呼吸は簡単! その2

「呼吸は簡単!」

これが今回のシリーズで伝えたい事。
皆、学び癖、記憶癖がついているので、ついつい、難しく考えてしまう。
私だって、これからいくつかの事を書かせてもらうので、まじめな人は、それを全部、細かく読み込んで、記憶して、思い出しながらを試してしまうかもしれない。

しかし、そんなものは必要ない。
そんな工夫をしなくたって、「呼吸はある」、「呼吸は消えない」。
呼吸をしている、それをスタートにしなければ「自分の呼吸」は手に入らない。誰かの呼吸でうまくいっても、いつかやってくるイザという時にはその呼吸が役に立たなくなるものだからだ。

とりあえず、具体的な動きから紹介していこうと思う。
試してみるの時には、その呼吸が動いている身体を土台として考えればいい。
手順として、呼吸そのものを動かす事はしていない。入ってくる空気が「どこを流れていくのか」、それに注意をして欲しいと思う。

息を吸う。
マスクが当たり前になり、口呼吸が増えた、とも聞く。口と鼻の呼吸を比較して、どれだけ鼻呼吸が優れているのかを伝える人はたくさんいる。確かにそうだと思う。
しかし、武術においてはそこは問わない。なぜなら、花粉症の時にだって戦わなくてはいけないからだ(笑)。
鼻がつまり、教科書的呼吸が出来なくても、口からちゃんと入ってくるのが人間だ。覚えなくてもいい、従わなくてもいい、というのはこういう力が備わっている事を知って欲しいから。

そして、さらに言えば、人工呼吸器をつけなくてはいけなくなる時が来るかもしれない。
特に、このコロナ騒動で、一気に症状が変わる事もあるのだ、と知ったはず。自然を求めて、何も処置しない、という事はなかなか望んでも出来ない事だ。目が覚めた時、人工呼吸器に繋がれているかもしれない。

私はそんな時にも、それを受け入れ、その状態で納得が出来る生き方ができないか、そんな夢を持っている(笑)。

というわけで、鼻でも口でもどちらでもいい。呼吸をし始めて欲しい。
すると、間違いなく、鼻や口から、気道を通り、胸へと入っていく「ルート」がわかると思う。この最初の一歩が大事だ。

胸に空気が入ってくる。しかし、無限には入らない。溜まり切った空気を今度は吐き出す。これも「簡単」な事だと思う。吸って、吐いてを繰り返せば、空気が出入りする流れがわかり、「身体を通って」いるのがわかると思う。
身体を通っている時、そこにあるのは「動き」。動きを感知するのが身体感覚の研究稽古。難しくない、ただ、誰の意見も聞かず、自分の身体を観察するだけ。
自分が今、出来るだけの観察をすればそれでいい。満点だ。

空気が鼻、口から、肺へと入る。溜まったところで動きを止めて欲しい。肺常時なら止められる。これも「簡単」な事。
そして、次に試して欲しいのは「腹」へと「降ろす」事。

呼吸を腹へと降ろす。こう書きだして、説明を受けると、そこで思考が止まる人がいる。難しそうだ・・・、と。私はそんなタイプ(笑)。
だから、人のアドバイスがうまく聞けない。そういうタイプは一人稽古が似合う。大人なのだ、合わない学び方を無理にする必要はない。

「呼吸を腹に降ろす」というのも難しくない。簡単だ。
なぜなら、口からつながる道は腹へと間違いなくつながっているから。

空気がどれだけ胃を通り、腸へと流れているかはわからない。しかし、そんな「量はどうでもいい」。つながっている、と自覚すれば、胸に溜まった「動き」としての呼吸が腹へと落とせる。

「腹式呼吸」がそうなのかもしれない。
しかし、この名前の付いたメソッドがいけない(笑)。教師、コーチ、トレーナーはその腹式呼吸ではダメだ、と導いてくれる。それは親切なのだが、一人稽古においては「おせっかい」。
自分のペースで自分の身体を感じながら探る事が何よりも大切。そとから言葉で導かれても、それは頭で作るもの、身体に動きは生まれない。

とりあえず、今日はここまで。
呼吸が始まり、鼻、口から胸へと入り、腹まで降ろす。
ここに「ルート」がある。忘れても、有り続ける。「身体がある」というのはそういう事。
どんなに心がバラバラになっても、身体はそこにあり続ける。ピンチの心から離れ、自分の身体を観察をしたなら、約束された働きをちゃんと与えてくれるもの。それが身体。

次回は腹に降ろした呼吸を骨盤、胴体へと持っていく話をします。

【稽古案内】どの会も「一回稽古制」、初心者であっても参加可能です。
・2/21(日)、甲野善紀先生の浜松講習会を開催します。
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定期稽古(大垣・名古屋・浜松・熱田)を開催しています。
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