二つ目の転機ー体の不調で転地療養
二つ目の転機となった体の不調は、思えば発覚の数年前から始まっていました。当時は心理職を離れ、フルタイムの仕事で忙しく、毎日のようにドリンク剤を飲んで仕事に行っていました。
その後、パートタイムで心理職に戻りましたが、休日も家で仕事をしていたり、自主的に実習に行っていた先でも気をつかったり、と今思えば神経が休めていませんでした。
仕事には休まず行っていたものの、夕方になると疲れて集中が続かなくなりました。カウンセラーの私が元気でないと、と食事療法中心の病院に行って実践しました。けれど体調はよくならず空回り。
その頃はやりだしていた、作物を育てる、土に触れることに興味を持ち、農家を訪ねることを始めました。そこからどんどん広がって、農業を学びに夜行バスで通ったり、海外のパーマカルチャー農家を訪ねたりしました。
ヘロヘロの状態で行っているのに、農作業をすると元気になっている、でも普段の生活に戻るとまた疲れている、の繰り返し。土地を変えて元気になろう、と一大決心。
療養先は、私が一番元気になれたオーストラリアに似ているところがよい、と以前訪れた阿蘇の農家さんに話し、快く受け入れてくれました。人間は面白いもので、行くと決めてからは元気に過ごし、半年後に引っ越しすることに。
阿蘇に転居して、週の半分以上農家に通いました。朝、農家のお父さんがお子さんを駅まで送ってくる時にピックアップしてもらい、帰りは部活を終えて帰ってくるのに合わせて送ってもらいました。その農家では2軒のお父さんと研修生が一緒に働いていて、私も一緒に作物の世話や収穫、出荷のための準備をしました。
そこのおじいちゃんが私に言ってくれた言葉が今でも胸に残っています。
「ともちゃんのからだはともちゃんしかわからないんだよ。」
きつい時はちゃんと休んだり、体力を使わない作業を選んだり、自分で決めないといけない、と。
みんな私がからだを治しにきているとわかってくれていましたが、自分の健康は自分で守る、責任を持たないといけないことに気づかせてくれました。
気のはらない人たちと共に、陽ざしをあび、からだを動かし、土に触れ、健康な野菜を使ったお料理を食べ。それを続けているうちに体重も増え、元気が戻ってきました。
以前からの友だちにたまに会うと「元気になったね」と言われるくらいに回復。だいぶ元気になってきたので、農家で作業をさせてもらうのは1年で終え、少なくしていたカウンセラーの仕事を増やし、自分で小さな畑を借りて野菜を育てることを続けました。
からだを治すために来たはずでしたが、阿蘇にとどまることに決め、たくさんの優しさに触れて心身ともに満たされていきました。心の声に耳を澄ます大切さは、現在のカウンセリングの仕事にも活きています。