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民主主義が起こす戦争 : 三浦瑠麗『シビリアンの戦争』

『シビリアンの戦争』は三浦瑠麗さんの初著にして集大成!と冠をつけたくなるような本でした。とにかく難しい。5年前にいちど読もうとして挫折したのですが、それから世界史の知識をつけて再挑戦したらなんとか読めました。つかれた。。。

内容は 「なぜ戦争は起こるのか」 という大きなテーマ。イギリスが参戦したロシアとのクリミア戦争 (1853年) や、イスラエルのレバノン戦争 (1982年 / 2006年) を取り上げていて、タイムリーといえばタイムリーです。

だけど本書のメインはアメリカの起こしたイラク戦争 (2003年~) です。


世間ではよく 「戦争が起こるのは軍が力を持ちすぎて暴走するからだ」 と言われてます。実際、満州で日本の関東軍が暴走したことは三浦瑠麗さんも認めています。

でもこの本ではそれと真逆で、
「軍は戦争を止めようとする傾向がある」
「戦争を進めようとするのは民主主義で選ばれる政治家たちだ」
という常識をくつがえすような仮説を検証しています。

2002年、W・ブッシュ大統領のアメリカ政府がイラク戦争を始めようとしているとき、アメリカ軍、特に退役した元ベテラン軍人たちは激しく反対していました。
マスコミ・メディアも巻き込んで 「イラク戦争をすべきじゃない!」 という運動がおこなわれましたが、それもむなしく2003年3月にはW・ブッシュ大統領が開戦を宣言してしまいます。

開戦の決め手になったのは 「イラクが大量破壊兵器 (WMD) を持っている」 という情報でした。
しかし戦争が始まった後にわかったことですが、実際のところイラクはそんな兵器はもっていませんでした。

イラク戦争の1年半前、2001年には9.11テロが起こっています。
アメリカではこの衝撃的なテロ犯罪を、根拠もないのにイラク大統領のサダム・フセインのせいにする空気があったようです。
「攻撃されることへの恐怖」 という国全体の不安なムードが、"予防のために疑わしい相手に戦争をしかける" という早計さにつながったのかもしれません。


唐突ですが、ここで僕のエッセイを挟みます。
(この内容は本書とは関係ない僕個人の見解です)

僕はこの本を読んでいて、安倍晋三さん銃殺後に 「容疑者がそう言っている」 というだけで旧統一教会が悪の親玉にされていった日本の空気を思い出しました。

僕は今でも、少なくとも山上被告の裁判が始まって詳細が明らかになるまでは、旧統一教会と銃殺事件との関連性について決めつけるべきじゃないと思っています。

政治と宗教の結びつきの問題も、過熱しすぎて偏見が混ざっているのではないかと思っています。旧統一教会が自民党を支配しているなんてのは明らかに言い過ぎだと思います。そんな権力ないだろうと。

もちろん旧統一教会に問題がないなんて言いません。教義もエキセントリックなようだし、高額な寄付を強制しているなら問題でしょうし、宗教二世のつらさについて、無視しろと言いたいわけじゃない。

ただ 「旧統一教会は悪だ」 という決めつけから入ると、どうしてもそれに合った情報だけを拾い上げていく態度になってしまいます。
「自民党の何人が "関係" していた」 とか 「本をバカ高い値段で売っていた」 とか、ほんとうはそれほど大した情報じゃないものが、まるで確たる証拠のように見えてしまいます。

(次から本の話に戻ります)


本によれば、イラク戦争を進めようとした政治家の代表はアメリカ副大統領だったチェイニーです。
彼はCIAに 「イラクが大量破壊兵器を保有している証拠を見つけてくれ」 と要求していましたが、確たる証拠はあがってきませんでした。

実はこの時期のCIAにはあまり権力がなかったのだと言います。
それはやはり9.11のテロに関連していて、あれだけ悲惨なテロを事前に察知して防げなかったCIAは、その失態のせいで地位が落ちて政治家たちに逆らいづらかったといいます。

そのためCIA長官のテネットは、政治家たちに都合のいい偏った報告をあげるようになりました。
しかし、だからといって嘘の証拠をだすこともできず、イラクが大量破壊兵器を保有しているかどうかはずっと "疑惑" のままでした。

ところがそんな状況にも関わらず、副大統領のチェイニーはナッシュビルという町での講演で 「イラクは間違いなく大量破壊兵器を保有している」 と発言したそうです。

(アメリカ副大統領ですら、そんな風に思い込みだかなんだかで根拠のないことを断言してしまうんです。われわれしょーもない一般人なんかなおさら気をつけなければいけません。というのが僕の意見です)


ところで、また『シビリアンの戦争』とは関係がない小ネタですが、日本はこのイラク戦争に自衛隊を派遣しています。

もちろん戦闘部隊ではなく後方の町での復興支援というかたちですが、それでも自衛隊の車両が爆弾によって軽く損傷する程度の事件はあったようです。

陸上自衛隊の派遣は2004年に開始され、2006年には撤収が完了しました。
期間中は常に500人以上の自衛隊員がイラクのサマワで活動していて、数ヶ月ごとに人員が交代され、合計で5000人以上が派遣されたようです。
(その他にクウェートを拠点にした航空自衛隊の派遣も行われたようです)

調べてみると僕の故郷の新潟県からも、山中敏弘さんという自衛官が撤収直前の群長として派遣されていました。

(次からまた本の話に戻ります)


イラク戦争が 「大量破壊兵器があるに違いない」 という政権関係者の思い込みによって始められたというのは恐ろしい話ですが、当時のアメリカではメディアや国民もそれを後押ししていたといいます。

2002年10~11月、イラク戦争が始まる半年前の世論調査で、イラク戦争の支持率は60%を超えていたようです。

そうした戦争賛成のムードの中、反対していた人々の代表が、前に書いたようなアメリカ軍、特に退役した元ベテラン軍人たちだったといいます。
三浦瑠麗さんは、元陸軍大将で国務長官を務めていたコリン・パウエルが抑制的な態度をとっていたことなどを事細かに書いています。

その他にも、W・ブッシュ大統領、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官などの政治家たちや、シュワルツコフ、ジニなど軍司令官についても詳しく記述されています。(名前を覚えるのが大変でした)

そうした政府・軍関係者ひとりひとりの心模様まで細かく記述しながら、この本は冒頭に書いた仮説の裏づけを固めていきます。
「軍は戦争を止めようとする傾向がある」
「民主主義で選ばれる政治家たちが戦争を進めてしまうことがある」

この本がおもしろいのは、それが単に 「政治家は悪いやつらだ!」 というレッテル貼りで終わるのではなく、政治家には政治家なりの利害の計算があり、軍人には軍人なりの利害の計算がある、という風に組織や構造の問題として掘り下げているところです。

特に当時のアメリカでは、ベトナム戦争 (1970年頃) や湾岸戦争 (1990年) で軍が疲弊した反省から、当時の軍人が戦争に対して慎重になっていたという個別の事情もあったようです。

たとえば、1970年頃に軍人だった人が、2003年のイラク戦争の頃には出世して軍司令官になっていたりする。そういう人が過去の経験を鑑みてイラク戦争に反対する姿勢を取る……といったことを想像すると、数十年単位の人間模様が読みとれて、まるで長編小説を読んでいるようなおもしろさがありました。

「1970年頃にアメリカはベトナム戦争をしていました」
「2003年にアメリカがイラク戦争を起こしました」
という記述だけでは絶対に想像できないけど、

「1970年に私は27歳の軍人でした」
「2003年に私は60歳で軍の司令官になりました」
というひとりひとりの人間の物語がそこには存在していて。

そして実際の政治や戦争というのは、そういう人間ひとりひとりの意志が絡み合って、それぞれの経験や立場からのものの見方があわさって動いていくものなんだということが、そういう人間の歴史の生々しさが、深く感じられる本でした。

2012年の本なのでここ最近の戦争についてはまったく触れられていませんが、立ち止まってじっくり読むにはとてもいい本です。古典を読むような気持ちで、クラシック音楽を聴くような気持ちで、読むことをおすすめします。

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