宵酒を交わそう【小説】









「秋生、さっきの酒……」
「わ、入るな、馬鹿」
「え、なんで」
「……とにかく来んな」
 ガチャ。
「入るなって言っただろーが!」
「なんだ、普通じゃない」
「……っ」
「さっきの酒。呑まない?」
「……ああ」
「お前の部屋でいいか」
「……」
 ベッドから床に移る秋生。扉を閉め、藤田がその向かいに座る。
 持参したワイングラスに赤い酒を注ぐと、芳醇な香りが漂う。
 小皿にチーズやナッツを転がすと、さて、と藤田が一杯目をあおった。
 仕事の近況に始まり、野良猫が駐車場をうろついて停めづらいだのテレビのアイドルがどうのと酒とともに話が深まっていく。
 景気の話から消費税導入施策に文句をつけて、そしてなぜだか異性の話に転がった。
 どちらも男だが、思えば酒の肴とはいえこんな話をするのは初めての事だった。
「秋生、お前彼女居た事ないもんな」
「うっせ」
 はは。……。
「……お前は、彼女とかいんの」踏み入る。
「んー、居たよ」……へえ。
「……嫌になって俺から別れたよ」
「なんで別れたんだ、勿体ない」
「勿体ないて。……普段はしっかりしている子だったよ。ただ、甘える時に、自分で出来る事を俺にやらせたがるきらいがあった」
「女に甘えられて……そういうのは、まあ、そういう関係なら良いもんじゃねえのか」
「……」
 秋生を見据える藤田。目が動かない。秋生は、藤田の言葉に耳を傾ける。
「その頃の俺は、お前を見てたから」
 ズキリ。
「やれる事を自分の手でやらない所が次第に目につく様になった。甘えられる度に彼女への軽蔑が増していってな」
「(……ズキ、てなんだ)」
 はは、と乾いた笑い声が部屋の上空で聞こえた。それは今はもう癖として意味の薄れた笑い声となってしまっている。
「(あの頃の俺を、コイツは見ていた)」
 額が冷たく汗ばむのを感じた。酒は呑みはじめたばかりなのに。
「俺なりに許せなかったんだろうな、彼女のその部分が」
 あの時は。今は? 違う……違う。
「それ以来、親しくなったりなんだりはしたが……今の所彼女は居ない」
 なんでもなさそうに藤田はそう言った。秋生は回想から抜ける事が出来ない。
 中学に上がった頃、藤田は俺の前から消えた。幼いころは家に招くこともあったが、秋生が中学へ入ってしばらくするときっぱりと姿を見せなくなった。幼いながらになぜ唐突にいなくなってしまったかわからなくて、戸惑った。
 だがコイツは俺を見ていた?
 子供心に抱えた嫉妬や恨みや悲しみが脳裡によみがえる。だがもう俺も子供ではない。ひえた心で胸の奥へしまい込む。押し殺す。
「……なんだそれ。やっぱり勿体ねえ」
「ええ、嫌だったんだって」
 ああ、今、どういう話の流れだっけ? 胸の裡を見ないように、触れないようにする。容易い事じゃないか。
「お前、早く結婚しろよ」
 そんで俺の世話なんて止めろ。
 一拍置いて藤田は酒を舐める。
「結婚しようがしまいが、俺は秋生の側に居るが」
 今度は秋生がぴくり、と固まる。
「俺達、身内みたいなもんだろ」
 今まで発してこなかった、仕事関係以外での関係の自認。言葉になされた。
「………」
 兄であり友であり先輩であり、幼なじみでもあった藤田が、今、これ程までに近しい。
「……あ」
 秋生は静かに瞼を閉じる。藤田を見ないように。

 翌日、会社へ戻るという藤田を見送って秋生も仕事の支度を始めた。
 家の中は静かになった。そのなかで、足の指先でワープロのキーを打っていく。かたかたかた。かたり。
 今日はなかなかうまくいかなくて、幾度も舌打ちをした。
 調子が狂うのは昨夜の一言、その事実が胸を押さえつけているからだ。
 俺を見ていた。事故の後の、俺を。
 なぜ俺の前に現れなかったのか、それはわからない。なぜ姿を消したかすら説明もなかった。ただ、学業に専念するとだけ当時はまだ元気だった母親と藤田の母の会話から漏れ聞いたが、そんなことが事実だとは到底思えなかった。あの頃の、小さな俺には。
 あの頃は。今は違う。
 きっと小さいガキの面倒を見るのに飽きただとかいうあたりだろう。そう結論付けてこれまで過ごしてきた。それなのに幼い記憶がふいに思い出される時がある。昨夜のように。
 その程度の関係だったのだ。きっと。七つ年の離れた幼馴染という関係は、それほど大事ではなかったのだ、あいつにとっては。そう、思う。
 また打ち間違えた。思い切って立ち上がるとベッドへ倒れこむ。上手くいかない。少し眠ろう。
 変な夢をみませんように、と思いながら瞼が落ちてくる。
 秋生は知らない。藤田のことを。家に上げる仲だというのに、知らないことが多すぎる。歳を重ねたからこそ知ることができなくなったような気もする。藤田が幼少時代に姿を消した事実を、この歳になるまで追及してこなかった。藤田とは一年ほど前から再び仕事を通じて交友をもつようになったが、だからといってなおさら聞けたことではなかった。
 なぜ今頃になって俺の世話を買ってでるのか。
 知るためには、向き合わねばならない。幼かった、痛々しいあの日々と。そして、藤田とも。
 瞼を閉じる。まどろみのなか、遠くに子供の声を聴いたように思ったが、眠気に抗えず眠りにおちた。


毎日投稿四日目。藤田が秋生をどう思っているか、秋生は怖くて聞かないんですね。少しでも目の前にお互いがいる意味を探ろうとしてくれたらいいのだけど……。ちなみに冒頭秋生はひとりで自分を慰めようとしていました。サイテー! ごめん!! わたくしの連勤は明日で終わるので 明日は短編を二つアップロードしてみようかと思います。アデュ!

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