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僕の音楽遍歴について②

ビートルズから始まった僕の洋楽遍歴は、クィーンを経て、次に向かったのは、ハードロックであった。中高生くらいの男子のマグマのように溜ったフラストレーションを解消するには、月並みな話ではあるが、大音量のハードロックということになる。

ハードロックはいろいろと聴いた。書き並べるとキリがないので、代表的なところだけを列挙するが、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、ブラック・サバス、レインボウ、UFO、スコーピオンズ、グランドファンクといったところはよく聴いていた。

これらの中でも、とりわけ愛聴したのは、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリンであるが、そのうちパープルが脱落して、最後にツェッペリンが残ることになる。UFO、スコーピオンズ、グランドファンクは、キッスがあまり好きにならなかったのと同様、ちょっとシンプルすぎてすぐに飽きがきてしまった。ブラック・サバスは、おどろおどろしい雰囲気に何やらわざとらしさしか感じられず、あまり好感が持てなかった。

ディープ・パープル、およびその後継バンド的な位置づけのレインボウに関しては、好きな楽曲もたくさんあるのだが、総じてワンパターンというか、様式美というか、そうしたものが鼻につくようになると、だんだんと鑑賞するのが耐えられなくなってしまった。それでも彼らの功績をポジティブにとらえるのであれば、ハードロックの「お作法」「イディオム」のようなものを確立して、その後のHMHRという1大音楽ジャンルの源流というか家元みたいな存在となり得たことであり、その点に関しては大いに評価されて良いと思う。

というわけで、中高時代に聴いていたハードロックで、その後も聴き続けることになったのは、レッド・ツェッペリンだけである。

渡部昇一の『知的生活の方法』には、気に入った本を繰り返し繰り返し読み返すことで、自分なりの趣味が形成され、自分なりの古典が形成されるということが書いてあった。「自分で古典をつくる」ということである。僕の場合、ハードロックと呼ばれるジャンルの音楽をいろいろと聴き漁るうちに、他のアーティストは脱落していき、最後に残ったのが、僕にとってはレッド・ツェッペリンだったということになる。

「古典」と書いたが、僕が聴いていた当時、まだツェッペリンは辛うじて現役時代の晩年期にあった。7枚目の「プレゼンス」、8枚目の「イン・スルー・ジ・アウトドア」の2作品は、リアルタイムで聴いた。でも、80年に解散した後も、繰り返し聴き続け、今も聴き続けているわけであり、僕にとって、彼らはまさにロックの古典である。

ツェッペリンの何が優れているのか、あるいはツェッペリンの何に惹かれて、飽きもせずに聴き続けているのか。正直なところ、シロウトの僕が、きちんと言語化するのは難しい。ただ、1つ言えることは、逆説的ではあるが、「ツェッペリンは、実はハードロック・バンドではなかった」からではないかと思う。

ツェッペリンは、その後のハードロックと呼ばれる音楽ジャンルの創始者のように言われるが、決してゼロイチで何もないところからハードロックを生み出したわけではない。ツェッペリンの前にも、ハードロック的な音楽の片鱗はいくらでも見出すことができる。ビートルズの楽曲にも、ハードロック的なものは幾つかある。ザ・フー、ジェフ・ベック・グループ、クリームなども同様である。第1期のジェフ・ベック・グループは、もしかしたら、もう1つのレッド・ツェッペリンになっていた可能性だってあったのかもしれないが、そうならなかったのは、ジェフ・ベックとジミー・ペイジのビジネスセンスの差であろう。

いずれにせよ、幾つかの先人も手掛けていたハードロック的なる音楽を集大成して、1つの完成形にまとめ上げたのは、ツェッペリンの功績であり、「Ⅰ」「Ⅱ」の2枚のアルバムがその具体的な成果物である。しかしながら、たぶん彼ら自身は自分たちのことを、「ハードロック・バンド」と定義されることを望んでいたとは思えず、「Ⅲ」「Ⅳ」と続くその後のアルバムは、およそハードロックの枠組みには収まりきらないような多様な音楽性を包含しつつ進化を遂げていくことになる。

ツェッペリンと、同時代のその他の亜流とを比較して、現時点で後付けで回顧して、色眼鏡抜きで作品だけを虚心坦懐に聴けば、その差は歴然としているのだが、僕自身、当時としてはあまりよくわかっていなかったと思う。そもそも、一般のロックファンもツェッペリンに対しては、まずはハードロック的なサウンドを期待していたので、「Ⅲ」が発表された時には、彼らの真意を測りかねて多くのファンは困惑したと言われる。「Ⅳ」が発表された後、ジョン・ポール・ジョーンズが、「このアルバムの後は誰も僕らをブラック・サバスと比較しなくなった」と言ったそうであるが、それくらいに、ミュージシャンとしての彼らの守備範囲たるや、単純なジャンル分けを拒んでいるかのように広範かつ多彩であった。

そうした包括性、多様性は、「聖なる館」「フィジカルグラフィティ」に至って、さらに拍車がかかる。80年、ジョン・ボーナムの死去によって解散するまで、約12年間の活動期間中に発表した8枚のオリジナル・アルバムは、1枚として駄作はない。というか、どのアルバムも従来と同じ路線を踏襲せず、どれもが個性的であり、それでいてツェッペリンにしかつくれない作品になっている。よく知られている話だが、「Ⅳ」には、正式なタイトルもなく、アルバム・ジャケットにはタイトルもアーティスト名も表示されていない。音楽だけで勝負するという彼らの自信と決意が見ててとれる。

シングル・ヒットには頼らず、アルバム制作とそれに伴うコンサート・ツアーで稼ぐというビジネスモデルを確立して、ロック史屈指のアルバム・セールスを記録し、莫大なおカネを稼いだ点に関しても、産業としてのロックの発展に寄与した功労者であるが、後世のありとあらゆるジャンルのミュージシャンに多大な影響を与えている点を考えても、単なるハードロック・バンドとカテゴライズするのは適切ではない。

たぶん僕自身も、ツェッペリンを聴くことを通じて、その後、いろいろな系統の音楽を受け容れるための下準備を行なっていたのではないかと思う。

この後、僕は、プログレッシブ・ロックなるジャンルの音楽を聴くようになったり、スティーヴィー・ワンダーとかEW&Fのような黒人音楽、あるいは、ザ・ローリング・ストーンズに回帰してみたり、AC/DCのようなシンプルなロックも楽しめるようになったり、少し後の世代に属するU2とかオアシスも聴くといった感じで、わりと幅広くいろいろなジャンルの音楽を分け隔てなく楽しむことになるのだが、これもまた、「ツェッペリン効果」と言えるのではないかと思っている。

その中でも、プログレッシブ・ロックとの関わり合いについては、書きはじめると長くなりそうなので、また改めて続きを書くことにしたい。


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