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noteを始めるにあたっての限りなく個人的な所信表明

「なんかしたいよね」 
社会人三年目のこの1年、仕事のものを除くほぼ全ての飲み会でこの言葉を口にしていた気がする。

「なんかしたい」
時間とエネルギーを持て余した人間の口から出る、魂のゲップのような言葉だ。 とにかく足が動いてない。
人間誰しも悩みはあるものだと思うが、例えば仕事で悩む人の「明日のプレゼンの資料を改善するには」、子育てで悩む人の「子供の学費を払うには」といった悩みと比較すると、「なんかしたい」の圧倒的なソファ感(ソファに座って喋ってる感じ)が際立つ。

ただゲップだろうと何だろうと口には出してみるもので、
いつも通り「なんかしたいよねえ」とか言いながら飲んだ(リモート)翌日、一緒に飲んでた友達から「noteアカウント作りました」のLINEが届き、その日のうちに同期の友達三人でnoteをやることになった。持つべきものは行動力のある友達。

三人でやる理由は一つ、それぞれがちゃんと書いてるか見張るためだ。
各自週1本、計3本の記事更新を血尿が止まらなくなっても続けたい。

みなさまにお伝えするような技術や知識は持っていないので、主に見たもの聞いたものの感想を書いていくことになると思う。

以下、毎週書くことでこんなことが起きたらいいなあ!という願望。

1 インプットが豊かになる。 

文章を書こうとするとだいたい悩むことになる。
基本的に「面白かった」とか「疲れた」とか「楽しい」とかしか思っていないからだ。
こうしたざっくりとした感情を、悩みながら文章に変えていく過程で、ようやく自分が何を感じていたのかがわかってくる。
稚拙な言葉に変えてしまうことで、とりこぼしてしまう感情もあるだろう。人間の感情は素人に書ききれるほど単純ではない。
それでも感じたまま複雑な感情をそのままにしておくことには一つ大きな弱点がある。
賞味期限が短いのだ。
人にもよるのかもしれないが、自分の場合感じたままの複雑な感情は2回寝るとほぼ完全に忘れてしまう。複雑どころかゼロである。
いくつかの感情はとりこぼしてしまうとしても、書けば書いたことは忘れない。少なくとも読み返して思い出せる。
映画を観たとき、本を読んだとき、旅行をしたとき自分の中にわく感情。放っておいたら二晩で雲散霧消してしまうようなその感情がうまく脳の片隅に残っていってほしい

2 もやもや考えていることに形を与えることで検討・修正できるようになる。 

大学時代、暇を持て余しまくっていたのでノート(アナログ)に日記のようなものを書いていた。
たまに見返してドン引きするのが、ときどき日記の余白に数年後の自分が書いた反論・補足・慰めがびっちり書き込まれていることだった。
誰も見ていないノート書かれた考えに、もういない過去の自分へのコメントを残すことはどういう種類の自意識なんだろう。手遅れながら大学時代の自分が心配になる。
とはいえ文章を書く効能はこれだよな、とも思う。
つまり、一度文章に書かれた考えは後から検討・修正することができるのだ。
自分が感じるもやもやを、ぴったり言葉にできなくても、とにかく言葉にして形にしてここに残しておく。いつかの自分が赤ペン先生よろしく自分の気持ちにぴったりの言葉で添削してくれることを期待する。


「なんかしたいなあ」と思ってたのが、「来週何書こうかなあ」って思ってるよ。やったね。 来週も書きます。

@いえもん
タイのBLドラマはまじで言われるまで全く知りませんでした。
おすすめ記事楽しみにしておきます!

@きっちゃん
自粛明け映画観に行った!?

サイトウでした。

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