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“喜怒哀楽”の“喜”を得る方法

社会人生活ってまじで“喜”がねえよなあ!と折に触れて思ってきた。

“喜怒哀楽”の“喜”である。


“怒”と“哀”はめちゃくちゃある。
理不尽な業務にムカつき倒していることなんてよくあるし、逆に自分のできなさに悲しくなるのもほぼ毎日のことだ。


ポイントは“楽”もそこそこあるということである。
飲み会に行って気の合う人たちと話していれば楽しいし、好きな芸人のラジオを聞いている時も楽しいし、自分の担当している仕事がぽんぽん進んで行った時も楽しい。

だから単純に「社会人生活は辛いことばかり」と言っている訳ではないのだ。嫌な感情とは折り合いをつけながら、別に毎日そこそこ楽しくやっている。


ただ“喜”がない。

ここで自分が言っている“喜”というのは、“達成感”に近い感情のことだ。

何かを達成した時に感じる、脳から何かしらの汁が出ているような、一瞬だけ自分は無敵だと信じられるようなあの感じ。

あの感覚を味わうことがほんとにないのである。


学生の時はもう少し頻繁に“喜”を感じていたと思う。

高校でやっていた剣道で自分より実力がある人から勝利をもぎ取った時、大学でやっていた落語で完全に場を掌握し、多くの笑い声をみっちり浴びて舞台を降りたその帰り道。

あの瞬間は確かに“喜”を味わっていたし、そういう瞬間がまたあると思えるから日々の辛さもつまらなさも乗り越えて来られたように思う。


ああいう“喜”の感情って自分の社会人生活には全然ないよなあ、と思っていた。



でもつい最近、「これは久々の“喜”だわ」と思えるようなことがあった。


会社で社内の企画募集があって、ここ1ヶ月くらいそのことをずっと考えていた。書き始めるまではごちゃごちゃ悩んでいたのだけど、なんとか期日までに書き上げて、無事に提出できた。

その瞬間、確かに“喜”を感じたのである。


そのタイミングで“喜”を感じたことに自分で驚いた。その時感じた“喜”が学生時代に感じていた“喜”とはちょっと違うものだったから。


学生時代の“喜”は、基本的に「勝利」と結びついていた。剣道で勝って“喜”、なんてまさにそうだし、落語で笑いをとるっていうのも広い意味での「勝利」には違いない。

今回の“喜”は違う。

出した企画書が通った訳でもないし、企画書を見てくれた人にめちゃくちゃ褒められた訳でもない。

ただ企画書を完成させて、提出できただけである。


初めて知ったのだが、めんどくささを乗り越えて、自分の100%をしっかり出した成果物ができれば、「勝利」ではなく「完成」で“喜”を味わえるのだ。


これは自分にとってすごく嬉しい気付きだった。

「勝利」でしか“喜”を感じられないのであれば、勝負がある仕事でしか仕事の“喜”は感じられない。

それこそ企画系の部署だったり、努力が数字にしっかり跳ね返ってくる営業であれば、勝負や勝利を感じることがあるのかもしれないけど、自分がいましている仕事にはそもそも勝負的な場面がない。
決まった仕事をいかにスムーズに、ミスなくできるかがいまの仕事の眼目だ。


でも「完成」で“喜”が味わえるとわかった今、少なくともやるべきことはわかる。

自分を100%出し切って、成果物を「完成」させれば良いのである。


そもそも自分を100%出していい仕事がほとんどねえ、という問題があるにはあるのだが、そうは言ってもこれはいい気付きだ。


この仕事は自分を出しても大丈夫だ!と思った時には、めんどくささを乗り越えて、100%を出していきたいと思う。



noteを書く、とかも100%出せた!ってなったらすごい“喜”なんだろうなと思うんだけど、まだ自分はそこまで行けてない。早くそのステージいきたい。

サイトウでした。



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@いえもん
ぼくも一人でやってたら絶対ここまで続いてないっすわ!
他人の目をうまく入れ込むのって大事だねえ。

会議はやらないといけないですね。
飲み会をやりましょう。


@きっちゃん
父ちゃん力どんどん上げていくなあ。

おれが子供としたいこと第1位は「自転車の補助輪を取る練習を秋の公園でやる」です。よろしくお願いします。

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