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根拠のない自信のはじめ方

はじめに

今でこそ、人に快適な人生を説き、カラダとココロのバランスよい使い方をお伝えしていますが、子どもの頃はいろいろとネガティブでした😅

今回はその一部を紹介しつつ、なんでそんなネガティブから脱出できたのか、考えていきたいと思います。

その土台にあるのは「根拠のない自信」
あなたにはあるでしょうか?

不健康がカッコイイ?

私は小学校の頃
必ずといっていいほど
月に一度は風邪ひいて
学校を休んでました。

階段上がるのも
すぐに心臓がバクバクするほど
内蔵が弱っちく
走るのも遅くて苦手😑

平地でも転ぶほどカラダが鈍く

マラソンなんて
転んで退場か
足がつって退場か🤔

カラダが弱いことを
自慢したくなるほどの
オンパレードでしたね( ̄▽ ̄;)

でも、検診に引っかかることはなく
ある意味健康体だったんですけどね。

音楽の授業中に、
貧血で倒れる同級生って
いませんでしたか?

うちのクラスでは
たまにあったんですけど
私自身がその立場になることはなく。

心臓はすぐにバクバクするけど
倒れたりはしなかったので
体育の授業とかマラソン大会とか
「いっそ倒れてしまいたい!」
お願い事はそれ一点張りでした🤣

今思うと
そんなポンコツの心臓と
いかにうまく付き合うかは
子供の頃からの課題ではあったようです。

ただ、憧れましたよね😊
悲劇のヒーローというのか。
体調悪くて倒れるって
なんかカッコイイって
勝手に思ってました😳

子供ながらに
同情されたり
チヤホヤされるのに
憧れたんだと思います。

なんせ
母親はあまりかまってくれないものだと思い込んでたので🤔

超過敏は誰のせい?

子どもの頃のネガティブな思い出といえば
超感受性が強くて超過敏でした😱

そもそも母親が超過敏な人だったんですよ。

抱きしめてもらったことがないし、
手を繋いでもくれなかったのを覚えてます。

それでも彼女が努力してるというのは、
子供ながらに知ってました。

いつかは自分のことを認めてくれるって期待してたと思います。

まぁ、親が改心して私と関わりを持とうとした頃には、私が反抗期に入ってしまって強がり半分自立半分な感じで、親のことを否定してしまいましたけどね😅

そんな親との葛藤もあってか
いつの頃からか、私も超過敏でした。

正式に気がついたのは大人になってから☝️

施術家になるための技術訓練や、鍼灸師になるための専門学校での練習ではPTSDになるほど触られるのが地獄でしたねー💦

子供の頃に、親と手を繋ぎたいと思っても避けられたりしたことが、トラウマとなって定着したのかもしれません。

で、結果的に触られるのがコワイ的な精神状態が生まれてしまったのかもと思うことがあります。

そのおかげで、過敏な人たちの施術を安心して引き受けることができるので、やはり全ては人生の経験なんですよね。

これが私の生まれ持った性質だから、今はそれを最大限に活かして生きていると自負しています( ♡´³`)σ

おばあちゃんが残してくれたこと

私のおばあちゃんは
私が幼稚園の頃に亡くなりました。

一番の理解者だったんですよね。

母親はいつもカリカリイライラしていて
めっちゃ怖かったんですよ😱

でも、おばあちゃんがいたから
あの幼少期をなんとか乗り切れた💦

といっても、幼稚園の頃に亡くなっちゃいましたけどね😅

そんな小さい時のことなのに、今でも覚えていることがあります。

「なんでいつもお母さん怒ってるの?」って聞いたことがあるんです。

そしたら、おばあちゃんは「お母さんも苦しんでるんだよ」って。「分かってあげなさい」って、ちっちゃい子どもに言うんですよ。

なんで覚えてるのか分からないけど、
そのやり取りが今の私を作ってくれた。

おかげで、多角的に物事を観察し、考察することができるようになったんです。

おばあちゃんは私のことをとても大事にしてくれていました。
いつも一緒にいてくれた気がします。

自分は誰からも愛される存在
だから、自分は大丈夫♡という根拠のない自信がどこからともなく湧いてくる。

というのは、子どもの頃からの家庭環境に大きく左右されると言いますね。

私の場合、おばあちゃんとの小さい時のやりとりが、今の根拠のない自信を育んでくれたんではないかな。

三つ子の魂百まで
と言いますよね〜😳

だからこそ、母親のイライラも許せたというか、彼女の問題と客観視できたと思う。

本人、バリバリ働きたいのに望まない結婚で、いきなり子どもができて戸惑ったと思います。

何もかもうまくいかない
イライラもしますよね

自暴自棄になって、自分のこと嫌いになってたかもしれない。

そんな彼女(母親)も言ってました。

おばあちゃんが亡くなっただいぶ後ですが、
「おばあちゃんが守ってくれてるから大丈夫」って。

彼女も自分の母親に大事にされてるのは知ってたんだと思う。

生きてる間にはあまりにも近すぎて気づかず、つい当たり散らしてしまったんだとしても。

根拠のない自信の土台とは

まとめに入ります。

病気がちで、母親とも良い関係を築けなかった私が、なんでうまくいっているかというと、そんなわけで、おばあちゃんの存在がありました。

おばあちゃんに大切にされた感
意識はしてなかったけど人生に常に寄り添っていた感覚。

おばあちゃんが亡くなった後、味方はいないような状態でしたが、なんとか自分を保ってそれなりに成長できたのは、おばあちゃんの存在が土台を固めてくれたからなんですね。

それが、自分にとっての「根拠のない自信」のルーツのひとつ。

大切にしていきたいです🥺

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