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「環境にやさしい」について

僕は、「環境にやさしい」という言葉を聞くと、何やら警戒してしまうし、そういう言葉を使う相手を疑いの目で見てしまう。正直なところ、こういう言い回しを、あまり軽々に使ってもらいたくない。

前にも書いたことだが、「再生可能エネルギー」と呼ばれて、世間で「善玉」扱いされている発電方法、たとえば、太陽光、風力、波力、水力、バイオマス等の多くは、「エネルギー収支」、つまり、発電設備の製造・稼動・管理・修理・廃棄や燃料の運搬などに要するエネルギー(電力、燃料等)や、その過程で排出される温室効果ガスと、設備の稼働期間中に産出されるエネルギーの収支計算を厳密にやってみると、さほど「クリーン」でもないし、「環境にやさしい」とは言えないものが多く含まれているという。

原子力発電も同じことが言える。直接的な発電コストが安価であるとか、CO2を排出しないとかいったメリットばかりが強調されるが、そもそも最終処分方法が確立されておらず、使用済みの核燃料の処理費用とか、廃炉に関する費用、福島第一原発のような重大事故が起きた場合の賠償費用等まで勘案すると、決して安易に推進して良いものであるとは考えられない。将来に厄介な問題を先送りするという点では、とても無責任な発電方法と言える。

同じことは、電気自動車(EV)にも言えそうである。

廃棄されたEVの中古バッテリーの処理費を誰がどう負担するのかという問題があるからである。バッテリーには、リチウムやニッケルといったレアメタルが使われており、再利用可能なレアメタルを取り出して再利用することが求められているが、コストに見合う処分方法とか、資源回収方法が未確立な状況のまま、ガソリン車からEVへのシフトチェンジが急速に進められているが、そんな状況で、「EVは環境にやさしい」と誰が責任をもって断言できるのだろうか。

原子力発電と同じで、最終処分とか、資源の再利用とか、後工程の問題まで全部解決しないままで突っ走るのは、あまり賢い人間がすることではない。

このままだと、「CO2の排出は削減できたけど、環境破壊は相変わらず進んでしまった」ということになりかねない。

そもそも、大前研一の記事にも書かれているとおり、<EVそのものは電気で走るため、CO2を排出しない。ところが、皮肉なことに世界の電力の6割以上は石油や石炭などの化石燃料からつくられている。一見クリーンに見えるEVも発電方法はクリーンではなく、イメージほど地球環境にやさしくないのだ。>ということである。肝心の電気の「出所」まで考えなければ、本末転倒であろう。

そう考えると、地球上の今の人口を維持したままで、「環境にやさしい」社会を実現するというのは、「無理ゲー」であるということになる。

少なくとも、現在の我々が享受しているような便利で快適な生活を維持するのは難しくなるだろうし、大量生産大量消費は諦めて、クルマでの移動も可能な限り自粛して、原則として電車か徒歩でしか移動しないことにするしかないということになりそうである。

はっきり言えば、人類という単一の種が、これだけ地球上のいたるところで大繁殖を遂げ、大自然を破壊しまくっていることが、最大の環境破壊要因なのである。地球を1つの生命体になぞらえれば、人類はがん細胞みたいな厄介な存在であると言える。

したがって、そんなに環境保護が大切なのであれば、人類が絶滅するか、少なくとも半分とか3分の1くらいに間引きするのが、最もてっとりばやい手段であるのだろうし、そのような覚悟もないのであれば、冒頭にも書いたが、「環境にやさしい」なんてフレーズを安易には使わない方が良い。

しかしながら、人為的に間引かなくとも、このままだと、たぶん、いずれどこかの時点で、人類の発展や進歩はリセットされるタイミングが到来するのではないかと思っている。

このまま温暖化に歯止めがかからないとすれば、地球上の多くの地域において、エアコンなしでは生存できないことになるだろう。そのためには大量の電力を消費しなければならず、環境破壊を止めることは難しい。また南極と北極の氷が解けて、海水面が上昇すれば、世界の主要都市の多くは水面下に沈むと言われている。シベリアの永久凍土が溶け出すと、メタンガスのような温室効果ガスが大量に放出されることになり、また未知のウイルスが出現するおそれもあるという。

何とも恐ろしい話であるし、あまり長生きしたいとは思えない。

もちろん、人類が絶滅しても、地球が絶滅するわけではない。恐竜も絶滅し、マンモスも絶滅したが、単に地上の「支配者」が入れ替わったに過ぎない。環境に最も適合した種が繁栄し、環境が変化して適合できなくなれば退場する。単にそれだけのことである。

長い長い地球の歴史から見れば、人類の繁栄など、わずかな期間でしかない。いつまでも人類の歴史が永遠に続くと考える方が、むしろオカシイと考えるべきであろう。

そのように考えると、「SDGs」とか、「サスティナブル」なんてフレーズも、虚しく聞こえるだけである。

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