげているはず。

この時の「行動」の原動力、それが白身ではないか、と思うのです。
私は「〇〇」という職業だ、無意識にあるその思いが、反射的に行動へと力を生みます。

そこに「身体的実感」を作れるかどうかがカギです。
ある意味、中身はどうでもいいのです。どんな職業でもいい、どんな思いを持っていてもいい。「白身」を感じられるかどうかが、カギです。

強くつかまれても、その間には「白身」があります。
その白身が動き出せば、相手からは気配の見えない動きになります。
相手はただ、腕を振り回された、と思うでしょう。実際、いつの間にか、そんな動きをしているものです。
しかし、そこに「術理」としてはっきりとした自覚が有れば、いつも、その白身に助けてもらう事ができます

白身は見えません。普通は。職業が身体になっている、だなんて考えもしないからです。
私にとっての答え、秘訣をお伝えしても、それを受け入れられないでしょう。その間は私の技はかかり続ける事になります。

身体には白身がある

身体には白身がある、そこをスタートにすれば相手にも同じように白身がある事がわかるはず。
相手に触れていく時、皮膚から奥の肉体だけを狙うのではなく、外側にある白身を狙えば、また、違ってきます。

これは「レッテル」なのかもしれません。
「警察官でしょ、あなた行きなさいよ」、と言われたら、私服であっても実際に警察官の人はどんな心であっても、衝突、トラブルの現場に意識を向けるはず。
もちろん、警察官でない人に、「警察官でしょ、あなた行きなさいよ」と言っても頭おかしな人としか見られません(笑)。

見えない世界がある、それを白身の身体で実感しました。
身体感覚の世界のものとして認識をしたので、これは決してなくなりません。
ただ、どうしても目に見えず、なかなか稽古ではこれを掘り下げられないのが現状です。理由は、相手が認識していないから。認識がない相手に白身の動きで入っていくと簡単に崩れてしまうのです。
ですから、私の場合、白身を稽古する場所は日常生活。普段、大きく持っている自己否定癖を白身でくるみ、平然といられるように、バリアのように使っています

こうして「白身の身体」を伝える機会を得ていって、実際にその精度を試し合う環境が出来ていけばもっと、掘り下げられるはず。ぜひ、一緒に研究してください。

まだまだ見えない身体はあった

実は外側だけではなく、内側、始まりと行ったらいいのかな、そこにも見えない身体はありました。
これはまた分けて書きます。よろしくお願いします。


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