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明治維新について

我々は、薩長史観というか、明治維新によって、旧来の徳川幕府を中心とした幕藩体制が瓦解して、天皇中心の中央集権国家になったことを、所与の出来事として考えがちであるが、「パラレルワールド」、すなわち他の選択肢もあった可能性はあるし、その場合、日本という国がどのような姿になったのだろうかと思いを巡らすことがある。

最初に明確にしておきたいのだが、幕末の内乱は、幕府と朝廷の争いとか、現状維持派と革新派の争いといった単純なものではなかったと思う。

徳川幕府によって旧来の体制を維持することは、もはや無理だろうということは、おそらく幕府側の少なくとも上層部、徳川慶喜あたりはわかっていたはずである。

最後の将軍、徳川慶喜は、水戸藩出身である。水戸藩は尊王攘夷思想の家元である。当時の知識人たちにとって、江戸の将軍よりも、京都の天皇の方がエライというのは自明のことであり、尊王自体は、改まって声高に主張するほどの話でもない。つまりその点に関しての思想的な対立というのは、あまりたいした問題ではない。

攘夷思想の方も、長州藩らが徳川幕府を困らせるために声高に標榜しているだけで、どこまで本気で考えていたかとなると、あくまでタテマエの域を超えなかったのではないか。薩摩も長州も幕末にヨーロッパに留学生を送り込んでいるのである。欧米列強に侵略されないためには、富国強兵、殖産興業を推進するしかないというところに関しては、彼らの頭の中は既にアップデート済みだったに違いない。それは幕府側も同様であったはずである。

つまり、幕末の国内での争いというのは、単に大政奉還後の政権運営に関する主導権争いである。徳川慶喜は、さっさと大政奉還をしたわけであるが、何百年も政権を担ったことのない朝廷がホントに政権を担えるとは思っておらず、結局は、徳川を盟主とする有力大名の合議体で政務を仕切ることになると目論んでいたのであろう。

一方、長州藩は、そうなったら結局、今までとあまり何も変わらずちっとも面白くないので、自分たちがイニシアティブを握るためには、徳川を中心とする旧勢力を武力で打破する必要があり、そのために当初は会津藩とつるんで徳川寄りの立場を取っていた薩摩藩を仲間に引き入れて、薩長で政権運営を仕切るシナリオに方針変更することにしたのだ。で、彼らとしては、権力を掌握するためには、「幕府側」各藩を武力で鎮圧したという華々しい実績が必要だから、わざわざ無用の内戦を起こして、多くの犠牲者を出すことにしたのだ。会津藩などは薩長のために生贄にされたようなものである。恨まれるはずである。

いずれにせよ、仮に薩長主導ではない、別バージョンの「明治維新」があったとすれば、徳川を含む有力大名の合議制のような政権運営から、ビスマルクのドイツ帝国のような体制に移行する可能性が濃厚だったような気がする。ドイツは近世になるまで中小の君主国の寄り合い所帯だったので、江戸時代末期の日本とちょっと似ているからである。

坂本龍馬らが、例の「船中八策」で想定していた政治形態というのは、こちらの方だったのであろうが、だからこそ、薩長としては断じて容認できなかったに違いない。したがって、坂本龍馬暗殺の黒幕は、絶対に薩摩だと思うのだ。

ちなみに、僕の好みとしては、英国的な立憲君主国家から徐々に民主化が進んでいく方のシナリオを希望したいところである。英国は、世襲貴族らによる「貴族院」と、一般庶民による「庶民院」の二院制による議院内閣制であるから、こちらの路線であったとしても、ひょっとしたら、現代の日本にも貴族制度が存続していた可能性はある。

幕末の日本においては、幕府側=フランス、薩長側=英国といった具合で、列強の代理戦争みたいな感じであったし、ドイツ帝国が成立するのは1871年であり、ドイツは英仏に比べると欧州の二流国のポジションだったことを考えると、ドイツではなく、英仏どちらかに似た政治形態になった可能性も捨てきれない。フランスは、当時、共和政、帝政と目まぐるしく混乱していた時期なので、そうなると、英国的な王政が「ロールモデル」となるシナリオはわりと現実的かもしれない。

いずれにせよ、別バージョンの「明治政府」が、その後の歴史の変遷において、どのような立ち居振る舞いをすることになったのか、日清・日露の戦役、2回の世界大戦でどのような動きをしたのかについて、予想することは難しい。

政治形態が多少違っていたとしても、担い手である日本人の気質が変わらない以上、同じようなところで成功して、同じようなところで失敗した可能性は高い。薩長出身者が政権運営でイニシアティブを取る機会は減ったとしても、他地方出身者にも同等程度に優秀な人材はきっと存在したであろうし、あまりその辺に関しては悲観する必要はないと思う。

人生というものは、無数の選択の繰り返しである。何かを選択するということは、他の選択肢を排除することである。無数の人たちによる無数の選択の積み重ねによって、歴史が形作られる。

要するに、現存する歴史以外に、「選択されなかった」無数の歴史の可能性が存在したはずなのである。それらを比較すると、まるで違った様相を呈していたかもしれないと思うこともある一方、結局のところ、微妙に似かよったところに着地したかもと思うこともある。

「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」というのは、「トム・ソーヤーの冒険」で知られる米作家マーク・トウェインの言葉とされる。全く同じではないが、似たようなことはよく起きるという警句である。人間というものが、洋の東西を問わず、似たような気質を持っており、同じような場面では、同じような判断をしてしまいがちだからであろう。

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