見出し画像

「リバーサルオーケストラ」について

23年1月スタートのテレビドラマでは、「ブラッシュアップライフ」と「リバーサルオーケストラ」が面白かった。というか、僕が真面目に視聴していたのは、この2つと「相棒」くらいであった。昔に比べると、ドラマを見る機会も減ってしまった。

「相棒」の方は、10月スタートの半年サイクルであるので3ヶ月1クールの他のドラマと同列とは言えない。これら3つの他には深夜枠の「リエゾン」を見ていたが、こちらは漫画の実写化であること、原作漫画は今も連載中であることから、ドラマ単体としての評価は少し難しい。

ということで、「ブラッシュアップライフ」と「リバーサルオーケストラ」の話に戻るが、この記事では「リバーサルオーケストラ」について書いておきたい。

クラシック音楽の世界を扱ったドラマとなると、「のだめカンタービレ」にまで遡ることになる。他にもあったのかもしれないが、僕でも知っているとなると、それくらいに遡る必要がある。「のだめカンタービレ」は漫画が原作であり、実写化ドラマ以外にアニメ化もされている。「リバーサルオーケストラ」の方は原作なしのオリジナル脚本によるドラマである。

クラシック音楽の演奏家というものは、幼少期から厳しい訓練を積み重ねた特殊な人たちの世界であるから、ドラマで役者が頑張ってそれらしく演じたとしても、どうしてもツッコミどころが多くなってしまうのは仕方がないことである。

「リバーサルオーケストラ」でも、音楽のプロが監修しており(先日、「びわ湖ホール」でワーグナーの「マイスタージンガー」を聴いた沼田竜典が「オーケストラ監修」を務めていることは、Wikipediaを見るまで知らなかった)、各楽器の指導もプロ演奏家が担っているので、まあまあ「本当に演奏しているように見える(かな?)」くらいのレベルにはなっているものの、もちろん、それでも完璧とは言えない。でも、だからと言って、知ったかぶりをして粗探しをするのは野暮であろう。所詮はテレビドラマなのだ。「まあ、こんなものか」と大目に見て、ドラマを楽しむのがオトナというものである。

ネットをググると、「リバーサルオーケストラ のだめ パクリ」といったワードでヒットするような類の書き込みが少なくないようだが、クラシック音楽の世界を扱う以上、多少の似通ったところがあるのは仕方ないし、目くじらを立てるほどのことではない。本作と「のだめ」を比較すると、本作は三流以下のポンコツとはいえ、プロのオーケストラの話であるが、「のだめ」の方は音大生の話(途中から千秋が渡仏してプロの指揮者になっていくが)である点が大きな違いであると言えよう。

両者のストーリーの違いを敢えて理屈っぽく説明するならば、「のだめ」は音大生たちの成長物語であり、ほぼ右肩上がりの直線的なストーリー展開であるのに対して、「リバーサルオーケストラ」は元天才ヴァイオリニストのヒロインが家族の事情で一旦音楽の世界から遠ざかった後、再び音楽の世界に戻って来るという「挫折と再生の物語」である点が大きく異なるし、ストーリー展開も直線的ではなく紆余曲折を感じさせるものとなっている。

挫折と再生という点では、ヒロイン以外の他のメイン・キャラクター達も同様である。彼らもそれぞれ何らかの挫折経験を持ち、屈折したものを抱えている。プロの演奏家とはいえ、何も屈託なく純粋に音楽にだけ向き合っているわけではないのだ。

とはいえ、わかりやすい敵役がいたり、オーケストラ同士の勝負が市長対市議の代理戦争みたいな構図になったり、それでも最後は丸く収まったりと、テレビドラマらしいハッピーエンドになっているので、あまり深刻にならずに見るにはちょうど良い感じのドラマであったと思う。

本作でも「のだめ」同様、クラシックの名曲が随所に使用されており、クラシック音楽の入門編としての役割としてはうってつけである。演奏シーンだけではなくて、BGM的な使われ方もされているので、全部の楽曲を名前を挙げて指摘するのはかなり難しいのではないか。

最近は少子化の影響もあってか、クラシック音楽のマーケットは世界的に見ても縮小傾向にあるという。ベルリン・フィルやウィーン・フィルのような世界トップクラスのオーケストラでも、世の潮流に乗り遅れないように、ネットによる動画配信サービスやストリーミングサービス等に取り組んでいるのだという。

今までクラシック音楽は敷居が高いと思っていた層が、ドラマをキッカケにしてコンサートに足を運んだり、CDを購入したりするようになれば、少しはクラシックの世界も盛り返すのではないだろうか。是非、そうあってもらいたい。オペラにせよオーケストラにせよ、高度な技能を有する専門人材による超労働集約的な業界であり、とにかくおカネがかかるようにできているのだ。相当な営業努力や創意工夫を継続していかないことには、現状を維持することさえ難しい。

歌舞伎や文楽も同じであるが、古典芸能というものは、一旦、継承者が途絶えてしまうと、そこから復興するのは容易ではない。かと言って、公的支援にばかり依存するというのも少し違うと思う。愛好者を開拓する自助努力、啓蒙活動は必要であるし、そうでなければ生きた芸術とは言えなくなってしまう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?