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全部間違っている気がする。

当初定められた休職期間がそろそろ終わる。
予約ミスで,3週間ほど病院にいけていない&実家から一人暮らしの部屋に戻ってきたばかりで,不安が募るばかりになっている。

実家にいる間は,規則正しく生活できていたほうで,母と会話したり,祖母の家で草むしりをしたりと,病気や会社のことを考えないようにしていた(実際は,退職と復職についてどちらを選択するか心のなかでずっと引っかかっていたが,あまり見ないようにしていた)。

正直なところ,「復職はできないかもしれない,復職したところでまた同じことを繰り替えしてしまうだろう」と,どこかで確信していた。

思えば,こうなる兆候はいくつかあった気がする。

4年前の春先,当時,今の会社に内定をもらった先輩のつてで,会社説明会に参加した。その時,なんとなく,「この会社大丈夫かな?」と思ったことをはっきりと覚えている。特に悪い点はないけれど,どこか自分にしっくり来ていない感じがした。だから,就職活動初期には,現職の会社に応募する気はなかったのである。

その1年後の冬,大学院生になって就職活動していた私は,現職の会社を受けることを別の先輩に進められて,なんとなく応募することになった。関西に帰るつもりで就職活動を行っていたが,関東の会社だったので,気分が乗らないまま,最終面接まで進んだ。結果,すぐ内定をいただいた。内定の安心感から,他の最終まで進んでいた会社を辞退した。

就活の時,もっとも大切にしていたのは「安定」一択だった。本当にしたいことをしている会社は卒業してから就職活動が始まったり,あるいは給与が安かったため,諦めていた。
「安定」を軸にした理由としては,実家が自営業をしていたが,立ち行かなくなって閉業したこと,その後過酷な労働環境で働くしかなかった父と,毎日家事とパートに忙しい日々を送っていた母を見てきたからだった。
だから,大きいところに入って少しでも潰しがきくようにしたかった。

今思えば,もっと自分の思いを素直に聞き入れて就活をすればよかったなと思う。書いていてしんどい。

さらに家探しでも,しっくりこなかった。日当たりも良くて,買い物に便利な場所を紹介されたにも関わらず,当時の私は泣き出してしまうくらい嫌だった。滞在日程も少なく,一緒に来ていた母がここがいいと言ったので,渋々今の家に落ち着いた。家にいるとなんとなく気分が沈み,高速道路を走行する車の振動で揺れ,さらには上階からの遠慮ない足音で,だんだん気が付かないうちに疲弊していった。(たぶんこれも健康ならばあまり気にならないのだろうが,今の私には本当に嫌な気持ちになる)

ここまでつらつらと兆候を並べたが,まとめると
「無理やり納得してここまでいろんなことを進めてきた」
ということかなと思う。すべての原因はそうだとは言い切れないが,心の奥にモヤモヤとしたものがありながら,内定をもらってこれまで2年過ごして,だんだん歪みが溜まっていたのだなと思う。

自分はタフだと思い込みながら生きてきた。
思えば,学生時代も学校のカウンセリングルームに通ってなんとか耐えていた。部屋をめちゃくちゃに荒らしたこともあった,病んで朝起きられないこともあった。全部学生だったから問題として現れなかっただけで,本当は,もう随分前から限界だったのかもしれない。

どこからが自分のほんとうの願いで,どこからが他人の願いなのか分からず,退職すべきか,復職すべきか,なんか全て自分の思うことにモヤモヤして,どうしようもなく涙を流している。

全部間違っている気がする。

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