松雪泰子さんについて考える(19)『初情事まであと1時間「ビフォア」』

*このシリーズの記事一覧はこちら*

*松雪泰子さんについて考える(51)「歌は語れ、セリフは歌え」*

2024/3/19更新(最下部)

松雪さん出演シーンの充実度:6点(/10点)
作品の面白さ:7点(/10点)
制作年:2021年
視聴方法:TELASA
 
※結末には触れませんが、ネタバレを含みますので、ご注意ください。
 
『初情事まであと1時間』という短編シリーズものの第3話。大森南朋さんと松雪さんのふたりが出演。一話あたり30分程度の短い話。全8話のオムニバス形式の中で、この「ビフォア」(第3話)だけが中年男女のエピソード。
 
妻に逃げられた男・上田(大森)と、東京に疲れて故郷に戻ってきた女・青木(松雪)。ふたりは同級生。男は実家の酒店を継いで働いていて、青木(松雪)はそれを手伝っている。
 
酒屋の軽トラを運転する上田(大森)と、助手席に座る青木(松雪)。冒頭のふたりの昔話の会話は、実に他愛なく、軽妙で面白い。
 
軽トラは、前日に浜辺の若者たちに届けた酒の空きビン等の回収へ向かう。片付け作業をしながら、ささいなことで上田(大森)が癇癪を起す。謝る青木(松雪)。
 
助手席に戻って、サイドミラー越しに上田(大森)の姿を見る青木(松雪)の目には涙が浮かぶ。このシーンの感情の機微は、なかなか解釈が難しい。何通りにも深読みしようと思えばできるだろう。
 
ミラーの中の上田(大森)は、自販機でジュースを買って運転席に戻ってきた。涙を流したことはおくびにも出さず、会話を交わすふたり。そして…。
 
映画『甘いお酒でうがい』の大九監督の脚本・演出作品。日常のなかの一コマを、いまそこにあるような輪郭の映像にする感覚は、今回も健在。二人の軽トラを遠くから捉える映像には、色んな意味が込められていると思われる。
 
どこにでもいそうな普通の女性ということで、松雪さんの演技も自然に徹している。声色についても、アナウンサー調の中低音ではなく、柔らかい感じのナチュラルな喋り方。
 
大森南朋さんは、『サイン―法医学者 柚木貴志の事件―』のときにも書いたが、三枚目の役柄が似合うと思っている。今作では、三枚目のシーンと、二枚目のシーン(というより、半ギレするシーン)があるが、前者は見事だったのに(例:冒頭の軽トラでの会話)、後者では若干の不自然さが拭いきれなかった。
 
それにしても、ロケーションが良かった。軽トラの走る田舎とも都会ともつかない道、夕日に照らされた浜辺、そして個人経営の小さな酒店。説得力がある。

・・・・・・・

[2024/3/19 追記]

先日、BSで再放送があり、久しぶりに鑑賞。
2~3回観返すと、新しい気づきがあって面白い。
備忘的に、現時点の解釈を記録しておこう。

おそらく青木(松雪)は、高校生の頃から上田(大森)に恋愛感情を抱いていたはず。別の店(パン屋)でアルバイトをしていた青木だが、本心では上田酒店がよかったのではないか。しかし、既に「磯村」がバイトで働いていたため、空きがなかった。

上田(大森)は、青木(松雪)が当時この磯村のことを好きだったはずと思っており、青木が上田酒店によく顔を出していたのはその証拠と捉えている。からかわれた青木は、否定せず「やめて」と笑うが、本心は違うだろう。実際は上田に会いに来ていたのではないか。

ポイントは、「磯村」という名前である。本作の冒頭、軽トラでの他愛ない昔話の中で、出席番号のことが話題となる。苗字的に、青木はいつも1番。上田は2~3番。上田はいつも青木に敵わないという笑い話だが、「あおき」と「うえだ」の間には「いそむら」がいたのではないか。

こう考えると、磯村は青木と上田の間で両者を隔てていた様々な「壁」を象徴していると考えられる。それは、上田から青木に対する小さな嫉妬や憧憬の念でもあり、青木が女のハンデを乗り越えようと東京へ勝負に出て行ったプライドでもある。東京と故郷との物理的距離も当てはまるだろう。それが今、上田の離婚と、東京に疲れた青木の帰郷によって氷解し、二人を隔てていたはずの「磯村」という壁は既に取り払われた。磯村が今はもう町を去っているというエピソードは、その比喩表現ではないか。

だからこそ、この磯村話の直後、青木「上田のとこでバイトしていたら、どうなっていたのかな」という発言になり、クライマックスシーンとなる。

では、磯村話よりも前、青木(松雪)が涙を流すシーンはどういう心情だろう。この直前、青木(松雪)の些細な言葉遣いに上田(大森)が怒り声をあげ、気まずい空気が流れている。青木は先に軽トラの助手席に戻り、サイドミラーに映る上田を見ながら独り涙を流す。

上田が怒ったのは、青木が他人行儀に謝罪の言葉を口にしたから。幼馴染にもかかわらず自分(上田)に後ろめたい感情を持つ青木のよそよそしさが気に食わなかったのだろう。「なんで青木が謝るんだ」と。

外形上はたしかにキレているんだけど、その根底には青木に対する優しさがある。幼馴染なんだから、普通に俺を頼れと。その温かさに、青木はグッときたのだろう。

一人で泣いたことは悟られないまま、軽トラに戻ってきた上田と会話が始まるが、テーマは青木が東京で感じたジェンダー話。東京では、女であっても男っぽく振る舞うことが求められた。それで周囲が喜ぶ(評価する)のは、「”女なのに”よくやるね」というギャップの賜物。それは青木にとってストレスの溜まる世界だった。

しかし、上田との関係は、女として以前に幼馴染であり、現に上田は青木が女だからどうこうとは気にすることなく、青木に怒鳴った。青木としては「この人(上田)は、私を私として接してくれる」ということの安心感に、心が揺さぶられたのではないか。青木の涙にはこういう側面もあるだろう。

やはり私は上田(大森)が好きだと改めて気づかされ、涙を流した青木(松雪)が、上田とのキスの直後に見せた一瞬の微笑(フロントガラス側から見た横顔)が秀逸。その後のセリフより、ここが一番の見所だと思う。

今は以上のように解釈しているが、また別の機会に見たら、別の解釈があり得そう。30分という短い作品ながら(短いからこそ?)、大九監督の仕掛けが随所に施されていて、味わい深い作品だと思う。

ところで、疑問点がひとつ。序盤で、下校途中の子どもたちが横断歩道を渡るときに軽トラを停めたのは分かるけど、その後、上田(大森)がタバコを吹かし、少し会話する間、青木(松雪)に促されるまで車を発進させなかったのは、どういう設定なのだろう。初見のときは信号待ちだと思っていたが、改めて見ると信号は無かった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?