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わかめ散髪店レビュー風小説 ★★★★★

  店に入った瞬間私は感動に包まれた。ジャンプの漫画が本棚にずらっと並んでいたからだ。そして期待した。ここなら鳥の巣のような私の頭を気持ちよく刈り取ってくれるに違いない。そう、モーゼが海を割ったように、気持ちよくすっぱりと。


  ジャンプ漫画が置いてある床屋は気持ちよくバリカンで頭を剃ってくれる。これは私の経験から導き出された真理である。もちろん因果関係はある。今一度ジャンプがどのような漫画であるかを思い出していただきたい。ジャンプといえば友情・努力・勝利である。いわば男気があふれた漫画であるのだ。

 そのような男気にあふれた漫画が並ぶ床屋である。床屋自体も男気にあふれているにきまっている。しかし、ここで疑問を感じる方も多いだろう男気のある床屋とはいったい何なのだろうか。それを理解するにはまず男気とは何かを改めて知る必要がある。男気とは、寡黙であること、不器用であること、そして器の大きいやさしさにあふれていることを指す。物を言わず、ただ切れ味を求め蒸し風呂のような工房の中で、鉄を打ち続ける刀鍛冶を想像していただくと分かりやいだろう。

 そう、それが男気である。さて、男気を理解したところで考えていただきたいのだが、この男気溢れる職人にはどのような髪型が似合うだろうか? キノコのようなマッシュヘアだろうか? 枝のように細い大学生のようなツーブロックであろうか? それとも鳥の巣のようなパーマであろうか? どれも否。さわやかで謙虚な短髪である。ゆえに、男気溢れる本屋とはバリカンを容赦なく入れてくれるものなのである。

 椅子に腰かけジャンプを読んでいると私の番がやってきたようだ。ポロシャツを着た小太りのオヤジがジェスチャーだけでバーバーチェアに案内した。それにしても、ポロシャツというのがいい。「イケてます。スタイリッシュです。トレンド最先端です」と、気取った服を着る美容師ではためらってしまうような、バリカン捌きを見せてくれるに違いない。私の期待は確信へ変わり、安心しバーバーチェアに腰かけた。

 眼鏡とマスクを親父に預け、散髪が始まった。案の定親父がバリカンを入れ始める。そうそう、この感覚である。うなじから後頭部にかけてこびりついていた、たわしのような毛が剥がれ落ちる感覚。頭皮に大気が触れるさわやかさ。これを求めていた。求めていたはずだった。しかし、現実にはそのようなさわやかさはなかった。親父はうなじに慎重にバリカンを入れていた。その後後頭部まで刈り取ることなく、もみあげを刈り始めた。こちらも側頭部に手を出そうとはしない。手を出すどころか、型抜きをするかのごとく繊細にバリカンを使い始める。私は想像を裏切られ焦ると同時に、過去に訪れた最も軟派な美容院のことを思い出した。慎重なバリカン捌きは軟派な美容院のそれととても似ていた。

 その美容院は3か月前に住んでいた場所の最寄り駅、その駅前にあった。ビルの一階に店を構えたガラス張りのその店にサインポールはなかった。しかし、ガラスをのぞいてみるとおしゃれなインテリアに、観葉植物が飾ってあった。そのスタイリッシュどもの中にカフェテリア風な雰囲気を壊さないように巧みに対置された鏡や、「私はカフェのカウンターに設置してあるおしゃれな椅子ですよ」と自己主張しているように見えるバーバーチェアが確認できた。この情報から、美容院であり、しかもかなりおしゃれな店であると一目でわかった。たまにはこういうおしゃれな店で髪を切ってもらうのもよいかもしれない。もしかしたらストリートファイターのザンギエフのようなワイルドでクールな短髪に仕上げてもらえるかもしれない。そう期待に胸を膨らませ過去の私は店内に入ったのだ。改めて振り返ると私はその時まだ若く無知であったというしかあるまい。髪を短くさわやかにするためならば、男気溢れる床屋こそ至高であるという、この世の真理にまだ気づいていなかったのだ。


 さて、気分良く美容院に入ったのはいいものの、あるものを見て、私の心に大きな疑問が生まれてしまった。

美容師がハットをかぶっていたのである。

美容師は自分の髪型を自分がカットするわけではないだろう。そのため、美容師の髪型は美容室の腕とは関係ないのかもしれない。しかし、ダイエットジムのトレーニーが太っていると説得力がないように、ハットをかぶった美容師に全幅の信頼を置くことはできないのである。


 ハットの美容師に不信感を抱きつつもほぼモヒカン刈りのような写真を見せ、「これでお願いします」と私は頼んだ。ハットの美容師はその写真を見てうなずき、バリカンを私のうなじに当てた。しかし、バリカンの出番はそれでおしまいだった。その後は私の鳥の巣のような頭をほんの少々櫛とはさみで触り、ほかの美容師に交代した。


「それではシャンプーのほうに入りますが、これでよろしいですか?」


 ハットの美容師からバトンタッチした美容師の言葉に私は信じられなかった。頭の感覚でも、視力0.1以下の私の裸眼でもはっきり確認できる。明らかに注文した髪型と違う。私の頭の上に乗っているのは、好物の酒を飲み「えぐいて、えぐいて、それえぐいて」と鳴く大学生がよくしている髪型だった。

 ツーブロックのキノコヘアである。

どうやったらキノコとモヒカンを間違えるのだ、あなたはモヒカンのような笠を持つキノコを見たことがあるのかと尋ねたかったが私はそれを我慢して注文した。


「もっと気合入れてバリカン刈ってください」


 美容師はその場で体をそらせ、下品に笑いながら答えた。


「お客さん! 気合入れてって、えぐいっすよ!」


 私はこのやり取りをその後もう一度行い、その美容院から出たのである。ちなみにその美容院から出たときは、かなり長めのショートモヒカンになっていた。


 話を戻そう。この苦々しい思い出を鮮明によみがえらせるほど、床屋のオヤジのバリカンの使い方はハットの美容師と似ていた。繊細にバリカンで側頭部の下の方をつんつんする感覚を頭皮で感じながら私は髪を切る前の行動に思いをはせた。

 ああ、初めに髪型の写真を見せるだけじゃなく、もっと詳しく口で説明しておくべきだった。油断していたのだ。ジャンプが本棚に並ぶ男くさい床屋の雰囲気に。念には念を入れて「後頭部や側頭部の上の方まで3ミリで刈ってください」と説明しなかったことが悔やまれる。今からでもいい。もっと細かくやってくださいと言えばいいのではないか。私も何度か「もっと気合入れてバリカンそってください」と口に出そうとした。しかし、私は目が悪い。今の私の頭がどうなっているかよくわからない。この状況で指示を行うなど、周りの指示なしにカンだけでスイカ割を行うに等しい。

 そもそも、私の頭をさっぱりさせるための手順をオヤジは熟知していてそれを実行している最中かもしれないのだ。というよりその可能性は極めて高いように感じる。私にとって、オヤジがバリカンを入れた時点で際は投げられていたのだ。後は、着地を待つだけである。私にはその結末をただ見守ることしかできない。目は見えていないが。


 それならいっそ髪のことなどオヤジや神にでも任せておいて、ほかのことで気を紛らわせるしかないのである。そこで私は店内に流れるラジオに耳を傾けることにした。目がほぼ見えず、移動もできない今の私には好都合である。ラジオではリスナーから集めた大喜利を紹介していた。私もいっぱしの物書きだ。どれ、私も参加してやろう。私は脳内で大喜利を考えた。採用されたリスナーの大喜利はどれもウィットに富んでいて、予想外の角度からお題のポテンシャルを引き出していた。自分なりの面白さの理論を仕上げ、それに沿うようにお題を組み立てたのだろう。それが分かる作品ばかりであった。しかしまあ、一番面白く、それでいてお題のポテンシャルを最大限に引き出したのはもちろんこの私であった。私は男気溢れる男。すなわち自分に厳しい男であるため、この評価は自分びいきをしたわけでは断じてない。しかし、私には及ばないとはいっても、私には思いつかないような視点からの回答が多かったのも事実である。私には及ばないが。

 注目すべきは、人によって持つ面白さの理論は異なるということである。よく考えてみると、男気溢れる少年誌であるジャンプの漫画をとっても、それぞれの漫画が異なる角度から友情、努力、勝利を書いているように感じる。面白さ、男気、どちらをとっても目標は同じでも歩む道は異なるのではないだろうか。頭の中にそのような理論が芽生え始めた瞬間だった。

 同時に頭の中で些細な疑問も芽生えたのである。

それと同じようにバリカンで一気に髪を刈り取ること以外にもさわやかで硬派な男気溢れる髪型にする方法はあるのではないか? 

 であれば、このオヤジがやるように繊細なバリカン捌きで少しずつ、余分な毛をそいでゆく方法も男気溢れた頭にたどり着くための手段の一つなのではないか。しかし、どうしてもこのやり方はへらへらしたハットの美容師は脳にちらつく。そうなると、ガッと一気に刈り取ることが正義であるように思える。私が行っていたあたりの床屋はどれもそうだった。やはり、目標にたどり着くには正しい一本道を歩むのが正しいのだろうか。

 よく考えると、あの進撃の巨人もジャンプにふさわしくないとジャンプの連載を蹴られている。とすれば、私の中で芽生えた優しくも甘い多様性にあふれた理論はやはり間違っているとでもいうのだろうか。私の脳内はたちまち、この真っ向から反発しあう意見の根拠が次々と沸き上がり、混沌とし始めた。それもそうである。目標を達成するには正しい道がある、人にはそれぞれ違う道があり、その道は曲がりくねった物であろうと目標につながっている。

 この相反する意見は努力を重ね何かを成し遂げようとする者にとって避けては通れぬ永久の課題であるのだ。何かを成し遂げることによって我々は進歩する。進歩するには努力が必要だ。そして人は常に進歩する生き物である。であればこの問答は人類における解き明かすべき最重要の課題なのである。

 そして、それは今何とここで解かれようとしている。この人類の未来を示す回答は、俺の髪型によって示されるのだ。


「終わりました。確認お願いします」


 オヤジが俺の後ろで鏡を持つ。落ち着け。私は投げられた賽の目を確認するだけである。どのような目であろうと私に文句を言うものなどおるまい。だから、落ち着け。足も震わせる必要などない。落ち着け。

 俺は恐る恐る眼鏡を着け深呼吸した。

 鏡で俺の髪型を見る。

 実にさっぱりした男気溢れる髪型であった。やった! 我々は勝ったのである。それぞれ進む先に目標があるのだ! 人類の未来は明るい。

 すがすがしい気分になった私の全身に涼しい風が吹きつける。まるで、暑苦しく少し肌に張り付くあの散髪の時につける布を脱ぎ捨て久しぶりに髪の毛を切ったようなさわやかさであった。

 私は、ルンルンで店を出た。もちろんこの床屋が気に入り、今後通うことになったのは言うまでもない。そう、この床屋が気に入った理由は言うまでもない。


 ワンカット780円だったからだ。


 会計時にその値段を聞いたとき、散髪時に構築された理論はすべて吹き飛んだのである。でも確か、多少まじめなことを考えていた気がする。思い出せないが、おそらく今私が学んだことに比べれば些細な問題であるだろう。

 1000円以下で髪が切れる床屋は最高。これこそが私が今日学んだ真理であり、このわかめ散髪店に★5を着けた理由である。

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