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猪瀬直樹『公』(2020年)

僕が猪瀬直樹さんの本を読んだのは『昭和16年夏の敗戦』が最初です。
やたら名著だと話題になっているので読みましたが、最初は史実なのか小説なのかわからずに困惑した記憶があります。

そんな風に、猪瀬直樹さんは物語を創造する作家でもあり実務的な政治家でもあるという興味深い立場の人物です。

この『公』という本もその著者の人生を反映するように、政治史として読める一方で、作家や文学の世界について書いた本だともいえます。


日本政治に対する猪瀬直樹さんの問題意識は明確です。
「日本は三権分立の中で行政を担当するはずの官僚が、実際には立法である政治も支配していて、官僚の天下り先である特殊法人や公益法人が、財政投融資などを通じて歪んだカネの流れを生んでいる」 といったものです。

これを猪瀬さんはこのように説明しています。
霞が関 (官僚) が政治を支配していて
虎ノ門 (特殊法人等) が天下り先としてカネを注ぎ込まれ
永田町 (政治家) がそのカネを受けとって支えられている
つまり三権分立とはいえない政官癒着の状態です。

本書ではその構造が生まれた原因を幕末まで遡ります。
もともと専制をおこなっていた江戸幕府が倒れ、明治期に民主主義が導入されたといっけん思いがちですが、実際には明治以降も法をつくったのは民衆ではなく一部の藩閥出身者たちで、天皇の勅令も彼らが作成する状況だった。つまり頭がすげ替えられただけで構造は変わっていなかったのだといいます。

しかし新しい流れが起こったのは事実で、福沢諭吉や森鴎外や夏目漱石などの文学者・作家たちは、西洋の民主的な考え方を文学を通じて日本社会に浸透させていったのだといいます。

ただその一方で、そうした政治的な革新とは無関係に生じた文学の流れもあるといいます。
それが田山花袋や川端康成などの暴露文学と呼べるようなもので、これは赤裸々な男女関係の実体験などを小説のかたちで書いたものでした。
この頃、文学者の森田草平と平塚らいてうの心中未遂スキャンダルも起こりそれが『煤煙』というかたちで小説化されたりもしました。

そういった流れの中で、福沢諭吉などが試みた政治・文学を接続させる流れは途絶えてしまい、ただ暴露話のような刺激的な小説だけが残ってしまったのだとしています。


ちなみに僕は太宰治が大好きで『人間失格』は人生で5回くらい読んだし『斜陽』も3回くらいは読んでいるのですが、猪瀬さんは三島由紀夫の言葉を借りて 「太宰治の悩みなんて冷水摩擦すれば治る」 と一蹴しています。

また僕は村上春樹の中~長編はぜんぶ読んでいて、春樹さんが翻訳した『キャッチャー・イン・ザ・ライ』や『心臓を貫かれて』まで読んでいるほどのハルキストなのですが、猪瀬さんは春樹についても 「カズオ・イシグロのようながつながる世界観がなく、ただしか描かれていない虚しい作品」 (意訳) と批評しています。

つまり猪瀬直樹さんにとって、田山花袋の流れを汲んで生まれた太宰治や村上春樹などの作家は、公的な責任なんかろくに考えず、ただ私的な享楽のために遊んでいる、子どもじみた放蕩モラトリアム人間たちのための作家だということです。はい、すみません。

そして猪瀬さん自身は、森鴎外や三島由紀夫の影響を強く受けて、またカポーティの『冷血』などにも触発されて、作家の道を歩んでいくことになったのだといいます。

ここまで読んで僕は『昭和16年夏の敗戦』で感じた 「史実として読めばいいのか小説として読めばいいのかわからない」 という困惑の正体がわかった気がしました。

猪瀬直樹さんが参考にした文学者たちというのは、もともとそんな風にフィクションの中にリアルを織り込み、リアルのためにフィクションを活用しようと考えていた作家たちであって、僕が好んで読んできたような作家とは根本的に路線が違っていたんだなと。

太宰治はどちらかというとフィクションのためにリアルを犠牲にし続けた人物のように思えるし、村上春樹は想像力によってリアルを飛びこえてフィクションでつながろうという趣向があります。

森鴎外や三島由紀夫はそこまで読み込んだことがないのですが、おそらくリアルをより深く理解したりリアルの物事を前に進めたりするために、フィクションという道具を活用しようとした作家たちなんでしょう。

だから僕は猪瀬さんの文章に目新しさを感じたのだと思います。そこにはフィクションを目的ではなく手段として、リアルの中に取り込んでしまおうという、逆向きの指向があったわけです。


『公』ではそこから猪瀬さん自身の学生時代の経験や、作家として書いた作品の解説、小泉政権での道路公団民営化、石原慎太郎の下での東京都副知事から東京都知事就任、そしてオリンピック2020の招致と選挙資金問題での辞任、などリアルな話が次々と語られます。

太宰や村上春樹を馬鹿にされて悔しいのでひとつ言い返すとするならば、こういった本の中で都知事時代の実績を自ら強調して書いているところはいささか横柄に見えました。

「俺は昔こんな手柄をたてたんだ」 という昔話を聞かされる若者の気持ちも考えてくださいよと。そんなつまらない話よりもディズニーランドでワクワクドキドキしたいんですよ。誰もなにも押しつけてこない虚構の世界でのらりくらりとしていたいんですよ。なんすか冷水摩擦って。パワハラじゃないすか。マジ勘弁。

……みたいなことを放蕩モラトリアム人間なりに思ったりもしましたが、虚構に浸ることができるのは現実の土台がちゃんと存在するからで、そこを支える人たちのおかげでのらりくらりと生きていられるわけで、戦争とか国防とか統治とか民の責任とか、そういった問題と向き合わないままここまできてしまったことが戦後日本のダメなところだというご意見は至極まっとうだと存じております。

そして選挙資金問題での処分期間を満了した猪瀬直樹さんは、いま現在も参議院議員として政治の現場の最前線にいます。
なにを隠そう僕も2022年参議院選挙の比例代表では猪瀬直樹さんに一票を投じました。
国会でマスクを外したとかスマホをいじったとかくだらないことをニュースにされてたけど、状況分析や政策の精度についてはとても信頼しています。

経済産業省から予算が出ているという大阪万博にもいろんな事情があるのだろうと思います。いままでの猪瀬さんの著作や発言を信用するならば、敵の懐に入り込んでいるようなものとも言えるのかもしれません。

リアルタイムな情報整理は得意ではないですが、そのあたりについても書けること・書きたいことがあったら微力ながら書いてみようかなという所存です。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。なぜこんなにかしこまっているのかわからないけれども。猪瀬さーん!みってるー!?


ちなみに猪瀬直樹さん自身のnoteで『公』の一部が公開されています。
けっこうな文量できりのいいところまで公開されているので気になった方はぜひ。


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