小説:突撃夫婦の晩御飯

「みんなで食べたほうが楽しいのに」

 集団による規律統制のためのまやかしの呪文を私に浴びせるのはやめていただきたい。断固拒否する。

 そもそも、一人でご飯を食べる時間ほど豊かな時間はほかにない。それを知らぬとははなはだ失礼な奴だ。相手が同じく大学生の純粋無垢なおとこであるのなら女子大生でごった返した新大久保に一人放り投げて韓国料理でも食って来いと言うところであるがそうはいかない。

 私と彼女らはご近所である。紳士である私はご近所付き合いがうまいのでそのような蛮行に走りはしない。ぐっとこらえて低調にお誘いをお断りするのだ。「すみません。今日は用事があるのです」

 しかし、おせっかいが悪となり、人と人との付き合いが霞のように薄くなったこの無機物の街東京でどうして晩御飯を誘うなどという、ご近所付き合いが成立しているのか。それは私が人情あふれる優しき紳士だったからである。決して美しい女性日惚れたわけではない。そして意義を唱えているのはその女性にはすでに意中の人がいたからでは断じてない。しかし、とにかくそれはある晩のことであった。

 コンビニでよくわからぬものを買いに行った時である。コンビニで何を買ったのかそんなことは重要でない。重要なのは、ふわりとした妖精のようなショートヘアをした妖精のような美しい女性がちょんとそこに立っていたことである。

 明日同じ時間にコンビニに行けばこの女性に会えるのだろうか、そう思いながら共有玄関の扉のカギをひねった時だった。その時世界は美しい輝きで見しあふれた。女性が小鳥のごとく透き通った美しき声で声をかけたのである。人生臥薪嘗胆。生きている間は修行であると自分を律していた甲斐があったというものだ。この女性もお互いの小指から伸びている赤い糸に気が付いたのであろう。さあ、要件を言ってみてほしい。やはり結婚だろうか?

「すみません。カギを持ってくるの忘れちゃって。一緒に入れてくれないでしょうか」

 ふむ素晴らしい。美しいばかりか慧眼である。私が紳士的な気配にあふれているからこそ、こうして私に話しかけてきたであろう。私はその賢さに舌は舌を巻く。決して一目ぼれしたわけではない。

「は、はい。い、いいですよ。こ、困ったときはお互い様ですから」

 緊張してどもったわけではない。とにかく、私はカギを開けて女性をマンションの中に招待した。もう一度言うが、美しさのあまり緊張してどもってしまったわけではない。

 そしてなんと驚くことに、その女性は同じ階に住んでいた。やはり運命である!しからば行動あるのみ!像に乗った魔人が私の心の中でそう叫び、踊り狂うが、そこで誘惑に負けてしまっては紳士の名が廃る。そもそも人間というのはお互い生命の進化のように長い歳月をかけ互いを分かち合うことにより真実の愛をはぐくんでいく生き物ではないのか。一時の感情に身を任せる行為など破廉恥千万。愛への冒涜である。それは紳士どころか人の名すら貶める行為であるぞ。人たらしめるならまずはともに紅茶を飲むところから始めるべし。私は像の上の魔人を説き伏せるのであった。

「ではこれで」

 私が手を振るとひまわりのような笑顔で手を振り返してくれる。ここはからっと晴れた7月の美瑛か? イヤ違う。彼女がまぶしすぎただけである。

 翌日郵便受けには手紙が来ていた。実にかわいらしい字で書かれていた時は誰なのかすぐにわかった。私は手紙の匂いを嗅いだ後中身を読んだ。ラベンダーの香りであったと思う。

「昨日は助けてくださってありがとうございました。夫はもう眠っていたので起こすわけにもいかず、玄関の前でどうしようかと思っていたのです」

 もうここまで読めばいいだろう。文章は続きがああったが、最後まで読んでも私に惚れたということは書かれていなかったので内容は覚えていない。私は万年床に伏すのみである。

 その時チャイムが鳴った。

 夫婦が立っていた。夫婦である。女性一人ではない。やられた。

「はい。何でしょうか」

「その、昨日はありがとうございました。そして申し訳ございません。私が眠っていたばかりに」

「はぁ」

 認めざるを得ないがこの男私よりほんの少し下位の紳士である。男は髪をきちっと整え、その白い歯が美しい。一方私の髪はぼさぼさであり、着古したわけのわからん英語が書かれたTシャツを着ているわけであるが、これはハンデである。こうでもしないと紳士力は釣り合わない。しかし、万年床に潜りたい。

「それでですね。そのお礼なんですが、一緒に食事をとりたいのです。失礼じゃなければどうでしょうか」

 小鳥のような声で女性は私を誘惑する。

「イヤ。私のことなどお気になさらず。私は一人静かに食事をとるのが好きなのです」

「そうですか。それは残念です」

「みんなで食べたほうが楽しいのに」

 誰がお熱い夫婦なんかと飯を一緒に食えるかという話である。そもそも私は孤独を愛し、孤独に愛される男である。そもそも本当に他人とご飯を食べるという行為は味を楽しめるのだろうか。大人数で料理を食す際はどうしても会話を交えながらになる。そうするとご飯は覚め、腹は膨れ、箸は止まってしまう。そうして時間がたち冷めてしまった食材にはそのポテンシャルが果たして残っているのだろうか。

食材だけを見つめ、黙々と何も言わずに食材と向き合う。これこそが職を楽しむうえで最も優れた姿勢なのである。やはり私は正しい。今宵も他人と食事をとらず、一人で美味な食材に舌鼓を打つこととしよう。そうして私は純然たる意志を持ちスーパーを練り歩くのであった。

そしてスーパーは私にこたえる。脂身がきれいな豚ロースが目の前に入り込んできた。国産でなかなか高い。しかし一人用なら変えない値段ではない! 悪いな。私は一人であるがゆえにこのような美味な食材を手に入れることができるのだ。ビバ一人万歳! 孤独こそが自由である!

それで、一人でそんないい肉食べてどうするの?

えっと、

その、

どうしよう。

豚肉をとりあえず置くことにした。目の前には同じ階に住んでいる夫婦がいた。

「みんなで食べたほうが楽しいのに」

美しい声が私の心の中でこだまする。

ええい! いいだろう! 夫よ。今回は負けを認めてやる。ムカつくがな。私は国産の牛肉をつかみ夫婦のところに歩いていった。

「こんなところで出会うなんて奇遇ですね。どうです。私今日すき焼きにしようと思ってたんですけど、一緒にどうでしょうか」

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