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写真に哲学は必要か

 

私はなぜ写真を撮るのか

 今更ながら自分に問うてみる。自分で撮って自分で見て楽しむ為なのか、誰かに見てもらいたいのか。撮るという目的は何なのか?
年明けに日本自然科学写真協会主催の写真展に行って来た。
プロやハイアマチュアの方々の写真はこちらに迫って来る力が違いますね。
展示室はそんなに暖房は効かせてないのだが観てると体が火照ってくる気がした。
(おそらく気のせい)

写真は一瞬の芸術

 なんて言葉を随分昔に聞いたな。そもそも
写真の祖であるダゲレオタイプは一瞬では画像を銀板上に残せなかった。
 フィルムカメラで最速のシャッタースピードはどれくらい何だろう。デジタルカメラになって飛躍的に高速になる。
千分の一単位から万分の一単位へ進化した。
何撮るんだろうね。
人の眼では捉えられない世界がそれにより写し出される。

のこすと言う撮り方

 のこすには「残」と「遺」の二つの字がある。高速連写でハードディスクにとりあえずバックアップしておくのは「残す」。
プリントアウトしたりフォトブックにしたりするのは「遺す」。
ただなあ母屋にある古いアルバムをどうしようか頭を悩ませる。親戚や従兄弟の結婚写真などもある。デジタルアーカイブと言う方法もあるがそれも100%保証出来るものでもない。そこまでして遺しておかなきゃいけない?と言う問いが生まれる。

家屋解体の現場でも家族写真のアルバムとか出てくる。遺影とかもそのまま仏間にかかっていたりする事もある。
 段ボール箱に入ったアルバムなんか見つけると「おわっ」と思わず声が出る。
内部片づけもお任せのうちなので紙類は段ボールを除いて可燃ゴミ行きです。

さて、横道にそれたので話を戻せば撮る姿勢、スタンスとしては「遺す」なのかな、
ただ何々イズムみたいなのをはなっから持ち込むのもなんだかな。
まあそれは観た人が判断する事なのかも知れない。
プロでさえこんなの撮れちゃいました!って
テクニックを超えた成果に自身が驚いている場合もある。

押さなきゃ始まらない

 とにかくシャッターかスイッチを押さな
きゃ写真は写らない。今は簡単に不用なのは消せるからいいね。もしかすると見逃した貴重な画像があるかもですが。「消す」って
ちょっと後ろめたさを感じるのは昭和気質なのかな。(笑) まあ置いとくとハードディスクのゴミになるのね。

日曜にやってくる小型のAV機器で撮れる画像は躊躇なく捌いていかないとハードディスクパンクする。やや重めなファイルになる、
ただアクションカメラはいままで観た事ないカメラワークで楽しませてくれる愉快なカメラだ。どんな絵がとれるか楽しみです。

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