【再定義シリーズ】 感応について その1

先日、「身体感覚」とは何か、と再定義をしました。
今回もまた、稽古の根幹になる「感応」について再定義を試みてみようと思います。
感応という言葉もなんとなくわかってしまう言葉であり、定義をしっかりとする事なく、なんとなく稽古をして来てしまったようです。
どのように定義されるか、自分でもまだ、わかりません(笑)。言葉にしていくうちに、自然と、これだ!というものが出てくることを期待して行こうと思います。
お時間、ご興味ある方、ぜひまたお付き合いください。

「感応」という言葉ですが、甲野先生に出会う前には全く、意識をした事のない世界でした。
先生に出会い、身体感覚の世界を教わるまでの私の稽古は、手順に頼ったものでした。
掴まれて動く時、その状況を見て、これは手を掴まれている、そして、それは右手左手、どちらだろう、と認識をして、それに合わせた技を思い出し、手順通りに動くだけ。
組織的な学び方をすると、大抵は手順に従う動きを作ります。仕方なかったのかもしれません。

この時、意識せずとも、身体が勝手に動くようになるほど練習を重ねていれば、より有効です。もしかしたら、これは身体感覚レベルの動きなのかもしれません。
だから、何度も何度も、繰り返し、動きを覚える事を目標にして練習を重ねました。まぁ、フォームを固める、みたいな感じです。
しかし、これではダメだったのです。より高いレベルの問題を解決していく時、微調整が利きません。

なぜなら、目の前の相手を見ずに、手順だけで覚えた動きは、目の前の相手に100%対応できるものにならないから。
手順だけを追っても、一つ一つの動きに痛みなどを与えていくと、相手を崩し、抑える事ができます。
これが自然に身体が動くほど練った動きであればより、完成度の高い技となるでしょう。
しかし、それで8割、9割技がかかっても、残りの1割、2割に不安があれば、武術としては成り立ちません。
野球なら3割、ビジネスなら1割でも成功すれば〇です。たくさんの失敗がむしろ、大変さを伝えてくれます。
しかし、一つしかない命をやり取りする武術では、たった一回の予測外れも許されないわけです。いつも、この命を預けられるもの、それが必要になります。

甲野先生に出会い、手順ではなく、身体感覚を手掛かりにする稽古法を知り、手順を捨て、常に新しい動きを生み出すスタイルへと変えていきました。
そして、それは多くの成果を残してくれました。
当時の私にはこれこそ、真理だ!、そんな思いがあったように思います。そして、困る事も減ってきて、自然と自信も増えてきました。

ただ、どうやら、それも手放す時が来たんだな、と今思ってます。
ちょっと、いや、この先の未来が全く見えません。未知という未来に不安もありますが、それ以上に、変化するであろう、身体感覚と世界に心は踊ります。

感応を良しとして、より感応する身体を求めて、その感応を手掛かりに相手へとつながり、身体感覚を渡してきましたが、「感応しない方がいい」というのが今回のまとめです。
しない方がいい、というよりも、相手と向き合ってぶつかったとしても、「感応しない場所」がある、という事です。
衝突したとしても、気にせず、静かに過ごせる場所がある、それを今回はお伝えしたいと思います。

【つくば稽古予定】参加受付中


9/11 つくば稽古
つくば稽古では、主に「怪我の功名」について、詳しくお伝えしたい思います。座骨と心臓、そして、そこから胎児の感覚、魂の感覚、もう大変です(笑)。気楽に、興味本位でご参加ください。
詳しくはウェブサイトでご確認ください。
申込、詳細はこちらのページから

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?