「好きなことで食べていきたい」の危険性について

今回私が伝えたいのは、「好きなことで食べなくていい」ということ。
「好きなことで食べている」「好きなことで大金を稼いでいる」というのは現代において幸福の1つの形のように思われているけれども、
それは大きな誤解である、という主張です。

なぜ人は「好きなことで食べたがる」のか

まずそもそも、なぜ人は「好きなことで生きていく」「好きを仕事に」みたいなことにこれほど大きな価値を感じてしまうのか。ここから整理していきましょう。

「好きを仕事にするのは素晴らしい」というのはそれ自体が1つの思い込みですが、思い込みには大抵、その元になる複数の思い込みが支えとなって存在しているもので、「好きを仕事にするのは素晴らしい」も例外ではありません。

「好きを仕事にするのは素晴らしい」を支えている思い込みとしては、
「仕事は苦痛なものである」
「対価こそが価値である」
という2つの大きな柱があります。

まず「仕事は苦痛なものである」思い込みについて。仕事=我慢であるという強固な思い込みがあればこそ、好きなことを仕事にすることがロマンチックに響くのは間違いありません。もしあなたが右手を1回上に上げるだけで5万円もらえる謎の仕事についているとしたら、「ああ、こんな仕事は早くやめて好きなことを仕事にしたい」などと思うことはないはずです。でもそんな仕事実際には存在しないし…と思うかもしれないけれど、そのレベルの簡単なことで5万円以上のお金を稼いでいる人は世の中にゴロゴロいます(例:前から所有していた土地がたまたま値上がりした、親の金が自動で入るなど)

次に「値段こそが価値である」という思い込みです。こっちは前者より分かりにくいのですが、つまり、「お金を払われる行いは、払われない行いより価値がある」、「お金を生む趣味(好きなこと)は、お金を生まない趣味(好きなこと)より価値がある」ということだと言えば伝わるでしょうか。この思い込みがある場合、「好きを仕事に」は「好きなことで高い評価をもらうこと」とイコールになり、だから強い憧れを生むわけです。
「好きなことで食べていけるなんて、才能ある一握りの人間だけに許された贅沢だ」という文章が違和感なく頭に入ってくる人には、確実にこの思い込みがあります。
「値段とそれの価値には本来なんの関係もない」とあなたが知っている(知っている、と書いたのは、こっちが事実だからです、もちろん)場合、この文章はうまく飲み込めないはずなのです。

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