光の感じ方と活かし方 その2

「光」とは何だろう?
そんな事を考えた記憶はありません。当たり前のように日は差し、明るい毎日。夜はさすがに暗いけれども、それも忘れているだけ、本当は明るい。

人にとって、夜の暗さは恐怖。だからこそ、火を絶やさないように文化を育て、残してきたはず。
日本式の明かりはぼんやりとしたもの。そこに西洋からガス灯などが入ってきて当時の人はどれほど驚いたでしょうか。

電気が当たり前となり、それもまた進化をして、今、昼も夜も一日中まばゆい電気の灯りで過ごしています。また、コンピューターやスマホをずっとみる生活習慣、私たちの眼には絶えず、光が飛び込んできています。

光は当たり前すぎて、見えません。

しかし、私たちの周りに常に、飛んでいるもの、それが光だったのか!と気づいてからは動きはもちろん、毎日の過ごし方ががらりと変わりました。

光の自覚によって変わったもの。それは私の「役割」です。

何度も口にしている事ですが、私は「臆病者」です。戦う時にはもちろん、日常の中の当たり前の事ですら、これでいいだろうか、どう思われるだろうか、と「他人の目」が気になり仕方がありません。

そのネガティブな性格が武術へと道を開いてくれたのですから感謝していますが、それでも、日常生活を送る時に、他人の目を気にして過ごすのは楽しくありません。

楽しくないのは納得がないから。

結局自分自身の問題なのはわかっています。だからこそ、これまで、結果を間違いなく出していけるための「身体」を求めてきたのです。
そして、その稽古は確実に私の「やれる事」を増やし、自信をつけてくれるようになりました。しかし、心は常に「もっと」を求めて、気がつけばまた、これではまたダメかもしれない、と「より厳しい他人の目」を作ってしまうのです(笑)。

そんな臆病な私ですが、光の働きを見つけて、それを自分のものとして常に使える事がわかり、「役割」が変わりました。
それまではずっと、成果をどう出すかにこだわっていたのですが、光によって、その光で「相手を照らす」という役割を得たのです。

どんな時にも、私の前には「なにか」がいます。それは人だったり、物だったり、景色だったり。

目の前に「無」が現れる事はありません。

これまでは常に何かがいて、それと「戦う」気持ちが強かったのです。まぁ武術だから仕方がない、とは思いますが、その武術の場面でさえ、「相手を照らす」事を一番に考えればいい、と思うようになりました。

命を奪いに来る相手にさえ光を照らす。

何と聖人的な発言でしょう。言葉は同じ、行為も同じです。ただ、私の思いは真逆かもしれません(笑)。どんな相手であっても、光を照らしてあげれば相手は喜び、力が抜け、敵ではなくなってしまう、そんな力が光にはあった、とわかったのです。

私が光を照らすのはやはり、臆病者だから(笑)。

照らす事によって、結果的に争いをなくす事が出来るからです。
そして光はこれまでのように「接触」を必要としません。離れていても相手との関係を作れるもの、それが光です。滑らかな動きは見る人の目を奪いますが、それよりも早く、気持ちのレベルで相手の目へと作用するもの、それが光です。

確かな「役割」を得て、心はそこで納得を得ました。

まずはこの照らす仕事をしっかりとしよう、と。

そのうえで、これまで得てきた技を使うなり、求められる仕事をするのは自由です。
今、多くの仕事はマニュアル化と機械化、さらには無人化までされ、特定の人物を必要としなくなっています。成果を生む仕事は人を選びません。仕事は楽になるかもしれませんが、そこに自分自身の存在意義を見つけるもの大変です。

しかし、「人を照らす」役割を得て、その上で仕事をこなせば心は随分と楽になる、そう考えています。

今、こうしてブログを書いて伝えていますが、もっと上手に伝えるんだ、と思えば写真や動画、流行りの言葉や広告も使い効果は上げられるでしょう。しかし、それだけで心が喜ぶか、成果が出なければ、がっかりもします。成果が出ず、失敗するかもしれません。
結果によって気持ちを左右されたくない、それを私は求めています。この時、まず、「光を相手に」という思いが先にあればある意味、それでもう一仕事終わりです(笑)。照らすだけ照らした。まぁ、後はこれを見てくれた人が自由に受け取って、自由にしてくれたらいい、そう思えます。

楽な気持ちで毎日を過ごす。

成果、結果は大事ですが、それは時代と共にどんどんと新しい方法やたくさんの人のつながりによって生み出されてきます。百年前では会う事でしか伝えられなかった言葉が今はネットでたくさんの人に同時に伝えられます。方法は常に変わり、未来は必ず、もっと簡単に成果をだせるような仕組みが生まれてきます。

ただ、心は置き去り、自分で何とかしなくてはなりません。

成果を喜べるなら、一番を目指したり、人気を求めたり、大金を得ていけばいいでしょう。しかし、何がうれしいかわからない、という人もいるはずです。周りが求めるからと、自分も一番や人気、お金を求めてしまうと、それがかなってしまう事もあるはず。

周りがうらやむような成功を得てもそれで心を壊す人だっている事が分かるのが現代です。結果を求める前に得ておきたかった事、それが「納得」でした。

自分の役割として相手に光を照らす事、それが出来る事がわかり心が落ち着いたのです。相手はそれを自覚しないかもしれません。しかし、身体は緩みます。身体が緩んでいる時、心もまた、緩みます。
今、忙しく、ピリピリと緊張感の大きな時代になってしまっています。きっと「光」の自覚は新しい生き方、役割として興味を持ってもらえるはずです。

【稽古予定】参加受付中
9/25(土)川崎稽古会
10/31(日)つくば稽古会
関東稽古の詳細

9/16(木) 愛知瀬戸←中止になりました。
9/17(金) 名古屋熱田区
9/20(月祝) 浜松
9/22(水) 名古屋
9/24(金) 名古屋東山

詳細はウェブサイトで。
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