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複雑な香りの世界-Complexity of fragrance components and signals-

(2024年7月25日 加筆修正)

ある植物の花の匂いを嗅いだとき、いい香りだと感じるかも知れません。次に別の植物の花の匂いを嗅いだとき、なんか臭い気がするなと感じるかも知れません。
しかし、もしかしたらその匂いには同じ成分が構成されているかも知れません。同じ物質なのになんでいい匂いだったり嫌な匂いだったりするのでしょうか?
今日は香りの相互作用についてお話をします。


昆虫の誘引物質 -マメコガネを例に-

マメコガネ(Pipilia japonica)という甲虫がいます。元々は日本原産でマメ科やバラの害虫だったのですが、北米に侵入したところ農作物から庭木や芝生まで大きな被害をもたらし、重大な害虫として防除の研究が広く行われる事となりました。

このマメコガネ、観察の結果から、その場所に定着して食害するのかと思いきや、どうやら個体が加害したときに植物が発散する刺激に反応して集まっている可能性が示唆されました。

では、なんの物質に誘引されるのかということが調べられました。誘引される物質が分かれば、トラップによる捕殺が可能になります。候補となる物質をスクリーニングし、マメコガネへの活性を調べました。
ところが、供試した物質には誘引されず、むしろ強い忌避を示すことが判明しました。

そこで、供試した物質を薄めて使用したところ、いくつか誘引される物質がいくつか判明することとなります。しかし、物質間での活性には大きな差はなく、何がベストな物質なのかは不明でした。
他の試験を行い、最良の物質はgeraniolであるとしました。加えて、eugenolを少量混合することで活性を大きく上げることに成功しました。

このように、単一の物質を濃度を高くすればいいというわけでなく、むしろブレンドをすることで効果を高めることが可能であることが判明しました。後に、ブレンドを検証した結果Phenethyl Propionateが最も強力な誘因物質であるとして、eugenolと混合して高い性能を発揮しました。

このブレンドに更に性フェロモン物質であるJaponilure (Nuranone)を添加することで更に3倍効果を上げることができ、製品として採用されることになりました。

この話についての要点は、
・誘因物質も高濃度では忌避に転じることがある(最適濃度がある)。
・単一の香気成分だけでなく、複数ブレンドすることで効果を高めることが出来る。
というところにあります。

嗅覚と受容体と揮発性化合物

においというものは、鼻の中にある嗅覚受容体(リガンド)に物質が結合することにより、リガンドの活性化が電気刺激的に処理されることで感じるものです。げっ歯類のゲノムには、約1000種類の嗅覚受容体が存在しているとされますが、実際のリガンドが何に結合するかについてはほとんどが不明であるとされます。

複数の嗅覚受容体がそれぞれ別の香りに結合した場合、それぞれのシグナルによりパターンが生じ、高次神経で異なる匂いとして処理されることによりにおいの質を決定するとされており、これを受容体コードと呼ばれています。

興味深いことに、この受容体コードは単純な足し算というわけでもないようで、1種類の分子が異なるリガンドに対して活性(アゴニスト)と抑制(アンタゴニスト)としての作用を示すとされています。この結合の多様性により、受容体コードは更に複雑なものとなっているようです。

香りの好き嫌い

皆さんはパクチーは好きでしょうか?
パクチーはタイ語由来ですが、英名はコリアンダーです。そして、別名は『カメムシソウ』です。

カメムシのにおいの主成分はtrans-2-hexenalですが、これ自体はキュウリやトマトだけでなくリンゴやイチゴなどの果実にも広く存在する青臭さの元です。trans-2-hexenalは脂肪酸アルデヒドですが、非常に閾値が低く、低濃度でも感じることが出来ます。

苦手な人がいるのは、もしかしたら遺伝的に嗅覚受容体の数が異なり、コードの発現の程度が異なるのかも知れません。

脂肪酸アルデヒドは非常に簡素な構造ですが、非常に不思議なことに炭素鎖が”奇数”である場合と”偶数”である場合とでは感じ方が異なります。
具体的には、奇数では柑橘系の特徴をもつワックス様の香りなのに対して、偶数ではワックス様の柑橘系の香りなのだそうです。更に二重結合が増えることで青臭さが増したり効力が変わったりするようです。
シャネルの5番には、秘密の調香として偶数の炭素鎖の脂肪酸アルデヒドが用いられているとか。

香りの鍵

香りを決定づけるものに、キーフレーバー(key flavor)があります。
揮発性化合物に対して、嗅覚受容体にはそれぞれ閾値があり、少ししか含まれていないにも関わらずその香りを決定するような物質が存在します。分析にあたって、スペクトルのピークは強くても、実際には小さなピークの物質が非常に重要な役割を占める場合が多々あります。

例として、水が不快な臭いがするという話がありガスクロマトグラフィ(GC)で分析してみても、一見何も含まれていないように見えますが、非常に弱いピークの中に閾値の低い物質が含まれておりそれが作用していたということがあります。

こういったことは食品でも起こる話で、人間の嗅覚というのは非常に高感度であり性能の高い分析機器であることが伺えます。実際に、香水の開発には調香師という人々が存在し、食品の評価にはGCだけでなく数人の臭い嗅ぎによるテストも行われます。

Conclusion

においというものは、遠距離でも感じることができ、食べ物を探す指標や危機の察知など自然界では視覚以上に大きな役割をしていると考えられます。さらに言えば、フェロモンやカイロモンは生物間の原始的かつ高性能なコミュニケーションツールであることが考えられます。

さらに現代では、アロマの精神・心理効果についての研究も進んでおり、嗅覚というものが生物にとって重要な存在であることが評価されてきています。

街を歩いていて、カレーやコロッケの香りがしたり、香料店の非常に強い香りなど多くの『香り情報』を受け取る事があるとおもいます。そんなとき、この話を少しだけ思い出してもらえれば幸いです。

ご清聴ありがとうございました。


Reference

昆虫誘因物質
ISBN: 4-13-063108-X

香りの愉しみ、匂いの秘密
ISBN: 978-4-309-25219-3

相互作用の計測による隠し香(閾下濃度成分)の発見
https://doi.org/10.6013/jbrewsocjapan.111.422

混合臭の受容メカニズム
https://doi.org/10.2171/jao.36.129

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