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ジャーナリングの使い方

ジャーナリングを、頭の中に浮かんだことを実況中継のように書いていくことだと思っています。
時間を決めてひたすら書くというやり方もありますが、私はひと段落するまで書くことにしています。

一時期、朝のジャーナリングを日課にしていました。
ですが、書いているうちに、言葉にするより感覚を味わいたいと思うようになって、日課にはしなくなりました。

一つは、なんだかモヤモヤする時にジャーナリングをします。
そういう時は、そんなことに影響されたりしない」とか
「もう済んだことだから」と思っているけれど、実はおさまりがついていない時です。
自分の中の正直な気持ちに耳を傾けて、認める。そうすると、事態は変わらなくても落ち着けます。

そのほか、たまにするのが、最近浮上している自分のパターンやテーマについて、ジャーナリングで深掘りします。
特に人間関係のことは、ジャーナリングしていると親との関係を思い出すことが多いです。
親がそうであった所以、親との関係で感じていただろうこと等々、思いつくまま書きます。
誰に見せるわけでもないので「・・・と思った。やっぱ違うか・・・」というように、出てきたまま推敲せずに書きます。
書いているうちに辛さがよみがえってきたり、あたたかいものを感じて泣けたりすることもあります。
一見関係ないことが出てきたり、思わぬ方向に展開したりするから面白いし、深い。

書くという、ある意味スピードを落とすことで、きっとこうだろう、だけではないものが生まれる余地があるのかもしれません。