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伝えていくことの難しさ

定期的に、同じトレーニングスクールを卒業した先生たちと
アレクサンダー・テクニック関連の本を読むブッククラブを開催している。
また、ちょくちょく先生たちだけで集まって
レッスン練習会を開いたりもしている。
訓練生時代に読んだF.M.アレクサンダーの本ひとつとっても
時間を越えて、同志とともに読み返すと、また新たな発見があり、
交換し合う意見も、訓練生時代とはまた違い、
自分たちの指導経験が言葉に含まれて来るので、
毎回、非常に興味深い。

の、だが。
同じ学校を卒業し、同じ先生(ルース・キルロイ)に師事してきたにも関わらず、
捉え方、考え方が微妙に違ってきていることに
気付かされる。
中には、
レッスンで欠かせないハンズオンという
手で生徒さんの体に触れる技法についての意見交換の際、
「ルースの指導方法で腑に落ちない点があるんだけど、
彼女とは違うやり方をした方がいいのではと思っている」
とはっきりいう仲間もいたり。
どうやら、それぞれがそれぞれの指導経験を通して
自分なりのアレクサンダー・テクニックを展開していっているようだ。
これって、自己主張強めなアメリカあるあるなのか
それともアレクサンダー・テクニックあるあるなのか
分からないけれど。

各地から先生たちが集まるアレクサンダー・テクニックのアメリカ定例会や
国際大会に参加すると
一つの要素にだけ重きを置いているグループ、
また独自の理論を展開しているグループもいて
私が学んできたのとはかなり違う考えで指導をすすめている先生方にも
会ったりする。

世界中に現在何人ぐらい
アレクサンダー・テクニックの先生がいるのか把握はしていないが
先生の数だけ教え方があると言っても過言ではないかもしれない。

そこに、アレクサンダー・テクニックを伝えていくことの難しさがあるんだろうな。

アレクサンダー・テクニックは、いろんな形で世界中に広がっていっているけれど
さて、何をもって”アレクサンダー・テクニック”としたらいいものか。
私自身は、
「5つの大事な要素があって、それが1つでも欠けているものは
アレクサンダー・テクニックとは呼ばない」
と教わってきた。
それぞれの要素は、それぞれ奥深く、互いにうまく絡み合っている。
なので、学べば学ぶほど、次のステージに進めるというか
視野が鮮明になり、世界が広がっていく。
というのを私自身、これまでの18年間の学びを通して実感している。

いずれにせよ、指導者は、基本概念を学び、技術を磨きながら、
探究し続けなくてはいけないと思う。
探究し続けていくと、
どんな道を通ったとしても、たどり着くところは同じではないだろうか
とも思っている。

ありがたいことに、
訓練校卒業後もトレーニングコースのアシスタントとして、
ルースの側で学び続ける機会を得られている。
ルースの言っていることは私が訓練生の時から基本変わっていないけれど、
指導方法や選ぶ言葉の変化、先生自身の成長を、
そしてそれにともなった訓練生の理解度やハンズオン技術向上の速度の変化を
目の当たりにしている。

話を最初に戻して、
私の考えでは、
40年の指導歴があるルースに比べると
私たちなんてまだまだで
私たちがまだ到達していない場所から見ている景色を彼女は見ていて
その上での彼女の言葉だったり、やり方だったりするわけで
ルースの指導で腑に落ちないことがあるにしても
否定せず、とりあえず腑に落ちない気持ちを横に置いといて
なんでルースはこう言ってるんだろう、このやり方をするんだろうと
疑問に思いながら、
自分自身が精進し、そしたら
ひょっとすると何年後かにすとんと腑に落ちる日が来るかもしれないし
ひょっとすると自分なりの違う方法を見出しているかもしれないけれど
今の段階でルースの言葉ややり方を拒むのはナンセンスだと思う。

時代とともに進化が必要なのには違いない。
アレクサンダーさんが生きていた時代より
科学も医療もテクノロジーも発展しているわけだし。

でも普遍的な軸はある。
自分の技術を磨きながら、
いろんな人の意見に耳を傾けながら、
本質を見極めていきたいと思う。


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