藤圭子を偲びつづける(01)衝撃的なデビューを果たした母娘

演歌にはまった。30代半ばになって。

「演歌=ダサい」の図式は、演歌に興味がない人の大方の受け止め方だろう。自分もそうだった。

そんな方には、音楽選びの新基準を提案したい。

明るい曲か、暗い曲か。

ジャンルは無視して、曲調の好みだけで選べば、意外なほど色んなジャンルの音楽を受け入れられるはずである。

暗い曲が好きでない自分は、演歌を十把一絡げに食わず嫌いしていただけで、演歌は演歌でも、暗くてジメジメした曲を除けばそこそこ好きなことに気付いた。演歌は陰気なものという偏った先入観に囚われてしまっていた。

あとは単純に、歳をとって演歌の根底理念である「義理と人情」に対するリテラシーが向上したからというのもあるが。

往年の名曲たちを聴いていく内に、YouTubeで藤圭子「新宿の女」に出くわした。古い歌番組での歌唱だった。

深夜の淋しい酒場を連想させるトランペットのイントロから、ムード満点。色白で華奢な藤圭子がステージでリズムをとっている。

「私が男に なれたなら 私は女を 捨てないわ」

少し掠れた低音ボイスにまず心を掴まれる。

「ネオンぐらしの 蝶々には やさしい言葉が しみたのよ」

こぶしというか、がなり声・唸り声のような歌いっぷりと、巻き舌の「ぐらし」が琴線にガンガン触れる。

「バカだな バカだな だまされちゃって」

2回目の「バカだな」で心を撃ち抜かれた。

「夜が冷たい 新宿の女」

もう放心&錯乱状態。
何者なんだこの人は。
技術的な上手さ以上に、声がとんでもなくいい。

美しく綺麗な歌声を表す言葉に「迦陵頻伽」や「鶯舌」というのがあるが、それとは違う。ハスキーで任侠っぽい、灰色の歌声。人生の悲哀と諦念が何層にも重なったような奥深さ。

2番の「ポイとビールの 栓のよに」は、あまりにも良すぎて笑ってしまった。

寝起きのベッドでスマホをいじっている最中だったが、思わぬ邂逅と衝撃に、朝の眠気は吹き飛んだ。

歌声だけでも十分な衝撃だったが、とてもそんな声を出しそうもない姿とのギャップがまたすごい。写真を検索してもらえれば分かるが、明眸皓歯の美人だ。特に若い頃は。CD集「藤圭子劇場」に入っている写真は、ガッキー(新垣結衣)そのものだった。

調べると、この「新宿の女」は藤圭子が18歳(1969年)でデビューしたときの歌だった。YouTubeの映像はそれより後年のものだったが。デビュー時、見た目とは裏腹なドスの利いた歌声に、塗炭の苦しみを切り抜けてきた人生が相まって、そのドラマ性に歌謡界は釘づけになったようだ。

なお、藤圭子デビュー当時には、まだ「演歌」という言葉が定着しておらず、歌謡界のくくりの中で「怨歌」「艶歌」などの字が当てられていたそう。

さて、世に半世紀も遅れて「新宿の女」の衝撃に打ちのめされる中、藤圭子の歌声をYouTubeで渉猟していったところ、どれもこれも上手すぎて目眩がした。

特にカバー曲には恐れ入った。「潮来笠」「北国の春」「うそ」…。本家を凌駕している。あっさりと。もう藤圭子の方しか聴けない。

これも昔の番組のものだが、北島三郎の横で「兄弟仁義」を歌っている動画もすごかった。一体どこからその威勢のいい声が出るのか。男でも出せないような風格。

YouTubeで聴き漁ってから1週間と経たない内にアルバムを買い、その歌声に改めて聞き惚れた。

演歌を聴くようになって、自分の世界が広がったことが嬉しかったが、藤圭子を知ることができたのはそれ以上の財産だと思う。

残念ながら藤圭子はもうこの世を去っている。しかし、彼女は自分に優るとも劣らない天才を遺した。彼女の一人娘である。

藤圭子の母親は目が見えなかった。そして藤圭子自身も目の病気を患った。娘はどうか、光を失わないで欲しい。

そう願って「光(ひかる)」と名付けたという。

やがて娘は、生まれ持った天稟を存分に活かしながら(努力も当然しただろうが)、音楽の世界に身を置いた。最初は両親と組んだユニットでの活動だった。

頭角を現すのは早かった。15歳でソロとして初めてリリースした曲が、日本人離れしたセンスと歌声で、母親以上に鮮烈なインパクトをJ-POP界に与えた。

そのあまりの先進性に、当時の小室哲哉は「もう自分の時代は終わった」と悟ったという。

曲の名は「Automatic」。宇多田ヒカルのデビュー曲だ。

その後の栄達の歴史は語るまでもないが、それにしても母娘ともども10代で華々しいデビューを飾ったのは何の因果か。

2024年の今。藤圭子の死から既に10年が経っていて、デビューからは50年以上、引退(その後復帰するが)してからでも40年以上だ。しかし、令和の今聴いても、「こんなに歌が上手くて声の魅力がある人はいない」と素直に思わされる。きっと、これからもそうであろう。

まだ藤圭子を知らない1人でも多くの人に、この歌声を聴いてほしい。特に、「演歌=ダサい」という先入観に囚われている人に。

そこで、不定期になるが、これぞという曲をシリーズで挙げていこうと思う。1mmでも藤圭子や演歌の裾野が広がれば嬉しい。

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