9/30 川崎稽古に向けて

前回の川崎稽古の帰り道、身体が「バラバラ」になる感覚を得る事が出来た。その日伝えたのは「弱くなる事」。常々努力禁止、と言ってはいるが、それは心の姿勢だけではなく、身体の姿勢についてもそうだ。

私たちには筋肉がある。この筋肉は「頑張り屋」で、くたくたになるまで仕事をさせれば、次はより強く、と大きくなる。これは大変な力だ。
ついつい、有効なだけに頼りすぎてしまう。しかし、私たちの身体は「筋肉以外」のものだってあるのだ。むしろ、そちらの方が多い(笑)。

身体がバラバラになる、というのは肉体的な身体から離れていくには大事な感覚。それを得た事で、「光」に気づく事が出来た、と思っている。

だから当然、今回の稽古は「バラバラ」と「光」を伝えよう、と思っていた。しかし、それが霞むほどの気づきを得て、考えていた稽古はがらりと変わった。

それが「魂」の実感だ。

私は臆病で恥ずかしがり屋。人前に出るだなんて、とずっと思っている。たまたま、身体の世界を知り、なぜかこの身体の面白さが知られていない事を不思議に思い、誰も伝えないなら私が恩返しのつもりで、と仕事にした。
根本の性格は臆病で、恥ずかしがり屋。それはやっぱり変わっていない(笑)。

色々と言葉にしてきているが、なんとなく言葉にするという事が出来ない。身体で分かった事しか言葉に出来ない。先に身体に動きが生まれ、それを説明をする中で自然と言葉があてはめられる。
今、そう気づいてしまった「魂」もそう。

冷静な私もいる。魂が分かった、だなんて言葉にしたらなんて言われるかわからない!危ない橋はわたるべきではない、と思ってはいる。
しかし、どうしても、今のこの感覚は魂としか思えず、ついつい、その言葉を使ってしまう。

ただ、現実に動きの質は変わった。
魂を見ている時、身体の緊張が少なくなり、気配も出にくい。相手も、こちらが見ている場所を特定できないせいか、迷い身体が動かなくなるようだ。

相手の意識とこちらの意識がずれる事、これが術理的な動き。
仕組み自体は簡単。相手の理解の外で動けばいいだけ。最初に「筋肉」の話をしたが、多くの人は筋肉に捉われている。技は知っていても、その技の原動力は筋肉。すると、こちらが骨を意識して動いた時、その対応は遅れる。

筋肉は伸び縮みをしなくてはいけないが、骨はもう、そこに固さを持ってい力の流れが速い。単純な事だ。

同じことが魂との間に起こる。
魂は形がないもの。しかし、存在はしているはず。それが明確になった時、動きの主役にしてやったらいい。
腹が減っていたら腹に従って動く、それと同じように、魂が震えたから動く、そういう事だと思う。

私が長年、魂を追っていたのは魂が震える経験がほとんどなかったから。憧れがあった。音楽、美術、スポーツなど、熱烈なファンになった人はきっと、魂を揺さぶられているはず。そういうものが私にはなかったのだ。

それがやっと、30年近くかかり、これが魂だったのか!と、動きを感じる事が出来るようになった。
魂を揺らし、その勢いで動くためには、考えてもいけないし、気分に左右されてもいけないし、迷ってもいけない。ましてや損得に捉われてもダメだったのだ。

私自身は興奮してしまった魂。どうしても、これは伝えないと、と勝手な使命感が生まれている(笑)。
魂に光、バラバラな身体、さっさと伝えるべき動きを伝えて、その上で出てきた疑問に身体を通して伝えていきたいと思う。魂も光もバラバラも、努力で得るものではない。すべて、誰もが「持っているもの」。不思議と思われる技に見えるかもしれないが、これが本来の身体の力、当たり前の力。

あと数日頭をまとめる時間がある。
たった数時間の稽古だが、それをきっかけにそれぞれが魂や光、生きる事の不思議さと向き合って、それぞれの問いを作って研究への道へと行ってくれたらうれしいなぁ、と思う。

ではでは、ご縁がある方、ぜひどうぞ。

【稽古予定】参加受付中
9/25(土)川崎稽古会
10/30(土)甲野先生の名古屋稽古会←new!
10/31(日)つくば稽古会

9/20(月祝) 浜松
9/22(水) 名古屋
9/24(金) 名古屋東山

詳細はウェブサイトで。
カラダラボ ウェブサイト

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