或る雀魂プレイヤーの肖像〜邂逅篇〜

 鉱石病(オリパシー)なる不治の病が蔓延して久しい世界において、武装集団と化した鉱石病患者たちを相手取り、部下(オペレーター)を配置して殲滅する、「ドクター」業。
 そいつを難なくこなした俺は、スマートフォンをその辺に放り出し、っはー、というため息とともに、ベッドに横たわった。

 一言で言えば、退屈だ。

 去る、2020年5月某日。
 第一回目の緊急事態宣言が発令されて、非正規雇用の俺はテレワークが許されず、自宅待機。その分の給料は当然出されない。別に首になるわけではないことは分かっていたし、貯金はなくはなかったので、それを切り崩してやり過ごす。
 ただ、そうなると、スマホでゲームをするか、アマプラでもつけてアニメや映画を観るくらいしかやることがない。仮に外に出たところで、派手に遊ぶことが出来るだけの金もない。あったとしても、節約しなければならない。

 一言で言えば、退屈だ。

「退屈だなぁ〜。なんか面白いことはないの〜?」
「……俺が聞きてぇくらいだわ」
 挙げ句の果てに、俺の推しオペレーターのプラチナ(つやつやの白髪とアンニュイな女子高校生みたいな態度の憶測に眠る「刺激的なゲーム」を求める飢餓感のある性格が特徴のスナイパー。可愛い)までが、スマートフォン越しに退屈を吐露しだしたので、俺も俺で投げやりな言葉を返す。
 こんな時、かつての俺だったら、読書をして時間を潰していた。あるいは、キーボードを叩いて……。

 ーーセンパイ、ヨミヅライデス。

 ーーソンナノカイテナイデ、エンタメヲカケヨ。

 ーーオマエノキャラッテ、ゼンブオマエダヨナ。

「……クソ眠ィ」
 急速に、何かに引きづられるように、眠気がやってきた。
 おおよそ、十四時くらい。普段ならこいつに抗って仕事を続けるところだが、何を隠そう、今日の俺は自宅待機マン。誰にはばかれることもなく、午睡をキメられる。このまま二時間くらい眠れば、ちっとは頭も冴えることだろう。
 ……そんなことをぼんやり思いながら、目蓋を閉じる。

 ーーカラン、という鈴の音。

 それと共に、腹部の辺りに感じる、程よい重さ、温度。
 まるで、人間の子どもが、乗っかってきたかのような。
 光指す場所で目を開くように、硬い目蓋を剥がすように、ゆっくりと眼を開く。

 ーー綺羅びやかな和服に身を包んだ少女が、俺の腹の辺りにまたがり、俺の顔をマジマジと見ていた。

「っっっあぁッ!?」
 生存本能が上乗せされた脊髄反射で、叫び声と共に上体を起こす。
「……あンだ、今のは?」
 特に何事もなく上体を起こした俺の視界に移るのは、擦り切れる程に見慣れた俺の部屋。
 難なく上体を起こせたということは、最初から俺は誰にも跨がられてなどいなかった、ということ。一応辺りを見回して見たが、人の気配すら感じられない。
 そもそも俺の家に子どもはいないし、あんな少女を近所で見たこともない。よしんばいたところで、俺の家の俺の部屋に、誰にも気づかれずに入れる訳がない。俺は眠りが浅いから、鍵を明けて部屋に入ってくる、そのどこかの段階で必ず気づく。
 そして、何よりーー。
「……猫耳って、お前」
 こちらの顔を見つめる、少し勝ち気な印象の眼が宿る、人形のような小顔の頭。

 ーーそこには、三角形の、猫の耳がピンっと生えていた。

 俺は、ベッド近くにおいていたタンブラーを手に取り、水を煽る。
「……頭痛ぇ」
 二重の意味だ。
 まず、昼寝から目覚めた直後は軽い頭痛をよく起こす。
 そして、俺がさっきまで見ていた、夢の内容。
「俺、ケモ耳属性皆無のはずなんだけどなぁ……」
 俺はため息をつきながら、近くに放り出してたスマートフォンを手に取る。俺の推しのプラチナのクールビューティが変わらずに映し出されていた。プラチナもケモミミ属性ではあるが、そんなこと関係なく可愛い。
 いっそのこと、プラチナが俺に跨ってる夢だったら良かったのだが、ケモ耳一つとっても似ても似つかない。
 プラチナが白馬だとすれば、あの少女は猫。
 プラチナが女子高生だとすれば、あの少女はせいぜい中学生。
 プラチナが茅野愛衣だとすれば、あの少女は……。
「内田真礼辺りか?」
 知らんけど、と脳内でツッコむ。
 何にしても、和装猫耳少女が俺に跨ってるなんて状況、夢じゃなけりゃなんなんだって感じだ。
 女っ気がない生活が長くて久しい俺にしても、もう少し、深度のある夢が見たいものだ。
「……スタミナもそんな回復してねーな」
 任務一回分にも満たない理性(スタミナ)しか回復していないところを鑑みても、一時間くらいしか寝ていない感じだろうか。
 一人の自室で退屈を埋めるのも、なかなか難しい。
「……なんか、新しいゲームでも探すか」
 ブックオフで100円の文庫本を適当に見繕う、くらいの気軽さでゲームが遊べるのが、スマホ全盛時代のいいところだと思う。しかも、文庫本と違って、課金さえしなければ金はかからない。
「……雀、魂?」
 Google Playのおすすめのところにあった、その二文字。
「へえ、これ、ヨースターが出してるのな」
 ヨースター、つまり、俺がドクター業をやっていて、推しのプラチナがキャラクターにいる、タワーディフェンスゲームの「アークナイツ」というタイトルを出しているゲーム会社のことだ。ちなみに、「アークナイツ」以上に「アズールレーン」が有名だが、それはなんとなく、やったら負けな気がしているのでやっていない。
「じゃあまあ、こいつでもやってみるか」
 そして俺は、特に何にも考えずに、インストールのボタンを押した。

 そう、俺はこの時、本当に何にも考えていなかったのだ。

 俺が今、インストールのボタンを押したゲームのタイトルに、「雀」の字がついていることも。

 そのゲームのアイコンが、猫耳を生やした女の子の画像であることも。

 そして、俺が「夢」だと思っていたものが、「夢」と呼ぶには、あまりにもーー。

 ーーご主人。

 声が、聞こえた。
 その次の瞬間に、俺はベッドの上ではなく、椅子に腰掛けていた。
「……はっ?」
 いや、マジで、「はっ?」以外の、どんな声を出せばいいんだ? という感じだ。
「えっ? なに? マジで何っ!?」
 椅子は可動式で、しかも結構座り心地がいいことに気がつく。
 そして、目の前には……。
「麻雀……卓……?」
 俺、ご明察。
 光沢のある木材に縁取られた、人工的な深緑のマット。その中央に、サイコロと「25000」という四つの電子表示。
 俺の手元にポケットがあり、その中を開けると、棒状のものが十数本ほど。
 紛うことなく、麻雀の全自動卓だ。
「はっ? えっ? 麻雀? これ麻雀なの!? いやいやいや俺なんて麻雀打たねーから!」
「ご主人、何か飲むにゃ?」
「うわぁ!?」
 真横から飛び込んできた内田真礼的少女の声に、飛び上がる勢いで驚く俺。
「にゃあ! ご主人! いきなりそんな大声出すなんてどうかしてるにゃ!」
「どうかしてんのはこの状況だ! なんだこれは一体これはなんだ!」
「にゃにを言うにゃ! ご主人は私と魂天を目指すってさっき決まったばっかりじゃにゃーか!」
「はぁ!? コンテン!? なんだそりゃ!?」
 意味の分からない話に意味の分からない言葉を乗せられたら、そんなものは訳が分からないに決まっている。
「ってか、お前……」
「にゃ? 何にゃご主人?」
 俺の目の前にいる、綺羅びやかな和服を身に包む、少し勝ち気な印象の眼が宿る、内田真礼的な声でしゃべる少女。
 そして、その頭に生えるのは、三角形の猫耳。
「お前、さっきの……!」
「にゃ? さっきっていつにゃ!」
「さっきはさっきだ! さっき俺が寝てる時にーー!」
「私とご主人がこうして顔を合わせるのはこれが初めてにゃ! いい加減ボケてると、ご主人なんてあっという間にハコシタまで吹っ飛ぶのにゃ!」
 顔を合わせるのはこれが始めて?
 その言葉に、俺はますます困惑を深める。
 いやまあ、そりゃ俺だって、さっきのアレが夢だってことくらい分かってるが、それにしても、この少女はあまりに……。
「ってか、私はお前じゃないにゃ! 私のことはちゃーんと、一姫って呼ぶのにゃ!」
「いちひめ……いやだから、この状況を説明しろ! 俺は麻雀なんて打ちたくねんだよ!」
「にゃあ? だったらにゃんでご主人はここにいるのにゃ!」
「だからこっちが聞きてえんだっての! 俺はただ、『雀魂』ってゲームをインストール……!」

 ーー雀魂……『雀』魂?

 ーードォン!

 重々しい、打楽器の音。
 それと共に、扉が開かれる音が三つ。
 右手と左手、そして正面から、三人の男がこちらに近づいてくる。
「にゃあもう! いいからここに来たからには一回打ってくにゃ! 別にハコシタになったところで死にはしないのにゃ! 大体、ご主人もルールくらい知ってるにゃよね!?」
「いや知ってっけど! でも俺、麻雀は……!」
「東風戦! 喰い断も後付けもアリで、赤は5が一枚ずつ! 25000点スタートの30000点返し! 誰かが飛んだ時点で終了で南入はあり! 九種九牌も四風子連打も四槓流れも流局にゃけど、トリプルロンは成立するにゃ! 後はご主人が思い描いてる『麻雀』で大丈夫にゃ!」
「聞いてねえよ! そもそも俺は……!」
「とりあえずペプシネックスとツメシボは置いとくにゃーから! あと、分かってると思うけど、自分のものは左手の台に置くのにゃ! ……じゃ、健闘を祈るにゃー!」
「あっ、待て、おいっ! ……って、なんで立てねーんだよ!」
 ネズミを追いかける猫のように走り去る少女、一姫を追いかけようとしても、何故か俺は立ち上がれず、マヌケみたいに手を伸ばすことしか出来ない。
「……ってか、なんであいつ、俺がペプシネックス飲むの知ってんだよ……!」
 しかも俺はツメシボ派だ。アツシボは冬場でもあまり使いたくない。
 そうこうしているうちに、近づいてきた三人の男が着席した。
 俺の、左手と正面と右手……そして、大量の牌が、麻雀卓から山になってせり上がってくる。
 やっぱり間違いない。これは本当に、「麻雀」だ。
「……くそっ! やりゃいいんだろうがやりゃ!」
 ヨースターの技術力がオーバーテクノロジーしてるんだかなんだか知らないが、とにかく「雀魂」をインストールしたと思ったら雀卓に座っていたところで、とにかくこれは「麻雀」だ。俺はポルナレフみたいになってるかもしれないが、それでも俺は麻雀を打てるポルナレフだ。
 深呼吸を一つすると、俺は他の三人に習って、山から自分の牌を掴む。

 俺は、麻雀が「弱い」。
 確かに学生時代に麻雀は打っていたが、俺には向いていないと思い、大学を卒業すると同時に麻雀からは足を洗った。
 弱い人間が没頭するゲームとして、麻雀はあまりに最悪だ。
 貴重な時間を奪われるし、負けると嫌な気分になる癖に、身の程を知らずに何度でも挑もうとしてしまうだけの、恐ろしく「深い底」がある。
 俺は、その「深い底」に漂っていたくなんてない。
 俺は、同じ底でも、自分自身のーー。

 ーーセンパイ、ヨミヅライデス。

 ーーソンナノカイテナイデ、エンタメヲカケヨ。

 ーーオマエノキャラッテ、ゼンブオマエダヨナ。

 東一局。俺は南家。ドラは⑨。

・一巡目
一四五八八①②③⑤⑧⑨北発 ツモ:西

 良くはないが、立直が打てない程ではない。
「……へぇ、ドラがキラキラ光ってるよ」
 決して誰にも聞こえないように呟きながら、俺は発を打つ。
「ポンにゃ!」
 対面がすかさずポンを宣言。役牌をいきなり鳴かれる形になった。
「……別に構わない」
 対面の語尾はともかく、門前手が前提の時に初手に役牌を捨てるのは、俺程度の「雑魚」でも「常識」として染み付いている定石だ。

・二巡目
一四五八八①②③⑤⑧⑨西北 ツモ:6

 西は場に一枚切れ。ここは北を切ーー。
「カンします」
「えっ?」
 聞き間違いではなかった。
 俺の下家が北を三枚晒し、王牌から一枚ツモり、九を捨てた。新ドラは4。
「あいつ、西家だよな?」
 意図が分からない。染め手? にしても……。
 分からないことは考えてもしょうがない。どうせなら新ドラが乗って欲しかった。

・六巡目
四五八八①②③⑧⑨468西 ツモ:7

「あっ」
 という声をあげたのは、今しがた切った、4が新ドラであることを忘れていたからだ。安牌として、二枚切れの西を取っておく、という意図ではあったが……。
「チー」
 俺の後悔を吹き飛ばすかのような下家の鳴きの宣言。23のチー。
 自分のミスでドラを鳴かせてしまった……と、普通なら嘆くところなのだろうが。
「その前に一をチーしてるんだよなぁ……」
 つまり下家は、北をカンして、一二三でチーして、234でチーしていることになる。
 白は三枚切れ、発は対面に鳴かれ、下家の風である西も二枚切れ。
 役牌の可能性があるとしたら、一枚切れの中だが……。
 なんとなく察する。下家の手に中のトイツはない。そして賭けてもいいが、トイツがないどころか、一枚もないに違いない。
 要するに、ド素人。役の概念すら理解していないレベルだろう。

・七巡目
四五八八①②③⑧⑨678西 ツモ:三

 こういう時、俺は迷わない。
「雑魚」の俺にだって染み付いている「常識」なのだから。

「リーチ」

 そう宣言すると、俺は西を横向きにして出し、千点棒を出す。
 愚形だろうがなんだろうが先制であればリーチをかける。
 こんな「常識」誰だって知ってる。俺だって知ってる。
 下家がほぼノータイムで⑥をツモ切る。言うまでもないだろう、無筋だ。
「こりゃ普通に出るな」
 麻雀に「流れ」が存在しないことは「常識」だが、それ以前の問題だ。

・八巡目
三四五八八①②③⑧⑨678 ツモ:九

 最初から期待していない。
 だが、⑦を出したのは下家ではなく、発を鳴いたまま特に手が動いた様子のなかった対面だった。
「ロン」
 和了を宣言。せっかく下家大先生がくれた裏ドラ二枚の権利だ。喜んで行使させて貰おう。
「中と②。つまり、リーチドラドラ……えっと……」
 5200点。
「あっ、どうも……」
 点数計算は勝手にやってくれる。ネット麻雀万々歳だ。

●東二局 東家 ドラ:八
一六九③⑤⑥⑧247東東北 ツモ:白

 手はバラバラ。ただしダブ東がトイツ。
 ダブ東は二巡目にあっさり鳴けた。出したのは下家だった。

・9順目
四六八③④⑦⑧ ツモ:1(ポン:東東東 チー234)

 結論を言えば、俺はこれを和了ることは出来なかった。
「リーチ」
 もちろん俺じゃない。上家のリーチだ。

・10順目
四六八③④⑦⑧ ツモ:八(ポン:東東東 チー234)

 六を切った。理由は単純。上家が六を7順目に切っていたから。そして⑦が現物で、⑧は筋だ。特に何事もなければ、次は⑦を切り、その次に⑧を切るだろう。
 リーチされた時に自分がリャンシャンテン以下は即撤退。親だろうが副露してようが関係ない。これもまた、「常識」だ。
「ロン」
 三順後、上家は和了った。リーチ平和ドラ1。3900点。振り込んだのは下家だった。下家はやっぱり三副露していた。なんとなく安心した。

●東三局 北家 ドラ:西
二三四③⑤⑦⑧5678西白 ツモ:3

 迷わない。白切り。下家がポンをした。親に役牌を鳴かれたのに、妙に微笑ましい気持ちになった。
 紛うことなき勝負手。しかし、こういう時は、意外と手が入らないものだ。

・9順目
二三四③④⑤⑤⑦⑧567西 ツモ:7

「それじゃねえんだよ……」
 そう愚痴りながら7をツモ切る。5順目にこの状態になったまま、ツモ切りが続いている。
 西はこの時点で二枚切れ。下家は三副露していた。

「リーチ」
 宣言したのは上家だった。
 上家はさっきから、非常に手堅い内回しを貫いている。恐らくこの卓で一番上手いのは上家だろう。少なくとも下家より麻雀が分かっていない、ということはなさそうだ。
「ポンです」
 下家だった。裸単騎。役なし。かっこいい。
 それはともかく、上家のリーチだ。現物が二つあり、西もドラとはいえ二枚切れ。降りようと思えば出来なくもない。これを和了られたら大体二着になりそうだが、まあいいだろう。
 所詮は、よく分からないまま、勝手にやらされてる麻雀だ。
 別にトップだろうが二位だろうがハコシタだろうが、何にも変わらない。
「……まっ、これ終わったら、なんかアニメでも観るか」

・10順目
二三四③④⑤⑤⑦⑧567西 ツモ:西

 こういう時、俺は迷わない。
「雑魚」の俺にだって染み付いている「常識」なのだから。

「リーチ」

 ⑤を出した。当然、上家に対して無筋。
 しかし、それがどうしたというのか?
 平和ドラドラのテンパイ。危険牌だろうがなんだろうが、これをリーチしないなどという「常識」は、俺という雑魚の辞書のどこにだって書かれていやしない。
 いや、後から思うに、あるいはこの状況の場合、ダマという選択肢もあったのかもしれない。東風戦の東三局。上家とは1300点差。リー棒も出ているこの状況での3900、または1300・2600は、十分決定打になりうるだろう。そもそも、例えばこの時、満貫あたりを振り込んでしまえば、十分にラスが見える点数になってしまう。
 だけど、そんなのはこの時の俺には関係ない。
 麻雀に「流れ」がないのは「常識」だけれども。
 だけどそれでも、こんなの、リーチをかけてしまえば、絶対にーー。

 上家、赤⑤打。

 そして、俺ーー。

 ーーダメにゃ!

「……?」

・11順目
二三四③④⑤⑦⑧567西西 ツモ:⑨

「ツモっ!」
 電流が走るような感覚。
 リーチ一発ツモ平和ドラドラ。裏は乗らない。
 それでも、この点数計算に、符計算は必要ない。
「3000と6000!」
 親被りは下家。とても可哀想だが、まあしょうがない。これが麻雀だ。
 それはともかく、これで二位の上家とは16300点差。
 オーラスを残してはいるが、これはもう勝ったといっても良い状況だろう。
「……まっ、勝つ分には気分がいいからな」
 そう思いつつ、次局のツモ番。牌を打つ手が震えていることに気がつく。
「ばっかじゃねーのか、俺」
 そうゴチた俺の顔は、だけど多分、笑っていて。
 俺はそれを、自覚せずにはいられなかった。

「ご主人、お帰りにゃ!」
 対局を終えた後、席から立ち上がることが出来た俺は、無邪気な笑顔で走り寄ってくる一姫を出迎えた。こういう時、飛びついてくる一姫を俺が抱きとめるような感じにするものかと思って両腕を広げてみたが、一姫は手前でピタッと立ち止まって、ニコニコ笑顔を向けてくるに留まった。
「お帰りってか、お前……一姫が、勝手にこっちに来ただけだろうが!」
「そんなのはどうでもいいにゃ! ご主人、めちゃくちゃ強くてかっこよかったのにゃー!」
「いや、あんなの運だけで勝ったみたいなもんだろ。どう考えても出来すぎだ」
 そう、どう考えても出来すぎだ。
 俺自身にもミスはあったし、出来すぎなくらいに手が入った幸運もあった。そして何より、あの中に一人素人が混じっていた。
 ちなみに、オーラスは下家が対面から和了って終わった。書き間違いではない。下家はオーラスでもブレずに鳴きまくっていたが、今度はなんと役があった。それからドラも1枚あった。そしてあろうことか、対面は対局を放棄した。
 俺の跳満ツモの後、対面はオーラスでツモ切りしか行わなかったのだ。そんな打ち手にあるまじき対面を、下家の北ドラ1が捉えたのだ。今度は北は役牌だったよ。良かったね、下家くん。最後まで投げ出さなかったキミは、きっと強くなれるよ。
「でもでも、ご主人のリーチ、かっこよかったのにゃ。迷わなかったのにゃ、しっかり和了ったのにゃ、すごいのにゃー!」
「ははっ、じゃあまあ、どうもってことで」
 そう言いながら一姫の頭を撫でようとしたが、サッと呆気なく避けられてしまった。なんとなく撫でる流れなのかと思ったが、そんなことはなさそうだった。
「でも、ご主人。あーんにゃに麻雀嫌がってた割に、一位取ってたにゃ。ルール知ってるってのは言ってたにゃけど、実際、もともとやってたにゃ?」
「……学生時代に、ちょっとな」
 麻雀に、あまりいい思い出はない。
 向いてないし、嫌な思いもした。
 麻雀を続けたところで、俺の人生がこれよりも悪くなったとは思わないが、かといって良くなったとも思えない。
 要するに、麻雀をやめたところで、俺の人生には何一つ影響がなかった。
 それはきっと、これからの俺の人生にとってもそうなのだろうと思っている。
「にゃあご主人! このまま一気に、魂天まで突っ走るのにゃ!」
「こん……いや、だからなんだその、こんなんとかって!」
「魂天は魂天にゃ! 麻雀がつよーい人が得られる、とーってもすごーい称号なのにゃ! みんなの憧れなのにゃ! すごいのにゃ!」
「はぁ……」
 イマイチ、釈然としない。天鳳でいうところの天鳳位みたいなものだろうか? あれはもう、人間をやめたということだけれども、それよりもすごいとはちょっと思えない。
「いやまあ何にしても目指さないけど」
「でもご主人といえども、このままじゃ無理なのにゃ」
「って聞けよ! 目指さないっつってんだろうが!」
「そこでご主人。ご主人は、今日から私の弟子なのにゃ!」
「は? 弟子? 誰が、誰の?」
 一姫はやっぱり俺の言葉など聞かず、懐から一本の巻物を取り出した。
「とはいえ、ご主人は今のままでも強いから、ご主人は最初から中目録なのにゃー!」
 その巻物には、「いちひめりゅーてんぱいそくりーしんけん」と、子どもじみた筆致の毛筆で書かれていた。
「漢字で書けや……ってか、逆に書きづらくねえか、習字だと」
「今日の対局を見て私、ビビーンっ! と来ちゃったのにゃ! それはもう、ズビビビビンーン! ってにゃ感じにゃ!」
 知らんがな、とは思ったが、どうせ俺の話なんて聞かないから、ツッコむ気にもならない。
「ご主人は必ず、魂天になるお人にゃ! だから今のうちに私の弟子にしておくのにゃ! いわゆる青田買いにゃ! 私は先見の明があるのにゃー!」
 重ねて、知らんがな、とは思ったし、どうせ俺の話なんて聞かないだろうけど、それでも目指さないものは目指さないのである。
「……まっ、なんと言われようとも、目指さねーけどな」
「なんでにゃ?」
「俺は麻雀に向いてーー」
「いやいやでもでも、ご主人」
「?」
「麻雀打ってる時のご主人、とーっても、楽しそうだったにゃ?」
 俺は思わず、何も言えなくなる。
 否定しようと思えば、いくらでも否定は出来た。
 俺が楽しいと思ってるのは今日、たまたま勝てたからだろう、とか。
 麻雀の向き不向き、あるいは強い弱いは、たった一回の対局では到底分からない、とか。
 そもそもこの時の俺はただただ退屈だったから、たまたまその退屈が、一時的に紛れただけにしか思ってないに過ぎない、とか。
「…………まっ、退屈しのぎにはなったんじゃねーの?」
 だけど、俺はそういう言葉で、一姫の言葉を否定する気にはなれなかった。
 どうしてもそれは、そうする気になれなかった。というか、したくなかった。何故だかは知らないが。
「とりあえず、魂天って奴は目指さにゃいにゃーけど、たまに東風戦とか打つ分にはにゃーも構わないにゃ……にゃ?」
 なんか、俺の一人称と語尾がおかしいことになってる。
「……にゃ、にゃにをしたにゃー! 許さんにゃ!」
「おっほん。私の門下ににゃったからには、一姫語を使うのが門下生の義務なのにゃ!」
「いやいやいや! にゃってにゃいにゃってにゃい! にゃーはそんにゃよく分からんものになんてにゃってにゃいにゃ!」
「でも、ご主人がそうにゃってるってことは、つまりはそういうことにゃ。私の門下生になることに同意してるのにゃ。少なくとも、心のどこかで」
「戻すにゃー! こんな一人称と語尾でにゃーは人間社会で生きて行けないにゃー!」
「あっ、それはここを出れば元に戻るから大丈夫にゃ。あくまで、私の門下生として、ここでも生きていくにゃら、そうなるってだけにゃ」
 そして、ご主人は恐らく、そういう風に生きようってとっくに決めてるのにゃ。
 一姫は、何故か、とても嬉しそうな笑顔で、確信を込めた語気で、そう言った。
 俺は、その笑顔が気恥ずかしくて、少し視線を逸した。
 いや……気恥ずかしいのとは、ちょっと違ったのかもしれない。

 ーーセンパイ、ヨミヅライデス。

 ーーソンナノカイテナイデ、エンタメヲカケヨ。

 ーーオマエノキャラッテ、ゼンブオマエダヨナ。

「……魂天って奴になれば、この一人称も語尾も元に戻るにゃ?」
「いや、別にそんなことはないにゃ」
「じゃあ目指さないにゃ」
「にゃー! ご主人は酷いにゃー!」
「にゃあでも、麻雀打つからには、当然勝つことを目的にするにゃ」
 俺は一旦ここで言葉を止める。一姫が、怪訝そうにゃ表情で俺のことを見ている。
「にゃーは、勝っても負けても楽しいって考え方は、あんまりしないのにゃ。あくまで、『勝ち』に向かう努力が必要なのにゃ。それをやって、やって、やりきって、始めて、そういう考え方することが許されるって、にゃーはそう思ってるのにゃ」
 つまりーーと、俺は一姫の方を見た。しっかりと、一姫の目を見た。
「そういう風に続けていれば、いつか、もしかしたら、にゃーは魂天ににゃってるかもしれないにゃ。少なくとも、『魂天になりたくない』とは思ってにゃいし、そのために負けを選ぶことはにゃいんにゃから。違うにゃ?」
 一姫はしばらく、ぼんやりと俺のことを見ていた。俺の言葉を、咀嚼するのに、ほんの少しだけ時間がかかったのかもしれない。
 だけどそれでも一姫は、俺に笑顔を向けてくれた。
 とても、とても、嬉しそうな笑顔で。
 俺は今度は、その笑顔から目を逸らさなかった。
「おっほん! じゃあご主人、ご主人の名前を教えるにゃ!」
「えっ? 名前?」
「そうにゃ! ご主人がここで生きていくための名前にゃ! 私の門下生として、私の流派の看板を背負うのに恥ずかしくにゃい名前を、ご主人は名乗るのにゃ!」
 本名を名乗れ、という意味ではないことくらい、俺にもすぐ分かった。
 ここで生きていくための名前。自分自身にとって恥ずかしくない名前。
「……空箱」
 俺はまず、ポツリとそういった。
 頭になんとなく浮かんだ単語……でもあったが、それ以上に。
「にゃーは今日から、からばこ、にゃ」
 それはかつて、俺が「そうあろうと」した言葉。
 なんにもない、からっぽこの箱。それ故に、なんでも詰め込める、一つの箱。
 それはきっと、大きすぎも小さすぎもしないで。
 ただ、自分自身の「大きさ」に、由来する。そういう箱なのだ。
「からばこ……ふん、贅沢な名前にゃ」
「えぇ……」
 お師匠、ここでまさかの湯婆婆ごっこ。
 からとか、ばことか、そんな名前にされるんだろうか。
「ご主人は今日から、からばこくん、なのにゃ!」
「いやなんで足すんだよ!」
 あっ、語尾が普通になってる。これ多分、感情が上振れたりするとその一瞬だけ解ける奴だ。
「ってか、にゃんで敬称を足すんだにゃ! 他の人が呼びづらいだろうにゃ! からばこくんさんとか他の人に呼ばせたりつもりにゃーか!」
「うっさいにゃ! ご主人は今日からからばこくんにゃ! これは師匠命令にゃ! からばこくんの方が絶対にいいのにゃ! いいったらいいのにゃ!」
 ふんっ! と何故だか一姫は怒ったようにそっぽを向いた。
 話をする限り、基本的には単純な性格なんだろうが、なんか情緒に若干の不確定要素がありそうな感じだ。
「……まあ、サンプラザ中野くんとかの例もあるし、いっか、なのにゃ」
 実際、諳んじてみると確かにいい感じだ。からばこくん。うん、なんか親しみがある。
「……さーって、んじゃあもう一回やってくにゃー」
「にゃ? ご主人、やっぱり魂天目指すにゃ!?」
「いや、今日暇にゃし、飯の時間くらいまで暇潰すにゃ」
「にゃー! 駄目にゃー! 門下生としてちゃんと魂天目指すのにゃー! まずご主人は初心から始まって、そこから雀士……」
 この後俺は、数日かけて東風戦を打つことになる。
 13対局後、俺は一度もラスを引くことなく、雀士に上がることになるが。
 その辺はまた、別の機会に話をすることにしよう。

 なんせこれは、俺、からばこくんが、一姫と共にこの魂を天に届かせるまでの、長い長い物語の序章なのだから。

 ※

「……っはー、しかし、ひっさびさに打つのに、意外と勝てちゃうもんだな。って、本当にちゃんと語尾とか戻ってるし」
 無事、俺の部屋に戻って、試しに何度か、俺、俺、俺、と言ってみたが、にゃー、にゃー、にゃー、みたいなことにはならなかった。良かった。会社で変な目で見られないで済む。
「ってか、思ってたより、意外と河とか見えるし、案外俺自分で思ってるよりも麻雀向いてなくないのかもしれんな」
 俺が麻雀を向いていないと思った理由の一つが、自身の視野の狭さだ。
 自分の手ばかり見て、他家の動向が見えない……みたいなことが多すぎたのだ。
「いっそマジで魂天とやら目指すか? ……ってのは流石に冗談だけど」
 あっ、俺ちょっと調子に乗ってる、と冷静な部分で思いながら、アークナイツを開いて基地の管理を行う。プラチナは相変わらず可愛い。一姫よりも全然可愛い。
「……まっ、実際のところ、たまにこんな感じで打つのもーー」

 ーーダメにゃ!

「?」
 俺は、キョロキョロと辺りを見渡す。
 なんか、声が聞こえた気がしたのだ。
「……はー、腹減った」
 そして俺は、スマホをその辺に放り投げると、力なくベッドに横たわった。

 ※

「にゃー、ところで一姫」
「にゃ? 何にゃご主人? 私は今甘栗を食べるのに忙しいのにゃ!」
「そういえば今日、対局中に何かにゃーに言わなかったにゃ?」
「そりゃあ言ったに決まってるにゃ!」
「にゃ、にゃよにゃ! なんか、例えば、ダメにゃとーー」
「私がご主人を応援するのは、それはもう当然に決まってるのにゃ! フレー! フレー! ご主人! なのにゃ!」
「え? にゃ、それはありがと、なのにゃ」
「でも、私の応援は、ご主人のところまで届かにゃいから、それはもどかしいのにゃー」
「え? 届かない?」
「あったりまえにゃ! にゃって、対局中に、対局者以外の言葉が届いっちゃったら、やろうと思えば通しとかできちゃうにゃ! 私たち観客は、対局の様子を観ることは出来るんにゃから!」
「にゃー……それはまあ、にゃしかに……」
「でも、私の応援がご主人に届いたと思うと、それはちょっと嬉しいのにゃー」
「にゃー……応援っていうか……」
「にゃ? 煮え切らないにゃご主人!」
「にゃ……一姫、例えば今日、にゃーに、「ダメにゃ!」とか、そんな応援したにゃ?」
「にゃあ? ……にゃー、例えば、今日ご主人が振り込んだ時に、それは切っちゃだめにゃー! とか、そういうことは言ったかもしれないにゃ。ぶっちゃけ、私もそこまでは覚えてないにゃ」
「にゃるほど……でも、その言葉が届いたにょ、今日の一番最初の対局なのにゃ」
「にゃ? そにょときご主人、特に振り込んでなかったにゃーよにゃ?」
「にゃー……しかもその言葉が聞こえたにょ、東三局ににゃーがハネ満を一発ツモした時だったのにゃ」
「にゃ〜!? それ、何一つダメ要素ないにゃ! ってか、私がご主人を弟子にしようと思ったきっかけの局にゃ! そんなのありえんにゃー!」
「にゃ、にゃよにゃー」
「もう、変なご主人! そんにゃこというと、この甘栗あげないにゃ! この世界の食べ物ご主人は食べられにゃにゃけどにゃ! にゃーっはっはっはっ!」
「いや、それは別にいいにゃーけど……」

 ※

 ーーダメにゃ!

 ーーダメにゃ!

 ーーダメにゃ!

 ーーそっちに行ったら、にゃーは、二度と戻ってこれなくなるにゃ。

 麻雀という名の地獄の、その底の底の底の、どす黒い部分から。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?