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誕生日に祖父と電話して泣く27歳男。

誕生日を迎えて27歳になった。
27歳、結構ビビる数字である。


どのくらい共感されるのかわからないが、20歳超えてから年齢というものをあまり意識しなくなった。

10代であればその年齢によって、社会的立場が全く異なる。(高二と高三は期待される役割が全然違う)
でも20歳くらいから年齢と立場がごちゃ混ぜになってくる。

浪人・留年している人もいたし、同じ会社の一年目に学部卒も院卒も転職組もいる。
「○歳はこんなことをやる歳」という規範がゆるくなってきて、なんとなく20代の若手世代ってことでぼんやり自分を認識していた。


しかし27歳となると、急に30歳の予備軍という印象だ。

「20代でやるべきことリスト」はあらかた埋まってないとおかしいだろうという気がする。そして自分はそのリストをほぼ埋められていないんじゃないかと焦る。

何が足りないのかはよくわからないのに「足りない」ことだけは感じる、いつものよくない焦り方だ。


そんな誕生日、広島に住む祖父から電話があった。
誕生日に電話をするような習慣はないのに珍しい。

おめでとうの挨拶の後、祖父から急に聞かれた。

「27歳になるのか。何になるのか決めたのか?」

虚を突かれてうまく答えられなかった。

「何になるの?」という質問は、学生や新入社員にする質問だろう。
いい歳した会社員のおじさんに「将来何になろうとしてるんですか?」とはあまり聞かない。

「何になるんだろうねえ〜」とか煮え切らないことをモゴモゴ言っていると、「まあ焦らんでもええけどな。お前はなんでもできるんだから、何になるのかちゃんと決めにゃいけんよ。」と言われた。

「それを言っておきたかっただけ」と言って電話が切れた。


祖父は少しボケも入ってきていてどうやらお酒も飲んでいたから、単純にぼくが会社に入ってもう4年も普通に働いているということがよくわからなくなったのかもしれない。
それともぼくの焦りをなんとなくわかっていて、珍しく電話をくれたのかもしれない。

本当のところどういう意図でこんな電話をしてきたのかよくわからないけど、電話を切った後何故だか涙が出てしまった。


概ね嬉しくて泣いたと思う。

27歳の最近はどう努力すればいいのかわからなくなることが多かった。

分をわきまえて今いる場所に満足しなくちゃいけない気もしたし、大きな目標を立ててそこに向かって努力しなきゃいけない気もしたし、1からキャリアをやり直すような転職をするなら最後の機会だという気もした。

めちゃくちゃ迷っているのに、こういう思春期的な悩みはあまり大きな声で話せる年齢でもないとも思っていた。

毎日が地続きの会社員生活で問われるのは、基本的に「今何ができるか」で、たまに思い出したように上から「今何がしたいか」を聞かれる程度だ。

これから何になるか、という問いはあまり意味もないし、機能しない。(金もらっているプロなんだから当たり前なんだけど)


でも祖父から見れば、ぼくは「これから何になるのか決める人」なのだ。

そういう種類の期待を久しぶりに感じて、なんだか嬉しくなってしまったんだと思う。


不安な日々から抜け出すために、毎日の仕事への取り組み方や、自分の雑魚メンタルとの付き合い方を変えていかなきゃと思っていた。

でもその前に、「何になるのか決める」必要があるんだろう。

会社員になった時点で「何になるか」の問いはもう終わったものだと思っていた。

その問いは、解決したのではなくて聞かれなくなっただけなのだ。


自分の真ん中に「何になるか」が定まっていれば、良かったり悪かったりする仕事の波にも、曖昧な「20代でやっておくべきことリスト」にもそんなにうろたえずに済む気がする。


何を今更なお話で大変お恥ずかしいのだが、もう一回「これから何になるのか」ちゃんと考えよう。

まとまったらもう一回祖父に電話してみようと思う。


サイトウでした。



@いえもん

それは自信をつける、自分の中身をギチギチに詰めていく挑戦を、失敗を、最高を、経験を、していないからだろう。

わかりすぎ。泣いた。

自信ない年配嫌だ〜〜。


@きっちゃん
『隔たる世界の2人』見ます!!

自分の調子が悪いとミソジニー的な自分とかネットで政治の悪口言いたい自分とかが頭をもたげてきて、「こういう感じでこうなっちゃうのか〜〜」という謎の納得感がある今日このごろです。

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