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「原子力発電」について

僕は、原子力発電に関しては懐疑的な立場である。これは昔から、大学生くらいからずっとであった。

きっかけは、大学生の頃、『エネルギーとエントロピーの経済学』『原子力の経済学』(いずれも室田武著)を読んだことが多分に影響している。室田武は理論経済学者であるが、エントロピーやエコロジーの研究者としても有名な人物である。

原子力発電を語る際、枕詞のように、「原子力発電は、再生可能エネルギーと並ぶ重要なクリーン電源」と言われるが、最終処分方法が確立していないことを考えれば、決して「クリーン」と断言できないはずである。確かにCO2は排出しないが、CO2よりも厄介な核廃棄物を排出する。

原子力発電は、他の代替手段と比較して、発電コストが安価であると言われるが、使用済みの核燃料の処理費用とか、廃炉に関する費用、福島第一原発のような重大事故が起きた場合の賠償費用等をどう見積もるかによって、いかようにもコスト計算の数字は変動しうる。

そもそも核廃棄物の最終的な処理方法についてはいろいろと研究も進められているものの、決定的な対応策は確立されていない。再処理をしたところで、最終的には処理しきれないものが残る。ウラン238の半減期は45億年、プルトニウム239の半減期は2.4万年である。地層処分(=穴を掘って埋める)といった究極の「問題先送り」を前提に原子力発電を推進して問題なしと言い切れるのか。

原子力発電所の耐用年数についても、当初は原則40年、最長60年となっていたのが、いつの間にやら60年を超える運転も許容するということに方針転換されつつある。サッカーで言えば、ゴールポストの間口が急に1.5倍に広げられたようなものである。政治的な「大人の事情」によるものであるが、科学的に安全性を証明できるのか。

政府や電力会社は、再エネ発電には広大な敷地が必要、原子力発電に比べて非効率である等の主張を繰り返し、原子力発電がいかに素晴らしいかを力説するが、決してクリーンとは言えないこと、一旦、事故が起きた場合の被害が想定できないこと、最終処分は未来への先送りというのでは、きわめて無責任な話である。

いずれにせよ、今の社会は「サステナブル」とは言えない。どこかで底が抜けてしまっている。地球上の全員が、先進国並みの生活水準を維持するのは、そもそも無理な話なのである。

前にも書いたが、やはり人口を減らすしかないのかもしれない。


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